新婚半年だけど、出版界では出戻りなんだ… (調査情報352号 1988.6)
やっと、二冊目の小説集、「やさしく、ねむって」がでた。
一冊目の「おやすみなさい、と男たちへ」がでてから、六年もたってしまった。
「おやすみなさい」から六年たっても、「やさしく、ねむって」では、いつでもねむってばかり。睡眠時間はたっぷりでも、執筆時間はほとんどない、わたしの生活をあらわしているようだ。
一冊の保にまとめられる量の短編小説を書くのに六年もかかってしまった自分にあきれるいっぽうで、もともと筆無精なのに、なんとか、ここまで続けてこられてよかったと思う。
大学で文芸科にすすむまで、小説を書く気は、ぜんぜんなかった。文芸科では、レポートとして小説を提出することができ、ふつうのレポートより、小説のほうが余白が多くてラクそうだから、作文を書くような気分で、いくつか書いた。わたしの小説に短いセリフが多いのは、余白を多くつくりたいと思いながら書いているからだろう。
べつに書きたいこともなくはじめたので、学生のときに書いたのは、大学生の男女がくっついたり離れたりするはなしばかり。ストーリーはてきとうにつくったが、登場人物は、身近なひとをモデルにした。みじめな役柄をふりあてられた文芸科の男友だちは、「便所でしゃがんでいるときに、いきなり戸をあけられた気分になった」といった。でも、「オレの書いたものよりおもしろい」ともいってくれた。人の良い友だちばかりで、よかった。
大学時代に書いたのが本になったのは、大学を卒業して、ちょうど一年たったとき。そのころ、わたしは、西武デパートに勤めていて、文房具売場で、「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」の日々。文房具を仕入れてタナに並べるのはたのしかったが、商品を包装したり、レジのお金を数えるのは大の苦手。胃が痛かった。百万円当たったら仕事をやめようと、毎週一枚ずつ宝くじを買っていたら、運よく印税がはいり、西武とさようなら。
それから、この六年間にしていたことといえば、本のあとがきにも書いたが、
『冬のシベリアを鉄道で横断したり、
サハラ砂漠の丘に登ったり、
ネパールの湖で泳いだり、
ソウルで焼肉を食べたり』
あとは、五年前にシベリアで知りあったドイツ人と、去年の暮、結婚したぐらいかな。もう、何年も、日本とドイツを行ったり来たりしていたから、結婚はしても、生活はこれまでと、ほとんどかわらない。
ともかく、お金がない六年間だった。収入は、たまになにかと書くのとアルバイトだけで、ケチケチ旅行とはいえ、ほうぼうに行ったから、あたりまえだね。結婚してダンナの扶養家族になって、ひと安心。でもドイツでは、夫が家計をしっかりにぎっていて、わたしはムダづかいができない。まあ、ダンナは医者だけど給料は安いし、わたしにはやりくりの能力はないし、いいんだけどね。こういうことをいうと、結婚歴が長い友だちから、「結婚したら、夫の稼ぎを好きかってにつかえると思ってたなんて、とんでもないことだ」と、あきれられた。
さて、わたしは、三十一歳をはいえ、結婚してまだ半年、新妻といっても、ちょっとずうずうしいが、まちがいではない。ところが、出版界では、出戻り。
最初の本のときは、「もう頬づえはつかない」の身延典子に続く、早大文芸科卒のデビューだと、たくさん宣伝してもらった。あのときは、二浪して、ぐうぜん早稲田にはいって、よかったと思った。ところが、芸者の水揚げのように、ハデなデビューはいちどしかできない。そのあと、さぼりっぱなしだったから、もうダメ。なにしろ、わたしの場合、筆無精だから、つらい。でもほかに取り柄もないのでなんとか続けてきて、ひっそりと二冊めをだした。
こんどの小説集、二十八歳くらいで、キャリアウーマンにも、おとなしく奥サンにもなれない女がたくさんでてくる。わたしも、今のダンナと出会っていなかったら、そんなふうになったんじゃないかしら。
男の倍もがんばって男と肩をならべて働く体力も精神力もない。かといって、アシスタント的な仕事はつまらない。大学時代、とっかえひっかえボーイフレンドがいたが、結婚してもいいと思ったときには、あたりにはだれもいない。お見合しても、暗いおじさんばかりでてくる。大学時代にはまわりにたくさんいた、性格がよくて、スポーツマンでといった男たちは年下の女の子につかまっていて、お見合市場にはでてこない。
フッと気がついてみたら、二十代後半。いったいわたしはどうなるのかしら。でも、つまらない男とあせって結婚するより、たまには海外旅行に行ったりして、独身でいたほうがいいのはあきらか。こんなふうに思っている女たちが妻子ある男と不倫したり、独身でいいヤツだけど、ぜんぜんアテにできない男とつきあったりする。ばくぜんと将来への不安を感じながらも、深刻に悩んだりせず、けっこうかるく、男とつき合う。
読みかえしてみて、あまりのバカバカしさに、書いた本人がふきだしてしますセリフもある。
たとえば、ほかの女と結婚した男ときれないままでいる主人公に、友だちが忠告する場面。
「どうして、いつまでもダラダラとつきあっているの。あんたちの関係は、もう、くさりきっているのに」
「くさってもタイ、というわけには、いかないかしら」
そして、この主人公と、その男との会話。
「もう、いいわよ。あなたのことは、エイズで死んだと思って忘れるから」
「エイズはひどいな。せめて、B型肝炎にしてくれ」
大学の寄席演芸研究会で落語をやっていたので、オチをつけて受けることばかりねらっている。これで売れるだろうか。心配だ。
七月に、この本をおみやげに、ドイツのブレーメンで働いている夫のもとへ行く。彼は日本語が読めないから、とても良い夫だ。
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