僕はどうやら無表情の人が苦手らしい。 僕にとって無表情は、イコール、怒っている、に該当する。 怒りを怒鳴りなどで露わにしているなら、まだよい。 近づかないようにしても、誰も何も言わないから。 むしろ皆で、怒ってたね・・なんて言えるから。 だが無表情はそうも行かない。 無表情はどこまで言っても、怒っていそう止まりだから。 怒っている確証が得られない。 なんか怒ってたよね・・なんて言っても、え?いつもあんな感じじゃない?って言われてしまったら、怒ってそうだなと思って避けた
人の話を聴くのが好きな理由には、2種類ありそうっていう話。 1つは、相手のことを知りたいから好き。 もう1つは、話を理解したいから好き。 相手のことを知りたいから好き。 何度も話を聴きながら、相手の思考や価値観を知っていく。 1枚の大きな塗り絵を、時間をかけて塗っていくような感じ。 話を理解したいから好き。 その瞬間瞬間の話題に対して、意図を理解していく。 シンプルな塗り絵を、その都度塗っていくような感じ。 今日話していた人は、相手のことを知りたいから好き、の人で、そ
レンガ積み職人の話ってありますよね。 3人のレンガ積み職人に、なにをしているんですか?と聴いてみたら 1:レンガを積んでいるだ 2:壁を作っているだ 3:大聖堂を建てているんだ とそれぞれ答える。 で、3の大聖堂を建てている、という目的意識が大切だよね。っていう話。 だけど僕は、明らかに1の人なんですよね。 レンガを積みたい人なんです。 積み上げたら大聖堂になるんだろうな、ということは分かっています。 だけど、なにをしているか?と聴かれたら、レンガを積んでます
新しいことをやるとき、僕はとてつもなく腰が重くなる。 目的、ゴール、ターゲット。 ベネフィット、手段、コンテンツ。 って、色々考えて、取り敢えずやってみればいい、と思ってはいる。 思ってはいるけど、進めようとしない。 やったことがないんだから、分からなくてあたり前。 一回で成功しないのもあたり前。 誰かにぶつけてみて、壁打ちしてみて、フィードバックとか、アイデアを貰いながら進んでいけばいい。 思っているけど、腰が重い。 思っているなら、パッパッとやればいいのに。 そ
妻は洗面所のタオルを、使用・未使用を確認せず洗濯機にいれる人である。 今朝、僕が洗面所で洗濯物をハンガーに掛けていると時、妻が顔を洗いに来で、おもむろに洗面所のタオルを洗濯機に放り込んだ。 僕は、使ったものか使ってないものか確認せず洗濯機に入れたのはなぜ?と聴いた。 「顔を洗うのに、新しいタオルを使いたいから」 なるほど。 確かに、顔を洗って拭う時は新しいタオルにしたいよな、と思った。 実は洗面所のタオルは、彼女が使う時点で新しいタオルになっている時がある。 僕が
今日。 なんで、やってないの? って言われてイラっとした。 いや、イライラっとした。 でも、なぜ、「なんで、やってないの?」と言われるとこんなにイライラするのか。 不思議に思ったので、ちょっと考えてみた。 結論はなんてことないので先に書きますが、その問いかけに、言っている人の評価・判断が入っているから、ということでした。 ”なんで、やってないの?” これは、やっていない原因を教えて?という問いかけ。 やっていない原因を発見して、次に起きないように改善しよう、という意
今日、2024年6月29日は、イベントの日。 人の話を聴くことに興味関心がある人たちが、たくさん集まった。 イベント終了後、軽く振り返りをしながら、 どんな聴き方であろうが、みんなそれぞれの場所で聴けばいいんじゃないか っていう話になった。 いやほんとそうだなって思う。 場所や聴き方はまったく関係なく、人の話を聴く、ということに興味関心を持った人が増えたら、その分だけ気持ち良く過ごせる時間が必ず増えると思う。 まー、なにより。 そういう人が増えたら、僕が色々と生きやす
めちゃくちゃお腹が痛い。 ホルモン焼きの後にピザは半端ねぇ。 用事が終わって電車に乗っている。 一緒に用事をした人2人、その隣に見ず知らずの居眠りメガネくん、その隣に僕が座っている。 目の前には、ディズニーのデカい袋を持った女性が2人、口を開けて寝ている。 おそらく、あくまで恐らくだが、本人たちにとってはみられたら恥ずかしい状態だろう。 だが僕からしたら、めちゃくちゃ気持ち良さそうですいいなー、である。 おそらく、あくまで恐らくだが、朝から丸っと1日ディズニーで楽し
