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タナカさんの過去を知りたいかい??

今回は少しテイストを変えて
【私のことについて】書いてみようかしらん??
と思いました。

先に言っておく

重いぜ!今回のnote。

こんにちは、(ほぼ)無職のタナカさんです。

無職じゃまずいだろっ!!ってことで
今はセルフベーシックインカム(早い話が貯金の切り崩し)と
フリーで動画編集をしています。


なんで自分のことを書こうと思ったのか??


✅今日でフォロワー500人になりました。
✅ある方に言われたこと


✅今日でフォロワー500人になりました。
今日なんとフォロワーさんが500人になってました。
ありがとうございます。

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あれです、フォロワー数が全て、ではない事は
重々承知ですが、うん。
一つの目安としてね。

✅ある方に言われたこと

タナカさんって機械みたいですよね

これは先日、ある方とお話をした時に言われた言葉です。

ちなみに喧嘩してた訳じゃないですよw

その方とお話する中で
私というものを

◆人への興味が弱い
◆人と仲良くなるのに時間がかかる

と分析されていました。

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でしたね。

うん。

まぁそうなんですよね。

その理由は一番知っているんです私が。

まぁ今日は色んなタイミングが重なって
「自分自身」のことを書こうと思いました。

はぁ…本マに書くんかいな…

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ですが。
もう、書きます。


▼小さい時から自分が無かった



もうタイトル始まってますが。

重い話なんで、出来る限りポップに
書いてみようとは思いますが…


なんせ、重いと思うから
(しつこい)
ダウナーな気分の時はあんまり見ないほうが良いよ。

ちゃんと言ったからね!
書くよ!


▼小さい時から自分が無かった【改】

小さい時から

周りの目が他の子と違う目で見られていることを
感じることが多かったです。


そして
その目はなんとなく
あまり良い意味ではないこと
分かっていました。


私が住んでいる地域はいわゆる田舎で
「村社会」と呼ばれる閉鎖的な
コミュニティーでした。

私の母親は10代で私を生みました。

かと言ってヤンキーじゃなかったよ。
髪も黒だったしw

そして、私の記憶が始まったころには
父親は家にいませんでした。

周りからのあの目は
「片親でかわいそうなアユミちゃん」
という目でした。

そして、私の母親は歩いて10分の
実家に住むことなく
小さな家を借りて生活していました。

なぜかは分かりません。

母親なりのケジメだったのか、
母親と祖母とのドライな関係が
そうしたのかもしれません。

そして、今から考えると、
実家からや行政からお金の援助は
無かったような気がします。

10代で慣れない育児と働く中で
母親は疲れていくんです。

そして、徐々に自分の暗い感情を
自分の子供に
出すようになりました。

あ…でも殴るとかはギリギリ無かったよ。
大丈夫。

まぁでも…うん、
言葉を使って、とか
食べさせてもらえない、
はしょっちゅうあった。

いきなりキレたり、
それを理由に食事が無い事に対して
子供として

なぜ?

