理系こそ英語を勉強するべきな理由
なぜ英語は文系科目と思われているのか?
理系×英語×転職を中心にしてnoteで執筆しています。
日本の教育課程だとなんとなく英語は文系科目に属しているようで(たぶん本当は中立)、実際に「英語が嫌いだから」理系に進んだ、という人も私の周りにはいました。
確かに受験における英語は「文章を理解する」ことに重きを置かれており、そのため国語が単にアルファベットに置き換わっただけと捉えられ、理系というよりは文系教科になってしまっているのではと思います。
また学問として英語を学ぶとなると、なるほど文系科目となるかもしれませんが、その分野に進む人はほとんどいないでしょう。
一方で、英語は単なる言語なわけで、コミュニケーションツールにすぎません。そのため、そもそも理系・文系関係ありません。理系であっても仕事でコミュニケーションをするわけなので、日本語・英語に関わらず、言語は必須ですよね。
しかし、英語だけでは食べていけない
では、私みたいな人間が、英語「だけ」を長所にしていいかというと、それも違うと思います。
私は通訳者でも翻訳者でもありませんが、その道を極めるとなるとイバラの道となるのでしょう。帰国子女・インターナショナルスクール出身の才子・才女の中で、頭ひとつでるためには英語で生きていくというのは、相当な努力や才能がいると想像できます。
能力は掛け算するべき
何事もそうですが、一つのことを極めるよりも複数の能力を掛け合わせた方が希少価値が出ます。
英語だけでなく、何かもう一つ。掛け算の数が二つ、三つと増えていくとします。
ビジネスレベルの英語を話せる割合を10%として、ある専門性を持っている人の割合を10%とすると
英語×専門① = 10%×10% = 1%
英語×専門①×専門② = 10%×10%×10% = 0.1%
と、指数関数的に希少性が上がってきます。
1%ともなればなかなかの希少性になるのではと思います。
理系はすでに専門性を持っている
専門性という観点では理系は専門性の塊と言えると思います。
そして理系の専門性は真似しにくいという面もあります。例えば、社会人になってから一念発起、再生医療を専門にしました、みたいなことは大学に入り直す以外はあり得ません。
なぜなら、理系の専門性は勉強だけでなく、研究を伴うために、机上だけでなく研究室に所属する必要があるからです。
もちろん、文系の専門性も習得に時間がかかることは承知していますが、実験が必要という点は大きくことなると思っています。
日本で働くという専門性
加えて、見落としがちなのが、日本に住んでいるということも専門性になりうるということ。
日本でのみ働いていると、このメリットは発揮されませんが、海外と仕事をすると日本人であることは特異性だと思います。
例えば、私の場合、日本の工場で生産するためのサポートをしているわけです。一見、この仕事は「化学×英語」だけでできるような気がしますが、日本人であることが必須です。
なぜなら、日本語が全く喋れない外国人では工場とコミュニケーションできないからです。そのため第一には「日本語が話せること」が大前提になっているのです。日本人的なコミュニケーションができることが外資で求められています。
そのため「化学×英語×日本人」
これが世界的に見て、どれだけの%になるかは計算してみる価値がありそうです。
まとめ −理系こそ英語を勉強するべき−
理系は専門性を持っているので、すでに掛け算の項をひとつ持っているわけです。
もしそこに英語がネックになっているならもったいない。英語なんて、やってなんぼです。正直だれでもできるようになります。
そして、そこに更にもう1項はいれば「理系×英語×○○」になって、あなたの希少価値がさらに上昇すると思います。
迷っているなら一歩踏み出して、勉強してみることをオススメします。
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