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田中りえ

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母・田中りえが書いた雑誌掲載などを改めてまとめています。
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記事一覧

「浪人してもワセダに入ろう」<早稲田進学,1984.1>

  わたしは二浪して早稲田に入った。別に、早稲田をねらって浪人したわけではない。高校を卒業するまで、まったく勉強したことがなかったので、一浪のときも受けた大学を全部落ち、もう、ついでだと二浪した。一浪のときはどうせムリだろうと、早稲田は受けなかった。

 今でもよく覚えているが、通っていた予備校の最初の校内模試で、英語はなんと9点、偏差値11だった。要するに、問題はすべてチンプンカンプン、記号のと

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「浪人でもしようか」 小説現代 1985,テーマ:私の少女時代

 勉強はしなくても、中学までは成績がよかったというひとが、よく、いる。わたしも、勉強はまったくしなかったが、成績がよかったのは、小学校二年でオシマイだった。

 小学校のときは、まだ、フツウだったが、中学の成績は悲惨だった。得意科目はひとつもなく、勉強以外のことに熱中していたわけでもなく、運動クラブにはいっても途中でやめ、読んだ本の量も、多くない。

 作文をほめられたのも、小学校二年までだった。

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「文芸科にすすんで」 蒼生 1985.3

 わたしが学生だったときは、三年から専攻別クラスになった。べつに小説を書くつもりもなく、語学の成績が悪いので、仏文や英文はムリだしなあと、軽い気持で文芸科にすすんだ。

 はじめて小説を書いたのは、三年前期のレポートとして小説を書くようにと、平岡先生のゼミで課題がでたときだ。わたしが書いたのは、十五枚足らずの、小説というよりは作文のようなものだった。「レポート」提出後、先生が、「あまりに雑に書いて

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「男と女のモンダイはどこの国も同じ」 週刊サンケイ 1983.10 "私の映画評 『新しい家族』『インタビュアー』"

 去年の秋、シベリア鉄道でソ連を横断した。大平原をただひたすら走っていく汽車の旅は、それはステキだった。そこで、旅行記を書いた。ところが、やっと書き終わったら、なんと大韓航空機撃墜事件。事件直後はモスクワ行の飛行機も飛んでいなかったので、旅行記の出版はどうなる、とわたしはあわてました。やっぱりソ連はこわい国だとみんなはいうけど、ソ連のひとりひとりをこわいと思えない。

 だぶん、このソビエト二大女

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オフィスラブ (野生時代 月日不明)

 ノンノンノン

 オフィスラブ ノンノンノン

 これがわたしたちの合言葉でした。

 わたしたちとは、わたしと雪絵ちゃんです。

 わたしは、去年の4月、某百貨店に入社し、やはり新入社員だった雪絵ちゃんと出あいました。彼女は今年の3月に、わたしは5月に辞めてしまったので、1年足らずの短いあいだでしたが、わたしたちふたりは、

 ノンノンノン

 オフィスラブ ノンノンノン

 を合言葉に仕事ひ

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"生きがい”が必要な人生なんて、さみしい 週刊就職情報 1985.8

 大学を卒業して、一年間、西武デパートに勤めていたとき、組合の機関誌にのせるためのアンケート用紙がまわってきた。それに、「あなたの生きがいはなんですか?」と書いてあった。わたしは、「風呂にはいって、じゅうぶん睡眠をとること」と書いてだした。そのとき、「ああ、生きがいなんてことばがあったっけなあ」と思った。それから五年たったが、「生きがいについて」というテーマで、このエッセイを頼まれるまで、「生きが

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新婚半年だけど、出版界では出戻りなんだ… (調査情報352号 1988.6)

 やっと、二冊目の小説集、「やさしく、ねむって」がでた。

 一冊目の「おやすみなさい、と男たちへ」がでてから、六年もたってしまった。

 「おやすみなさい」から六年たっても、「やさしく、ねむって」では、いつでもねむってばかり。睡眠時間はたっぷりでも、執筆時間はほとんどない、わたしの生活をあらわしているようだ。

 一冊の保にまとめられる量の短編小説を書くのに六年もかかってしまった自分にあきれるい

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「女の外国ひとり旅といっても特別なことはない。日本でできる人ならだれにでもできる」 (大コラム 1985)

