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山に入れば自分に再会できる | 身体性の話

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は身体性の大切さについて書いてみようと思います。

先日、山から降りて東京へ1泊2日で出張しました。以前の大手コンサルファームの先輩と夜会食をするためです。その会食の際に身体性の話になりました。

以前、こちらのnoteにも書いたのですが、トレイルランニング、すなわち山を走るといやがおうにも身体と向き合うことになります

トレイル、すなわち山の道は平坦ではなくアップダウンもあります。また場所によっては様々な大きさの岩が落ちていたり、木の根が巡っていたりして、つま先が引っかかると転倒することになります。

ですから足の置き場を探しながら走ることになるのですが、足下を凝視して次にどこに足を置くかを考えて走ると転倒します。一方、顔を上げてやや遠目の広い範囲を見て、足下は間接視野で見る、というよりはボヤッと感じるようにすると転ばなくなります

とても不思議な体験です。

考えなくても身体が反応してくれているとしか思えません。

近くを凝視して考えると、考えることが走る速度に追いつかなかった結果として転んでしまいますが、顔を上げて情報量を増やし、考えることなく身体に任せると自然に最適な行動をとることができるのです。

山の下り、怖いです。怖いので重力に逆らい、腰が引けて、一歩一歩足を置きに行くと姿勢が後傾し、結果として尻もちをついてしまいます。

重力に身体を預け、落ちるように下ると、足が自然に最適な場所に着地し、手や上半身がバランスをとるようになります。自然にです。

ものすごいスピードで下ることになるのですが、自然と一体化するような感覚で、自分がだんだん消えていきます。この気持ちよさは言葉にはできない素晴らしいものです。

人間の身体って本当に良くできています。

現代の世の中は考えろ、考えろ、思考を鍛えろというメッセージだらけです(ひょっとすると僕のnoteでもそういうことを書いているような気もしますが…)。

一方で、考えることなく身体の反応に身をあずけることで自然に最適な行動がとれる、ということは人間の本質なのです。

思考と身体性はバランスをとることなのかもしれません。

身体性を感じるには自然の中に身を預けることがとても大切です。自然というのは社会の規範・ルールを取り外した世界です。ですから都会でも身体性を感じることは可能ですが、なかなか難しいかもしれません。

一番良いのは山は海に入ることです。

整備された道路や交通標識などがないところに身をあずけることで、身体の自然な反応に身を任せるのです。考えることなく。

山でお待ちしております。

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