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自分が何者であるか沼 2024・4・5

具体的に何かが見えてくると、めちゃくちゃスッキリする。

漠然としているものが、構造的に分解・整理され、それぞれ何をしたらいいかが具体的にわかると、安心できたりして。


具体的に知ってスッキリしたいものの代表格に、自分が何者であるか、というのがある。

自分は何が好きで、何をやりたくて、どういう性格で、どんな価値観があるのか。
自分が何者であるか、具体的にわかると、スッキリするし、何をしたらいいのかわかってくる。

でもそれは、幻想なんじゃないかって思う。

自分が何者であるかを分解した結果として残るのが、言葉だから。

言葉はどこまででも具体化できるものなので、永遠に抽象的なものであるから。

なんちゃら診断で、自分はこういうタイプで、こういう人なのか、と一瞬スッキリした気持ちになるが、そのタイプはつまりなんなのかを、どこまででも具体化できてしまう。

自分探しの旅に、意味があると捉えるか、意味がないと捉えるかも、結局、その時の自分を表現するのが言葉である以上、言葉にできたことの意味はあるものの、もっと探求できてしまうので、意味がないとも言える。

だから、自分が何者であるかを知れたらスッキリする、は幻想なんだと思う。


ただ、唯一、それに近いことができるとするなら、具体的に何かをやってみることなんだと思う。
言葉として考えても永遠に抽象的だが、具体的な行動による経験は、具体的なもので事実に近いから。


結局のところ行動するしかないのかよ、って感じだけどね。
行動しないで済む方法ってないものなのかね。
VR技術が発展したら、ワンチャン・・・。

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