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【続・愉快な仲間達】

これの続きの話をします。↓ ちと長くなりそうです。よろしゅう。

真っ当なアルバイトを通して仲良くなった3人の女性達。

大阪出身でたまに出る関西弁が心地良いT主婦、映画とお笑いが大好きだという僕と全く同じ趣味を持つS主婦、そしてSexy Zoneの菊池風磨くんを追いかけるジャニオタフリーターのYさん。

僕が初日に作業終了後の片付け時間(という名のお喋り時間)に何をしたら良いか分からずに施設の中を徘徊していたところに、もとから仲が良かったらしいT主婦とS主婦が声をかけてくれて、そこから関係が始まった。

二人とも50代くらいで、自分の息子と同い年くらいの僕をすごく可愛がってくれたし、社会に出てからの苦労話や社会人になるまでの心構え、映画やお笑いの深い話などたくさんの面白い話を聞くことができた。
同学年のペラペラな友人達の話すしょうもないYouTuberの話や、無心で乳を揺らすTikTokerの話より何十万倍も楽しい話。有意義な時間だった。


最初に「今日初めてやんな?」と声をかけてくれたのはT主婦。
僕はお笑いが好きで、好きな芸人さんは大阪の方が多いので、「関西弁を聞くこと」自体が好きなのかもしれない。だから最初に話しかけてくれたT主婦の「やんな」の部分がとても心地良かった。関東に住んでいるのに身近に関西弁を聞く機会を与えてくれたT主婦に感謝。

彼女は関東に住んでもう長いらしく、標準語と関西弁の混ざった妙な話し方をしていたのだが、たまに出る純正の「なんでやねん」や「ほんまかぇ」などの言葉がたまらなく好きだった。性格も良くてフレンドリーで優しい人だったし、いつか関西弁が日常的に飛び交う関西に住んでみたいなぁ。いや、多分人見知りの僕にはキツいだろうな。




そしてS主婦。
最初は僕のことを警戒しているようであまり話してくれなかったけど、僕がT主婦と話しているときに「大阪出身なんですね~、僕お笑い好きなんで大阪の劇場行きたいです」みたいなことを言った刹那、S主婦が目を輝かせて「タロウ君、お笑い好きなの!?」と割り込んできた。
わかる。めっちゃ分かるそれ。そんなにメジャーじゃない趣味が同じ人を見つけた時って、心ときめいちゃうよね。

そこからは意気投合し、お笑いの話で盛り上がった。彼女はヨシモト∞ホールが開館した頃から当時の若手芸人達を観に足繁く劇場に通っていたらしく、「ピースやノブコブは私が育てたようなもの」と豪語していた。

しかしそれも頷けるほど、S主婦はお笑いを愛し、お笑いを論理的に考えていた。
ちょうど僕たちがアルバイトをしている頃、M-1グランプリの予選が行われていて、3回戦や準々決勝の動画がYouTubeに上がっていたのだが、S主婦はまるで審査員のように「このネタはここの振りがきいていて~」とか「このやり方にしてはちょっとキャラが弱いかな~」みたいなことを言っていて、お笑いが好きになってまだ2、3年くらいの僕としてはとても勉強になったし、何より僕には周りにお笑い好きの友人がいないので、「お笑いガチ勢」の人に初めて出会うことができたのがむちゃくちゃ嬉しかった。
「天竺鼠が一番好きです」と言って、センス良いじゃん!と言ってくれる人ももちろん初めてだった。実に耳Goodな主婦だ。


S主婦とはLINEも交換し、THE WやM-1グランプリの際にはリアタイで感想を言い合った。お笑いを語り合える人がいることはこんなに楽しいのか、と一組一組のネタが終わるごとに自分の意見を長文で語ってくれるS主婦のメッセージを見ながら思った。お笑いの賞レースの間だけは、S主婦は間違いなく僕の親友だった。

オズワルド推しの彼女とランジャタイ推しの僕の意見は、不思議と対立することはなかった。
50代ながら進化する多様なお笑いも受け入れ、どんなネタにも必ず良いところを見つけていた彼女の感性はあの上沼恵美子氏すら超越していたのではないかとさえ思ってしまった。いや、彼女はもしかしたら、売れない若手芸人や地下芸人も含めた、この世の全芸人を優しく見守るお笑い界のゴッドマザーだったのかもしれない。そんな風格まで漂わせていた包容力のある素敵な女性だった。

あと彼女は映画の趣味も僕と似ていて、映画の話になったときに「私この前『時計じかけのオレンジ』のリバイバル上映行ってきたのよ~」と言っていたときに、僕と同類であることを確信した。
あんなに素晴らしく狂った映画を公開から50年近く経ったいま観に行くなんて、彼女は本物の映画好きに違いない。