と考えるわけです。

でも、小さい頭で
考えに考えた結果

自分が決定的に何かやらかしている。
それが
母親を怒らせている

という答えを出しました。

そして

こんな毎日怒られる自分って
人間的に何かヤバいんじゃないか

という考えもありました。

そして、父親に対して

こんな毎日怒られる私のことが

いらなくなった

だから父親はいないんだ、
考えるようになりました。

こんな毎日怒られる出来の悪い子供は
どう考えても要らないでしょ、と。

今考えるとそうではないんですけどね。


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どうすれば母親から怒られずに済むのか

いかに母親を怒らせない様にすること

に変換されていきました。

そして行き着いた答えが

自分自身を徹底的に表に出さないこと





▼2つの出来事がさらに人に興味をなくさせる

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それは

✅痴漢経験
✅阪神大震災

✅痴漢経験
小さいころの私は
ロリ好きが好む顔だったのか、

よく痴漢の
体験をしました。

色んなものを見せられたり…
させられたり…


でも、その時を思い出すことは
今でもできません。

記憶ってすごいなと思います。
ありがとう記憶、そして脳。


歩いていたら、
後ろからバイクでピックアップされかけた時は
さすがに、
あっ…殺される…
と感じましたね。

まぁそのあとはよく思い出せないですが、
たぶん、何も無かったと思う。
思いたい…w

✅阪神大震災

私が小学校2年生だったころ
神戸を震源にした大きな地震がありました。
ちょうど、朝の6時になる少し前。

母親は働きに出ていて、家には誰もいませんでした。

窓がガタガタと強風にあおられたかの様に
音を立てて
そして地面が大きく揺れました。

これは、死ぬんとちゃうか…
と布団の中に小さくうずくまっていたのを
思い出します。

こうやって生死の体験を2度、
しかも1人で体験することで
思ったことは

自分の身は自分で守る。

結局、最後は自分でしか自分を守ることは出来ない。

だから

誰も頼らない

こんなことを小学生の頃には
思っていました。

たぶんこの頃から
あんまり人に対して興味がなくなったのかなぁ
なんて思います。

今、こう書いてて
「あ~あ…」と思ってますw




▼さらに自分がなくなるよ

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せめて画像だけでも、かわいいやつをね。



そしてとうとう、
私が12歳の時に
親の離婚が成立して
自分の苗字が変わることになりました。

苗字が変わるって
思いのほかダメージがありました。

今までの自分が

保存なしで 全て無くなった

感じがしました。

だからこそ
タナカという苗字が好きになりました。

タナカ アユミ

ってすごく特徴がなくて
匿名性を感じたんですよね。

どこにでもいそうな、特徴の無いこの名前が
自分が無い自分にピッタリだなと感じたんです。

今も結構気に入っています。


▼人との出会いは喪失を感じる

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人に興味がないというか、

出来る限り興味を持たない様にしている

のかもしれません。

小さいころの体験、
特に父親との関係で

人と仲良くなると喪失感を感じる

つまり

仲良くなったって
どうせこの人も私から
離れていくんやろうなぁ

と。

血のつながった父親でさえ
自分から離れていくのに、

血も繋がっていない人なんて
すぐに離れていく

と。


こいうった考えから
人に対してドライというか、
ひねくれた人間になったんですよね。



▼あ~もう限界です。終わりですっ

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くらげ、キレイ。




オチもなんも無いけど
そろそろ終わろうかなぁなんて。

重かったでしょ。お疲れさまでした。
でも自分の中ではもっと長くなるかな??

なんて思ってましたが、
コンパクトに書けました。

でもこうやって、
今まで犯罪を犯すことなく
生きてこれたのは

高校からの人との出会いですね。

会う人が優しい人が多くてね、
なんとか交通法違反ぐらいで
警察にお世話にならずに生活しています。
(一時停止無視って、警察のさじ加減よね!!)

人に対する興味とか
考え方がドライなのは
小さい時の父親との関係だったのか…と
このnoteを書いてしみじみ思いました。





▼さいごに

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青色が好きです。






あ~これから投稿するんだよなぁ…
あのボタン押すのかぁ


いつもと違う人間味あふれるタナカさんの
このnote
(自分言う図太さ)


どうだったか感想聞きたいなぁ…
なんて思ってます。

良かったらコメントしてね☆
(アイドルってこういう気持ちで言うのね)


最後に言わせてもらうと、
今でも母親は怖い存在ではありますが、
距離感を持って接しているので
大丈夫です。

中学校から本と映画を見まくったおかげで
母親側の気持ちを知ることが出来たので
そこまでどす黒い感情はないです。

仲は良い方だと思います。
(知らんけどw)


こんな長文よく脱落せずに読んで頂いた
そこのあなた!
優しさの塊かよっ!
ありがとうございます。

今後ともよろしくお願いします。

今日はいつものやつ
以下同文で今日は書きませんw


好き勝手書いている 私の記事ですが ありがたいことに ◆面白い! ◆その考えなかったわ! ◆また読みたい! と 仰ってくれる方もいます🙇 サポートして下さいなんて… 恐れ多いので 「これでジュース飲みな!」的な感じで ぜひサポートお願い致します。