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小学3年、「私ってだれ?」

そんな、「哲学」ってことば、小学3年生の時、知っているわけ、ないじゃない。

でも、今ならわかる。
誰にも言ったことない。
私だけの世界。

私って、いったい、だれなんだろう?

わずか20分ほどだったけど、間違いなく、私が小学3年生の時、そうやって真剣にこころに問うていた。

まだショッピングモールって言葉があちこちにない頃。

つまり、イオン系列がそこまで広がっていなかった頃。

もっと言えば、「イオン」、じゃなくて、「ジャスコ」、だった頃。

「ジャスコ」併設のショッピングモールの帰り道、山を下るぐねぐね道で、
その頃は後部座席なんてシートベルトしていなかったから、体をあちこちにぶつけて、

そんな時に、ふと出てきたの、今でも忘れない。

「こんな感じでおしゃべりしている私、8〜9年前はなかったってことでしょ?」

こころの中で、勝手におしゃべりが始まった。

「おしゃべりしている私がいるけど、からだとしては8〜9年前にはなかった。」

「逆に、お年寄りになって、死んだ時、おしゃべりしている私はどこへいくの??」

前世とか、理科「ヒトの誕生」とか、一切知識がない中で、深い疑問が、それも突然やってきた。

「おしゃべりしている私って、だれ?」

わからなかった。

30分もすればたぶん家に着くから、わからない、重い感覚は20分ほどだっただろう。

小学3年、何していたっけ?

記憶がない。

、と言えば嘘になる。

記憶が薄い。

悩んでいたなあ、って思う。

というより、毎年、各学年1個は重い悩みのテーマがあった。

その中でも、小学3年は、楽しかったイメージがない。

だからこんな不思議なテーマ「私ってだれ?」にたどり着いたのかもしれない。

この頃から内向的だった、発達障害だった、

〜だった。

すべてなんやかんや、環境のせいにしていた。

放課後、友達と遊ばないのは、そもそも近所に誰も子どもがいなかったから。
(別に遠くまで行ったっていいじゃない)

友達と遊ぶのは、年に1回のイベントと勝手に思い込んでいたから。

そりゃ、孤独感、チビながらに感じるよね。

けど、それが私の知る世界の大きさだった。

すごく狭くて小さいけど、深さはとことん深かった。


たぶん、同年代のみんなは笑って過ごす場面をすごく真剣に捉えていたんだろうなあ。


今、もだけど、時々あるよね、自分と他の人との間に薄いベールのような半透明の膜があるって感じること。

で、ちょっとだけ、息苦しいんだよね。

歳を重ねるにつれ、だんだん、どんどん息苦しくなるなんて、小学3年の時、知る由もないけど、
当時ちゃんと感じていた。

ひとつだけ、当時の自分に声をかけたい。

「それ、おかしなことじゃ、ないからね」

今、もだけど、こうやっておしゃべりするの、否定したら私がどんどん消えていくの、わかるから。

「しんどかったね」

今自分にできることは、自分に「しんどかったね」と言うことだ。

「私ってだれ?」の旅は、今後もつづくよ。


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たななこんぶ

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