キューブリックの話、リンチの話、タランティーノの話、ジャームッシュの話、etc...
観ている映画も同じものが多くて、話は弾んだ。
おまけに、おそらくもう最初に見始めた人の約9割が戦線離脱したであろう「ウォーキング・デッド」シリーズ(現在シーズン11)の視聴者の数少ない生き残りの一人だった。ニーガンの登場以来恐ろしく中だるみをしている時期を共に乗り越えたという仲間意識から、またS主婦との距離が縮まった気がする。



続いてジャニオタのフリーターYさん。彼女は僕が入ってから2週間後くらいに入ってきた。お互い人見知りだったということもあって、彼女とはT主婦とS主婦を介して少し話す程度の仲だったのがずっと続いていて、仲良くなれたのは最後の一週間くらいだった。
惜しいことをした。話してみるととても素敵な方だったので、もっと早く自分から話しかけて仲良くなれば良かった。自分の人見知りを呪った。

彼女は大学卒業以来一度も定職に就くことなく、アルバイトで食いつなぎながら、ただ真っ直ぐに菊池風磨くんを追いかけていた。
「働いたら平日のライブに行けなくなったり時間の融通が利かなくなる」「推しを拝むために生きている」と言っていた彼女の目はすごく輝いていた。
休日も上司との接待ゴルフに忙しい人たちや、「アットホームな職場です!」と就活生に平気で嘘をつき、日付が変わるまで残業する人たちにこんな目ができるだろうか。

別に彼女の生き方を肯定しているわけではないが、28歳になった今も推しのために命を燃やしている彼女の生き方も真っ直ぐで力強く、素敵だと思った。彼女みたいな人間ばっかりだったら社会は回らないけど、僕は彼女みたいな人間がいた方が世界は面白いと思う。


最近、第164回芥川賞を受賞した宇佐見りん先生(なんと僕と同い年)の「推し、燃ゆ」を今更読んだのだが、この話の主人公のあかりが僕の中でYさんと少し被った。
作中に「推しは自分の“背骨”」という秀逸な表現があったけど、Yさんの背骨にも、確かに菊池風磨くんがいた。服の上からでも透けて見えるほどに。
彼女は未来永劫、病める時も健やかなる時も風磨くんを推し続けていくのだろう。


「推し、燃ゆ」の主人公のあかりは明記されてはいないが恐らく発達障害であり、勉強も人間関係も苦手で、ただ「推し活」においてはファン界隈では人気のブログを書いたり、バイト代の殆どをCDやグッズ代に注ぎ込んだりするほど、そこに確かなアイデンティティを築いていた。

「推しを推さないあたしはあたしじゃなかった。推しのいない人生は余生だった。」

という一文はこの本の中でも強烈に印象に残った。
ほんの十数年ほどしか生きていない少女にこんなことを思わせるほど、推しはその人にとっての生活であり、体の一部であり、神様であり、そして1人の他人だ。
あかりやYさんのように、見ず知らずの他人にそこまで人生を捧げるというのは、冷めた人間である僕には全く理解する事ができないけど、推しについて話すYさんの目があまりにも澄んで輝いていたので、僕もいつか、ひょんなことがきっかけで見ず知らずの他人の、見ず知らずの生涯に命を燃やす事になるかもしれない。そんな人生もきっと素晴らしい。

YさんともLINEを交換していたので、バイトが終了した後に「あの後どこでバイトしてるんですかー?」とメッセージを送ってみた。
すると「今は食品工場でなんとか食い繋いでるよ〜」と返信が来た。

彼女はワクチン接種会場で接種者の誘導をしながら、工場で食品を詰めながら、今日も風磨くんのために命を燃やしている。
僕はジャニーズの事は全く分からないけど、もし日本中のジャニーズが謎の病で倒れたとしても風磨くんだけは無事でいてほしいし、Yさんが寿命を全うするまで、風磨くんには80歳にも90歳になっても歌い踊り続けて、Yさんの生涯を彩ってほしい。





と、まぁYさんの話はだいぶ脱線してしまったけど、T主婦、S主婦、Yさん。短い間だったけど本当に楽しかったです。心からありがとうございます。
もしかしたらもう二度と会わないのかもしれないけど、いつかこの奇妙な友情をふと思い出してきっと僕はニヤニヤすると思います。すぐ忘れるかもしれんけど。



長文失礼致しました。僕の自己満文章を最後まで読んでくれた人がいたならめっちゃありがとうございます。

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