ドストエフスキー「反逆(カラマーゾフの兄弟 第5篇 プロとコントラ から)を読んで
みなさん、こんにちは。ドストエフスキー「反逆(カラマーゾフの兄弟 第5篇 プロとコントラ から)を読んだ感想を書いていきます。
あらすじです
イワン(次男)とアリョーシャ(三男)がレストランにて論争をしていました。
テーマは
この世に「神様」がいるかいないについて
です。
アリョーシャは
「今、自分たちが生きているのは、神様がいるおかげ」
だと主張します。
世の中、上手くいかないことが多いけど、当たり前のように生活できている。という風に付け足します。
しかし、イワンは
「この世には、神様など存在しない。あるのは、目に映るものだけだ」
と主張します。
神様がいるなら、なぜ苦しんだり、悲しんだりする人がいるのか。そのうえ、当たり前のように生活できている。とはなんだろう。今日もどこかで、ご飯が食べれず、道端で死んでいく人がいるのに。という風に付け足します。
そして、イワンは「子供」を例にあることを話します。
一つ目は
ある幼い女子が「トイレがしたい」と言えず、おもらししてしまいました。その女子の両親は何をしたのかというと、もらしたうんちを自分の娘に食べさせ、便所に閉じ込めるといった、虐待をしていました。娘は泣きながら「かみさま、たすけてください」と叫び、両親は娘が泣き叫んでいるにも関わらず、他人事のように寝ている。という話。
二つ目は
ある偉い地主がいて、可愛がっている犬が足を引き摺っているのを発見します。なぜこうなったのか。召使いに言うと、「○○の下人の子供が投げた石が当たったからです」とのこと。どうやら、地主のもとで働いている下人の子供が石を投げて遊んでいたところ、偶然犬の足に当たったのです。その地主はその子供をどうしたかというと、多くの犬を放ち、無惨にかみ殺しました。しかも、その子の母親の前で。という話。
「アリョーシャ。今の話を聞いて、お前はどう思う? 大人たちが子供にしたこの行為を。この大人たちに対して、銃殺に値するか?」
「……銃殺です」
「やっぱり、そうだろう! そう思うだろう」
アリョーシャは
「どんな人でも受け入れることが大事」
という信念を持っていましたが、いざ、不条理な出来事に殺された人を思うと、加害者を悪く感じてしまいました。
それを聞いて、イワンはアリョーシャの心の中にも「小さな悪魔が潜んでいる」と言います。
「アリョーシャ。お前はよく言っていたよな。多くの人に対し、『あなたの行動は正しい』って。そして、互いに抱き合って許し合う。確かに、これは美しい行いだ。俺もそうしたいよ。しかし、本当にそんなことできるのか? もしお前が将来、妻と子どもを持ったとしよう。あるとき、戦争でその愛するお前の家族が犠牲となっても、『あなたの行動は正しい』と敵の兵士に言い、抱き合えることができるのか? どうだ?」
アリョーシャは黙り込みます。
「結局、俺は思うんだよ。神様がいるなら、虐待や戦争、殺人といった残酷なことが起こらない。それに『たすけてください』と言えば、すぐに駆けつけ、守ってくれる。この星に生まれた全員が幸せで笑顔で過ごすことができる。そうだろう?」
イワンは勝気になって、アリョーシャを詰め寄ります。
「神様という存在は都合のいいように、人間が作り出したものなんだよ。例えるしたら、『早く寝ないと、金棒を持った鬼がやってくるよ』や『この一年、いたずらや友だちと喧嘩しなかったら、クリスマスの夜、サンタさんがプレゼントを持ってきてくれるよ』など、自分の子供がいう事を聞いてもらうように、偶像を作り出す。という原理と似ている。自分たちの都合のいい世界などを作るから、血を流す人や苦しみ、悲しみの人が、未だに減らないんだよ。そんな世界のなか、俺は生きている。だから、俺は『この世界で平和に暮らすことのできる権利』そんなチケットを返したいぐらいだよ」
「兄さん、それはある意味、この世に対する反逆だよ」
「お前が、そんなこと言うとはな。まあいい、俺はこの自分の考えや経験をもとに『大審問官』という小説を作った」
とイワンは言い、自分の作った小説を語ります。『カラマーゾフの兄弟』で重要な箇所である『大審問官』の章に続きます。
感想です
イワンとアリョーシャは「神様」をテーマとして話し、自分の考えを論争していましたが、私たちも日常のなかで色んなテーマで論争していると思います。
今で例えると、コロナウイルスとかです。
コロナウイルスが初めて流行した2020年。未知のウイルスで治療方法も分からず、何の情報を信じていればよいか分からない状況でした。そして、一時問題となったのは「ワクチンを打つか、打たないか」についてです。
ワクチンを打ったとしても、コロナに感染する人がいる。
普通に考えると、ワクチンを作るのは、長い期間が必要だ。それなのに、完成するのが早いし、本当に信憑性があるのか。
などといった、ワクチンを打つ派と打たない派で論争していた時期がありました。
イワンが言う、神様がいるのに、苦しんで死ぬ人が、なぜいるのか?
現代の人が思う、ワクチンがあるのに、コロナにかかって自宅療養している人が、なぜいるのか?
という二つの意見や思いは、何か似ているなと、カラマーゾフの兄弟の「この章」を読んで、ふと思いました。
周りに流されず、自分の意見や考えに反逆しないよう、視野を広くして生きていく。
ということが、いいのかもしれません。
最後まで読んで、頂きありがとうございます。
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