 海外のひとり旅といっても、バスか汽車が走っていて、宿がある場所なら、日本でひとりで汽車に乗り、宿をさがして歩けるひとはだれでも、行くことができる。逆にいえば、日本のなかでひとり旅ができないなら、外国でも、やっぱりムリだ。

 わたしは女なので、ひとりで旅行すると、「女のひとり旅」ということになるのだが、外国にひとりで行っても、女だからといって、こわい思いをしたことも、トクしたこともない。五年前、

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別れましょう (とらばーゆ 1986.4)

だいぶ前のことだが、ある男のひとに、女と別れたいがどうしたら別れられるかと、きかれた。

 彼は二人の女とつきあっていて、そのうちの一人をだんだん本気で好きになり、もう一方とは別れたくなった。ほかの女ともつきあっていることが本命にバレれば、ふられてしまうことは確実だと、あせっていた。

 女と別れるなんてカンタンよ、ようするに、相手のイヤがることをして、嫌われてしまえばいいのよと、わたしはいった

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飲みたい女、飲めない男 (とらばーゆ 1986)

 これも、ずいぶん前のことだ。

 酒を一滴も飲まない男とつきあったことがある。ある晩、その男と、ほかのひとたちといっしょに酒を飲んだ。といっても、もちろん、その男はコーラしか飲まなかった。キリッとおいしい焼酎があり、すすめられて、わたしはけっこう飲んだ。

 その翌日、わたしは上機嫌で、男にいった。「きのうの晩の焼酎、おいしかったなあ。スイスイはいっちゃったけど、今日、ぜんぜん二日酔いしてないわ

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「ごはんが恋しい」 (とらばーゆ 1986)

 外国を旅していると、日本食が食べたくなる。わたしは、嫌いな食べものはないのだが、辛すぎるもの、塩のききすぎたもの、油っこいものは苦手なのだ。だから、外国で、しつこい味のものばかり食べていると、さっぱりした日本食が恋しくなる。

 去年の夏、ドイツのブレーメンの友だちの家に居候して、二ヶ月間、ドイツ語学校に通ったときは、せっせとお鍋でごはんを炊いては、生卵をかけて食べたものだ。

 そのドイツ語学

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「ドイツの白いアスパラガス」 (鎌倉書房 1988.4 "四季の味")

「ドイツの白いアスパラガス」 (鎌倉書房 1988.4 "四季の味")

 去年の二月から八月まで、西ドイツのブレーメンにいた。

 東京の二月は、寒い日はあっても、もう、春がそこまで来ている気配がある。ところが大寒波は去ったとはいえ、ブレーメンの二月は、まだ、冬のまっただなかだった。三月になっても、東京のま冬以上に寒い日が続き、長い冬のトンネルを、いつになったらぬけられるのか、春が待ち遠しくて、たまらなかった。小さなクロッカスの花が咲き始めた四月、ふたたび吹雪になった

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ボラれたタクシー (週刊小説 1986.10)

ボラれたタクシー (週刊小説 1986.10)

 これまで、外国でタクシーに三回、ボラれている、

 最初は八年前、ロサンゼルスで。二キロぐらいの距離で、メーターは二ドルもいってなかったのに、十ドルだといわれたから、払ってしまった。外国旅行になれていなかったので、まだ、英語で文句がいえなかった。

 なぜか、その運転手は、「どこから来たか」とか、話しかけてきて、感じがよかった。わたしが降りるときには、「グッド・ラック」と、声をかけてくれた。朝か

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無題 テーマ:旅行達人のノウハウ (ザ・ホテル 1987.3)

無題 テーマ:旅行達人のノウハウ (ザ・ホテル 1987.3)

 わたしとドイツ人の相棒が一週間滞在したラザの宿では、シャワーが使えるのは夕方四時から七時までだった。うす暗い小屋で、霧雨のように少ししか出ないぬるま湯のシャワーを、鳥肌を立てながら浴びたあと、テラスで日光浴をした。

 中国のチベットの中心である、ラマ教の聖地として古くから栄えた街、ラサは、標高三千六百mのところにある。高い分だけ太陽に近いからだろうか、空気は冷たいのに、九月中旬の陽ざしは、夕方

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