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自主規制がSNS疲れを生んでいる

今日は久しぶりの会合。
1年振りにお会いする方も居て、皆さん元気そうだったのが印象的でとても嬉しい気持ちになれた。

集まった皆さんは私のように半独立ではなく、事務所を持って独立されている方達。
この方達の話を参考にしつつ、占いとITを両立させる、不思議な立ち位置である私の話を聞いて下さり、とても有意義に過ごすことができた。

今回は偶然なのか、一匹狼タイプの人達が集まった。
誰も雇わず、一人で仕事をこなす人と書けば、伝わるだろうか?
そういう人達ばかりであった。

そんな皆さんと話をしていて思ったのが、本当のところは少し寂しいということ。
仲間でたくさん会話をしたいのだけど、昨今のコロナで制限が掛かり、話す機会が少なくなり、うまく発散できないような状態になっているのを感じたのだ。

今までだったら、話ができなくても多少はSNSで発散することができた。
SNSに好きなことを書いて、好きなように振る舞うことで楽しんでいた。

ところが、最近はそれができないのだと言っていたのが印象的だった。

例えばの話だが、もし旅先に行って、楽しんで飲み食いしている写真を緊急事態宣言中にSNSに載せたとする。
そうすると、非難する人も出てくるではないか。

これが芸能人の場合だと、実際に叩かれて報道されているのが事実だ。
だから、我々も気軽にSNSに投稿できなくなったのだと。

特にFacebookは、面白みがないという話をしていた。
タイムラインにはセミナーやお商売の話が多くなり、以前より見ていて楽しくなくなってきたと感じるのは全員の共通した意見だった。

知っている人なら気兼ねなく話せるけれど、SNSの中になるとそうは行かない。たまにSNS上に顔を出して、友人に絡みに行くと、あまり自分と関わりのない人が反応する事が多い。
これは、メディアにも出たり、SNS上のフォローが多い方だとこの傾向が強くなるのだ。

反応したその人に対して、少し考えて返信したりする必要が出てくると、疲れてしまう。
私が先日書いたSNS疲れの話と同じ話をしていたのがとても印象的だった。

このような話をしていて、今日話していた方たちが、最近あまりSNSをしなくなった理由が、SNSをするのに疲れてしまい、活動報告を制限している状態だった。と言うのを話をしていて理解したのだ。

コロナウイルスの影響で、新しい生活様式だという話をよく耳にする。
テレワークしかり、手洗いうがいやマスクをつけた生活しかり。

コロナ前の生活ではないから、それに合わせて行動しよう。
頭では理解していても、心はついていけない人が多い。
なぜなら、心のつながりは新しい生活様式と言う名の枠に、完全な形ではまらないからだ。

講師の方は、このような話をしていた。

人の心を通わせる部分というのを、モニター越しだけで完全に理解することは難しい。表情が見えない場合があるし、話をする人数が多くなると反応もわからないことも多い。

そうなってくると、本当の意味で心を通わせながら会話ができないので、もやもや感が残ってしまうのだと。

少しずつのもやもやが重なっていくと、やがてそれはストレスに変わっていくのだ。

そして、話をしていてもう一つ興味深い結論が出た。
それは、SNSが面白くなくなってきているということ。

何かをすると批判され、萎縮する。
世の中はこの繰り返しで、無難な書き込みばかりで、尖った書き込みが少なくなり、面白みがなくなってきたのだ。

最近のテレビも、視聴者から批判されるから守りの姿勢に入り、面白さがなくなった。むしろ、表現を制限する必要のない世界であるYoutubeの方が面白いではないか。そんな話になったのだ。

このように、新しい生活様式と言うスローガンのもと、我々は今も感染症と戦っているのだが、SNS上では自分の中で制限をかけて活動している部分が多いのも事実だ。

私のTwitterも冷静に考えてみると、外食をレポートした回数は明らかに少なくなった。
ましてや、誰かと居る話を報告する機会も減った。
自然とSNSへの投稿を自主規制することで、SNS自体が面白みがないという状況に陥っているのではないか?そんな結論が出たのだ。

今日の会合が終わると、それぞれの場所に帰り、再び自主規制をする。
そして、そんな規制をしている中でも何とか表現をして自分たちの活躍する場所を作っていこう。
みんなでそう誓って解散し、家路についた。

早く元の生活が出来る日を、心から祈っている。

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