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2022年のメモを振りかえる
iPhoneのメモに「メモれコピれmake money」というメモがある。
全てのメモをここに統一していて、ただただ月日は過ぎるので、こういう機会に見直してみる。
2、3箇所、給与とか暗証番号のガチメモは消して、あとはそのまま。
始まりは4月くらいなはず。
買いたいワインのメモだと思う。
AC houseというお店を予約しようとしたときに誰誘おうと思った経緯
書きたいよね
まだ買ってな
書きたい小説 (素敵な女性)
今年の四月、大学時代に書いた小説が講談社から本になった。この本にのっている五つのはなしもいれて、まだ十コぐらいしか小説を書いたことがない。大学三年から文芸科にはいり、レポートとして小説を書くまでは。小説を書こうなんて気はまったくなかった。書きたいことがあって書いたわけじゃないので、できた小説はどれも短い。本の題になった、『おやすみなさい、と男たちへ』がいちばん長くて、六十八枚。ほかは、二十枚から
もっとみるさりげなく酔えるロマンチック横浜、港町酒場探検記 (サントリーシスターズクォータリー 1989) 後半
次に訪れたバーは、山下公園から少し奥まった通りに面している『コージ』。
この店の洋酒の豊富なこと。カウンターの後ろの壁ぎわには、ずらりずらずらと、スコッチやバーボンのボトルが並んでいる。ボトルはピカピカに磨きをあげられ、壁のうっすらとした蛍光灯の光のなかで、キラキラと光っている。
思わず、「まあ、ホコリがつかないようにボトルをいつもきれいにしておくの、大変でしょう」と、聞いてしまった。定期的
目的者別専用道路の増設を (道と文化 1989)
西ドイツのブレーメンに、ドイツ人の夫がいるので、日本とドイツを行ったり来たりしている。
西ドイツの道路事情は、住宅事情と同様、日本より、はるかに良い。制限速度ナシ、しかも無料のアウトバーンが、西ドイツ中にはりめぐらされている。町のなかのすべての道路には歩道がついていることはもちろん、車道と歩道の間の、自転車専用レーンも充実している。
交差点の手前やバス停では、必ず、車線が増える。だから、
さりげなく酔えるロマンチック横浜、港町酒場探検記 (サントリーシスターズクォータリー 1989)
ヨコハマって、港、公園、しゃれたレストランと、アベックの好きなものがあり、デートに最適っていうイメージ。
しかし、自分自身について考えてみると、ヨコハマでデートしたことは何度もあるが、ちゃんとロマンチックな経験って、全然ないなあ−−−。
まだ明るいうちに、港の見える丘公園、山下公園などを、ハイキング気分で、せっせと散歩。中華街でお粥を食べて、そこいらの喫茶店でお茶を飲んで、東京へ帰宅。そ
忙しかった九州旅行 (石だたみ 1989.3)
博多といえば、おじいちゃん、お元気ですか。だいぶ、あたたかくなりましたね。
天神から歩いて十五分の、中央区舞鶴に、母の実家があり、今でも、九十九歳のおじいちゃんがいる。
おじいちゃんは、足腰はさすがに、ちょっと弱ったが、頭のなかは、はっきりしている。会うと、「親孝行しなさい。人生は、努力、努力、であるん」と、お説教されてしまう。
去年の暮にはドイツ人の夫のデイルクとおじいちゃんの家に
無題 テーマ:旅行達人のノウハウ (ザ・ホテル 1987.3)
わたしとドイツ人の相棒が一週間滞在したラザの宿では、シャワーが使えるのは夕方四時から七時までだった。うす暗い小屋で、霧雨のように少ししか出ないぬるま湯のシャワーを、鳥肌を立てながら浴びたあと、テラスで日光浴をした。
中国のチベットの中心である、ラマ教の聖地として古くから栄えた街、ラサは、標高三千六百mのところにある。高い分だけ太陽に近いからだろうか、空気は冷たいのに、九月中旬の陽ざしは、夕方
ボラれたタクシー (週刊小説 1986.10)
これまで、外国でタクシーに三回、ボラれている、
最初は八年前、ロサンゼルスで。二キロぐらいの距離で、メーターは二ドルもいってなかったのに、十ドルだといわれたから、払ってしまった。外国旅行になれていなかったので、まだ、英語で文句がいえなかった。
