物だけでなく友人も記憶も捨てれば楽になる | ミニマリズムの本質
こんにちは@tateshina_lifeです。
今日は捨てることの大切さについて書いてみます。
ビックリされる方も少なくないと思いますが、捨てる対象には物だけでなく、自分が属する環境や、友人・知人も含めた人、思い出も含めた記憶も含まれます。
僕はこれらを捨てることに躊躇しません。
人間は、特に人間の脳は、認知された情報、特に視覚から得られた情報について無意識に反応します。
皆さんには自覚がなかったとしても、例えば物で散らかった部屋で仕事をしようとデスクでディスプレイに向かった時、脳は仕事に関係のない情報を認知した後に取捨選択をします。
結果として仕事に集中することができるかもしれません。もしくは部屋に散らかる物に由来する仕事とは関係のないことを始めてしまうかもしれません。
運良く前者であったとしても、脳は取捨選択、すなわち知覚された様々な情報を認知した後に捨てることを選ぶことでエネルギーを使います。
選択とは考えることです。脳は考えることで疲弊します。結果として仕事に集中することができたとしても、その段階で疲れてしまっているのです。
この過程で脳は”捨てる”という行為を行っています。物を捨てるのが嫌であるにも関わらず毎日それらの物を無意識に捨てているという矛盾です。
やっていることは同じことです(毎日捨てる方が本人にとっても地球環境にとっても良くないかもしれません。エネルギーや資源を消費しますから)。
今まで”物”を対象として話をしてきましたが、これは自分を取り巻く環境や他人、記憶などにも同じように当てはめることができます。
他人を含めた環境が散らかっていると疲弊することは直感的に理解していただけるのではないでしょうか。
属している組織で、自分が本当にやりたいこと、能力を発揮できることに対してシンプルであればあるほど成果に対しての労力が小さくなります。逆も然りです。
僕は思い出や記憶に固執しません。
撮った写真はiPhoneからGoogle Cloudにアップロードして省みるのはこうやってnoteで記事を書いた際にサムネイル画像として使う時だけです。この目的がなければ撮った写真はSNSに瞬間的にアップロードすることはあれ捨ててしまうでしょう。
思い出を全部捨てろと言っているのではありません。
友達も全部捨てろと言っているのでもありません。
固執することをやめる。もっと言うと、記憶や人を目的とすることをやめて、言い方は悪いですが手段とするのです。
目的にすると、友達に会うことが固定化され義務のようになってスケジュールがどんどん埋まっていったり、思い出をためておくためのアルバムで部屋が埋め尽くされてしまったり、PCやスマホのデスクトップが溢れかえります。
脳はどんどん疲弊していきます。
本当にやりたいことに永遠に向き合うことができません。
エネルギーは浪費され、地球の資源は失われていきます。
友達を100人つくる行為は、自分という最も身近で、永遠に付き合うことになる友達をいじめる、虐待することと同じなのです。
物、人、思い出に固執して固定化させることをやめて、時間という大河に流すのです。安心してください。自分の今に集中することができていれば、人生、宿命に必要なものや縁は、必要なタイミングで目の前に現れます。
自分という乗り物を最大限に味わいましょう。
そうすれば沢山のギフトを手にすることができるでしょう。
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