心はそうそう動かない。 用事の前。 1人で狭いドトールでコーヒーを飲んでいる。 みんなはどこかで集合しているようだが、僕はこう言う時、単独行動しがちだ。 だって、どんな感じでそこに居たらいいかわからないんだもの。 先日読んだ本に、随筆は事象と心象が交わるところを書くって書いてあった。 心が動くって? いや全く動かない。 心が動くってどう言う事だっけ? いま心が動いていると言えるとしたら、ガラスの敷居越し斜め右前に座っている女性の顔がめちゃくちゃ綺麗で可愛いと思う
いま、多くの人は刺激に飢えている。 ショート動画を見続けてしまうのがいい例だろう。 ショート動画は一瞬で刺激が手に入る。 刺激が獲られない動画はを一瞬で手放し、次、その次と、フリックする。 何度もフリックしていると、必ずどこかで刺激が手に入る。 刺激の強弱は関係ない。必ず刺激が手に入ることが大事なポイント。 刺激に飢えている人にとって、次、その次と、探し続けられるところに、ショート動画の素晴らしさがある。 かく言う僕も、ご多分に漏れず、刺激を求めてショート動画を見続け
私は人の話を聴くのが好きです。 僕も好きだし、好きな人は多い。 何がそんなに好きなのか?と問われたら。 物語が聴けるから その人のことを知れるから 自分とは違う人生を疑似体験できるから 自分の気づきになるから というのが、僕がこれまで聴いてきた理由たち。 だが、今日対話させてもらった人は 「語彙力が変わってくるから」 と言っていた。 聴きながら、僕の目からウロコが落ちた。 自分の考えや感情を、フィット感を持って表現するためには、表現するための語彙を持ち合わせて
僕は、自分の文章がわりと好きです。 時折、noteの過去記事を読みながら、我ながらおもろいこと書いているじゃないか、なんて思ったりします。 Facebookでたまに何年か前の投稿が流れてくるやつ、あれを読みながら、そうだったそうだった、これでいいよね、なんて、過去の文章にうっかり勇気づけられたりもします。 一方で、誤字を見つけたり、うわっ読みにくっ、こんなこと下手くそだなーとか思いながら、しれっと直したりもします。 だから、僕は文章を書くことは好きです。 急に忙しく
あいまいで、てきとうで、素直で、正直 ちょっとダメで、ちょっと良く うそをつくところがある、ぶっちゃけるひとで 楽観的に、石橋を叩いて 遠慮しながら、猛進して 優しく冷たく、柔らかく硬い、ところが、僕にはあります。 いかんなー、もっと優しく柔らかくありたいなーと思うのですが。 遠慮という殻をぶち破りたいなーと思うのですが。 やりたいことをやりながら、やりたいことをやらないのが、いまの僕なのであります。 なんかちょっと詩っぽいことを書きたくてね。 でも全然できないのが、
僕は言語化することが好きなんだな。 そして、それを文章化することが好きなんだな。 面白い話を聴いたり問いかけを貰った時に、感覚的に湧いてくるものも、思考の流れも、どちらも言語化して文章にして書き出すことが好きなんだな。 僕は好きなんだが、他の人はどうなんだろうか。 うまく出来るかどうか、というよりも、好きかどうか。 僕自身、うまく出来ているとは思っていない。 いや、正しくいうと、自分なりにその瞬間はうまく出来たと思っても、後で見返すと、なにこれ・・、となることが多々多
数字で見えないもの、すぐに結果がでないものというのは、ものすごく難しく感じる。 人をサポートする、なんてことは特に。 瞬間的には、これで良い、と言い切れることは少なく。 時間が経ってから、あの時はあれで良かったんだな、ってなったりするし。 サポートを受けている本人でさえ、これで良い、なんて言い切れることは少ない。 信じれば救われる。 信じれば叶う。 人をサポートすることが、宗教のように思われるのも無理はない。 だって、概念的には宗教と似ているところが多々あるから。
具体的に何かが見えてくると、めちゃくちゃスッキリする。 漠然としているものが、構造的に分解・整理され、それぞれ何をしたらいいかが具体的にわかると、安心できたりして。 具体的に知ってスッキリしたいものの代表格に、自分が何者であるか、というのがある。 自分は何が好きで、何をやりたくて、どういう性格で、どんな価値観があるのか。 自分が何者であるか、具体的にわかると、スッキリするし、何をしたらいいのかわかってくる。 でもそれは、幻想なんじゃないかって思う。 自分が何者である