なぜか、その運転手は、「どこから来たか」とか、話しかけてきて、感じがよかった。わたしが降りるときには、「グッド・ラック」と、声をかけてくれた。朝か
「ドイツの白いアスパラガス」 (鎌倉書房 1988.4 "四季の味")
去年の二月から八月まで、西ドイツのブレーメンにいた。
東京の二月は、寒い日はあっても、もう、春がそこまで来ている気配がある。ところが大寒波は去ったとはいえ、ブレーメンの二月は、まだ、冬のまっただなかだった。三月になっても、東京のま冬以上に寒い日が続き、長い冬のトンネルを、いつになったらぬけられるのか、春が待ち遠しくて、たまらなかった。小さなクロッカスの花が咲き始めた四月、ふたたび吹雪になった
「ごはんが恋しい」 (とらばーゆ 1986)
外国を旅していると、日本食が食べたくなる。わたしは、嫌いな食べものはないのだが、辛すぎるもの、塩のききすぎたもの、油っこいものは苦手なのだ。だから、外国で、しつこい味のものばかり食べていると、さっぱりした日本食が恋しくなる。
去年の夏、ドイツのブレーメンの友だちの家に居候して、二ヶ月間、ドイツ語学校に通ったときは、せっせとお鍋でごはんを炊いては、生卵をかけて食べたものだ。
そのドイツ語学
飲みたい女、飲めない男 (とらばーゆ 1986)
これも、ずいぶん前のことだ。
酒を一滴も飲まない男とつきあったことがある。ある晩、その男と、ほかのひとたちといっしょに酒を飲んだ。といっても、もちろん、その男はコーラしか飲まなかった。キリッとおいしい焼酎があり、すすめられて、わたしはけっこう飲んだ。
その翌日、わたしは上機嫌で、男にいった。「きのうの晩の焼酎、おいしかったなあ。スイスイはいっちゃったけど、今日、ぜんぜん二日酔いしてないわ
別れましょう (とらばーゆ 1986.4)
だいぶ前のことだが、ある男のひとに、女と別れたいがどうしたら別れられるかと、きかれた。
彼は二人の女とつきあっていて、そのうちの一人をだんだん本気で好きになり、もう一方とは別れたくなった。ほかの女ともつきあっていることが本命にバレれば、ふられてしまうことは確実だと、あせっていた。
女と別れるなんてカンタンよ、ようするに、相手のイヤがることをして、嫌われてしまえばいいのよと、わたしはいった
「女の外国ひとり旅といっても特別なことはない。日本でできる人ならだれにでもできる」 (大コラム 1985)
海外のひとり旅といっても、バスか汽車が走っていて、宿がある場所なら、日本でひとりで汽車に乗り、宿をさがして歩けるひとはだれでも、行くことができる。逆にいえば、日本のなかでひとり旅ができないなら、外国でも、やっぱりムリだ。
わたしは女なので、ひとりで旅行すると、「女のひとり旅」ということになるのだが、外国にひとりで行っても、女だからといって、こわい思いをしたことも、トクしたこともない。五年前、
新婚半年だけど、出版界では出戻りなんだ… (調査情報352号 1988.6)
やっと、二冊目の小説集、「やさしく、ねむって」がでた。
一冊目の「おやすみなさい、と男たちへ」がでてから、六年もたってしまった。
「おやすみなさい」から六年たっても、「やさしく、ねむって」では、いつでもねむってばかり。睡眠時間はたっぷりでも、執筆時間はほとんどない、わたしの生活をあらわしているようだ。
一冊の保にまとめられる量の短編小説を書くのに六年もかかってしまった自分にあきれるい
"生きがい”が必要な人生なんて、さみしい 週刊就職情報 1985.8
大学を卒業して、一年間、西武デパートに勤めていたとき、組合の機関誌にのせるためのアンケート用紙がまわってきた。それに、「あなたの生きがいはなんですか?」と書いてあった。わたしは、「風呂にはいって、じゅうぶん睡眠をとること」と書いてだした。そのとき、「ああ、生きがいなんてことばがあったっけなあ」と思った。それから五年たったが、「生きがいについて」というテーマで、このエッセイを頼まれるまで、「生きが
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