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最後の旅ルーマニアとバックパッカーの定義について

前回の投稿を書いた時はまだまだ半袖、靴下なしで過ごせる9月中旬、次は大好きなチリの美しい海岸について書こう!などと思っていたが、今やすっかり季節は秋。寒いのが苦手でこの時期急速に元気がなくなり気持ちが落ち込むのは例年のこと。
窓の外の秋空をしんみり眺めながらどんなことを思い出すかといえばやはりルーマニアのことだろう。

2017年10月、直近最後に行った外国、ルーマニア。そこから早5年、ただいまバックパッカー休止中。そもそもあの休止前最後の旅ルーマニアで私はバックパッカーだったのか、というお話。

過去、旅を専業としていた時もあり、一つの国には最低でも2週間、できれば1ヶ月、どれだけ短くても10日は滞在すべしと思っていたのだが、2017年、気づけば私はIT企業の社員だった。
なんとか1週間休みをもらい、旅(及び人生)の相棒Y子と行き先を相談。もはや場所はどこでもいいという気持ちもあったが、最終的に候補に上がったのがイランとルーマニアだった。
正直イランの方が惹かれたが当時イランはグローバルポケットWiFiの対象外エリアでもあり、仕事を休んでいく身としては懸念材料になり結果ルーマニアになった。

5泊8日のルーマニア旅。首都ブカレストに着いて早々私たちは15時間の寝台列車に乗る。世界一陽気なお墓とやらを見るために。
寝台列車は1つの個室に3段ベットが2つあり、相部屋メンバーが皆シニアだったので私たちが3段目にいくことにした。
3段ベットの一番上はかなり高く座っても頭をぶつけるほど天井と近く、狭すぎて上る時もなかなか上れず足をバタバタさせて上った。
18時前に出発し、暖房の効いた車内で眠り、翌7時頃目が覚めてトイレに行くためにベッドから降りた。ちょうど夜が明けてきて、ガタンゴトンと通り過ぎていく光景に車窓から目をやるとそれは最高にうら寂れた田舎風景だった。
ボロボロの家、積まれた藁、所々残る雪、ぽつぽつと羊、転がるかぼちゃ…
一体なぜ何十時間もかけてこんなところに…という気持ちと、そう私たちはただ遠くに来たかった、まさにこれを見に来たのだという確信に胸が熱くなった。

10月末のルーマニアは想像以上に寒く旅の間ずっと曇天で、晴れ間の写真は一枚もない。
なんとかたどり着いた「陽気なお墓」は興味深くはあれど日本の民族博物館で見たものほぼそのままで、世界遺産であるブルサナの木造教会も悪くないのだが人っ子一人おらずすぐ手持ち無沙汰になった。

何をしたというわけでもないこの旅の、あの車窓からの風景を今でもありありと思い出す。遠くに行くということだけが目的の旅。
日本人には1人も会わなかったし、かわいい雑貨もあまり買えなかったし、現地の人は英語が話せない人が多くほとんど交流できなかった。
あれが最後の旅になるとは。世界の半分と称されるイランのイスファハーンの方がよほど話のネタにはふさわしかっただろうに。
でもあれこそが私の旅の原風景だとも思う。

ところでこの旅の最中、ふとバックパッカーてなんだろね?という話になった。その名の通りバックパックを背負って旅してる人のことだよね?
学生時代に個人旅行を始めた当初、バックパックで旅行するというスタイルすら知らなかった私は実家にあった母の小さなスーツケースに荷物をパンパンに詰め込んでモロッコの細い路地をガラガラ引っ張りながら歩いたものだったがあの時は私はまだバックパッカーではなかったのだろうか?

そんな話の流れでルーマニアのカフェで「バックパッカーとは」でググってみると、なるほど、ある記述によれば(色々と歴史と経緯はあるようだが)バックパッカーとは"バックパックを背負っているか否かではなく少しでも安く旅をしようとしている旅人のことである"、ということらしい。とにかく安さに重きを置いているのがバックパッカーであると。
それでいえばスーツケースを引きながらモロッコを歩いていた私もバックパッカーだったといえる。なにしろお金がなくて日本でバックパックも買えなかったくらいだったのだから。
本当に、過去の旅でも何度も10円程度のことで粘った記憶がある。数円の両替レートの差のために両替所を転々とし、意図せぬところで数百円多く請求されようものなら本気で激怒してその理由を問いただしていた。
良し悪しは置いておいて、あの情熱と信念、あれは間違いなくバックパッカースピリットと言えるだろう。そして金がない=働いていない、ということが往々にして言える。そういう意味でもかつて私は自信を持ってバックパッカーだった。

でも今は…?ルーマニアで自分達を振り返り、相変わらずろくな服を着ずバックパックこそ背負ってはいるが、安さより効率を重視し、カフェテリアでそこそこ充実したセットの朝食を頼んでいる今の私たちがバックパッカーの心を持っているのかといわれると、件の定義で言えば正直なところ怪しい。それは寂しい事実だった。
いつからそうじゃなくなったのか、そんなことはどうでもいいけれど、時の流れと諸行無常がそこにはあった。自分でそうしようと思ったわけではないのに。

あれから5年経ち、なんだかもう夢のように思えてしまうことが悲しいけれど、それでも私は粛々と、いつかまたバックパックを背負って安宿に泊まる日を夢見ている。

All Photography by 田中閑香

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