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【エッセイ】電車の中に、この世の全てが詰まってる。


電車の中に、この世の全てが詰まってる。

電車の中には、様々な人がいる。学生や、子連れ、外国人観光客、サラリーマンに主婦まで、または有り余るお金持ちに、乗車賃を払うにも渋ってしまう貧乏人が電車の中で、一緒に揺られている。また、詰め込まれているのは人だけではない。例えば、匂いだ。部活帰りの学生だと、汗とシーブリーズが混ざった匂いがするし、サラリーマンだと嫌な加齢臭が匂ってくる。派手な装飾品を身に纏ったオバサマは、独特のローズの香水の匂いが鼻腔をくすぐりまくってくる。それが電車の中で全部合わされば、もう言語化不可能な匂いがする。匂いだけではない、それぞれの思考が電車の中に詰め込まれている。納期に間に合わせるために必死に腕時計を確認し、あからさまに焦っているサラリーマンや、旅行帰りで電車の振動音にすら疲れてしまう家族連れや、幸福の安堵に溢れているカップルや、トイレを我慢して天に祈っている人もいるだろう。まるで電車の中は、縮小した世界だ。そんな電車の中は、人間観察をするのにとても最適だ。何もすることがなくなって、超絶暇な時は、ぜひ電車に乗って色んな人を観察してほしい。時々、その人を模写するのもいいだろう。または、その人のこれまでの人生をイメージして想像するのもいいだろう。また、その人を主人公とした小説を書くのもいいだろう。


美術館の命が終わる。

久々に美術館に行こうと一昨日から計画して、せっかく行ったのに、エントランス前のポスターに
『本日,休館日』だってさ、まじあり得ないんだけど、Googleでは営業中のはずなのに、なんてついてない日、後で美術館の公式サイトを見たら、最新情報に本日は休館しますって書いてたんだけど、気づくわけねぇだろばっきゃ野郎。一気にワクワク感が消え去ったんだけど、この気持ちどうしてくれんの?って感じ。まぁでも他の美術館はやってるだろうと思い美術館をハシゴ。
‥‥
二軒目の美術館エントランス前に『本日、休館日』のポスターが貼ってあった。デジャヴを感じた。さすがに足がパンパンになってきた。だが、ここで諦めるやわじゃない。三軒目は少し趣向を変えて、科学博物館とかはどうだろう。前回の反省を活かして、公式サイトを端から端まで確認した。間違いない、営業中だ。
‥‥
工事中だった。まじでしんどい。流石にデジャヴを感じた。もう歩き疲れて足の感覚がない。
こんなにもついてないのか、何もかも嫌になり、1軒目の美術館に戻ってきた。そう俺は負けたのだ。だが、ただでは帰らない。電車賃800円を無に帰すわけにはいかないのだ、エントランス前のモニュメントを撮りまくって帰ろうと思ったのだ、よく分からんモニュメントを撮り終わり苦虫を噛みまくって、帰路につこうとした時だ。
ちょうど昨日までやっていた展示会のポスターが見るも無惨な姿に、ビリビリ剥がされているではないか。この瞬間俺は、なぜか自然とシャッターを切った。

料理に例えるなら、最初は、料理に使う食材となる種を土壌に蒔き、それを長い年月をかけて育て収穫し、その食材を市場に流し、消費者が購入し、調理して食べる。最後は、食い終わった皿の残った汚れを洗剤で落とし、使った食器をしまうまでが料理の1連の流れだ。
この流れは全ての物事に通じる。人生もそうだ、
大雑把に言えば生まれてから死ぬまで、その全てが人生なのだ。美術館の展示もそうだ。企画を提案して、建設し、客が見に来て終わる。しかし、その”本当の終わりの時”を俺は目撃したのだ、決して大勢の人には看取られない、ポスターを剥がす時に展示会は息を引き取ったのだ。その瞬間には誰も興味がない。なんの変哲もない。だが、その瞬間が料理、展示会、または、命。全てに通じる最期の役目を終えた姿を見て、涙を止める術を私は知らなかった。


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