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踊る明太子

 あれは夏の盛りのこと、いや春の終わりだったか、もしかしたら秋の始めの方だったかもしれない。いやいやそんなことはどうでもよくて、とにかく暑い日の午前10時くらい、遅めの朝食をとろうと台所に向かった賢介が目にしたのは、フライパンの上で踊る明太子だった。


 踊るというのは何かの比喩とかではなく、言葉そのまま、danceという意味である。何を馬鹿なことをと思われて当然だが、直立した明太子が腰を振り振り、ステップを踏み踏み、場所を変え姿勢を変えながらくるくると回っていたのだから仕方ない。


 賢介は寝ぼけているので、「ああ、福岡県民なのに滋賀で製造された奴を買っちまったからな。やっぱ福岡のが品質はいいのか。」なんてのんきなことをぼやぼやと言っているがそうではない。


 既に登校して授業を受けている賢介の妹がもしこの光景を見たとしたら、「ああ、私やっぱり受験ノイローゼなんだわ。こんな幻覚まで見て。勉強しててもろくなことがないって今度こそお母さんに訴えてやる。」とでも言いだしそうだがそうではない。


 明太子は踊ることがあるのだ。それはどこで製造されていてもどこにいても変わらない。明太子であれば必ず、踊る可能性を秘めている。
 踊る明太子を見つめるうちに、賢介はキューピーのたらこのCMを思い出す。クローンみたいに全く同じ見た目のたらこの大群が行進する光景が思い浮かんだ。


 就活浪人を経て、ニート中の賢介は、ここ数年間で見るもの聞くものすべて就活に結びつけてしまう癖をつけてしまっているものだから、あのたらこって就活生みたいだな、などと考えていた。黒染めの髪、眉毛が見える前髪、スーツ、清潔感をそろえて合同企業説明会かなんかの会場に向かって駅から行進する就活生。おかっぱの女の子にあたるのは社長だろうか。


 目の前で踊る明太子はかつて、あの大群のなかに一人、たらこのフリをして交じっていたのではないかと、急に賢介は思った。本当の自分を隠して、周りに合わせて生きてきて、だけど心の奥では踊りたいと強く願っていたのではないかと。その気持ちが抑えきれなくなって、大群から逃げ出して、明太子として、今ここで自由に羽を伸ばす人生を選んだのではないか。


 そうでなかったとしても、踊ることに行き着いた何らかの理由はあるはずであった。全ての明太子に踊る能力が備わっているといえど、全ての明太子が実際に踊るわけではない。現に、賢介は、この明太子以外に踊る明太子など、一度たりとも見たことがない。


 普通に生まれて明太子として何の不満もなく生きてきたら、きっと踊らないのだと思う。踊りださなくてはならないほどの、切羽詰まった強いなにかに突き動かされたものだけが、踊れる。


 この明太子と、友達になりたい ――――――――――。


 そこまで考えて、賢介はスーツに手を伸ばした。とにかく、一度くらい、自分らしくなくても、同調圧力に負けたような気がしたとしても、たらこのフリをしてみよう。世の中には、たらこがたくさんいるように見えるけど、本当はきっと、たらこのフリをした明太子がどこかにいるはず。もしかしたら、全員明太子なのかもしれない。そしたら、友達になれる。


 もし、どこにも明太子が見つけられなくて、限界を迎えたら、その時は踊ろう。どこかの、賢介みたいな人に踊っている自分を見つけてもらおう。
 
 


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