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移住者に聞く!「わたしが地方移住したワケ」

こんにちは、まさるです。富山県で移住お試しサービス「ためスモ」を運営しています。これまで、富山県に移住された方々にたくさんお話を聞いてきました。

移住してよかった点はもちろん、後悔や、移住者特有の苦労まで…。そこで、今回は「地方移住したきっかけ・理由」をまとめてみました。

そして、実際移住してみて、移住した目的は果たされているのか…?についても検証!

これから地方移住したいと思っておられる方、地方移住がちょっと気になるという方の参考になれば嬉しいです。

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◎都会から抜け出したくて移住

スナック「コスモス」からの景色

富山市八尾(やつお)でスナックと民泊「コスモス」を営むのは、東京の会社を定年退職し富山へ移住された鈴木建郎さんと、富山出身の奥様・ひさ子さん。

生まれは福島ですが、ずっと東京や外国で仕事をしていました。満員電車に揺られて、朝早くから夜遅くまで働く生活の中で「人生の充実感が得られず、自由な場所が欲しい」と思っていました(笑)。2003年に60歳で定年退職して、すぐに富山へ移住しました。

移住先が富山だった理由は?

もちろん、妻の故郷だったという理由が大きいですが、「おわら風の盆」は好きだったし、なんと言っても食べるものが美味しくて。魚の美味しさは日本一だと思います。

「おわら風の盆」とは、毎年9月1日から3日にかけて八尾で行われる行事。哀愁を帯びた三味線と胡弓、太鼓の音色と、味わいのある唄に合わせて踊り手たちが情緒豊かに踊りながら街をねり歩きます。

実際に、富山に移住されて願っていた暮らしはできていますか。

移住した八尾は、「おわら」のおかげか、文化的なレベルが高い町だと思います。音楽や歌によって人と人がつながっているというのも珍しい場所です。おわら文化が根付いているので、「美しさ」に対する意識が高く、地域の人々と話していても話が面白いんですよ。

都会にはない、豊かさのある暮らしをされているんですね。


◎映画に魅せられて移住

僕は営業職、妻は陶芸家として働き埼玉県に住んでいました。2012年に妻が映画「おおかみこどもの雨と雪」をみて感動し、2人とも白馬岳の山頂でしか足を踏み入れたことのなかった富山に移住ツアーで訪れてみることにしました。

そう語るのは埼玉県から移住された兵庫県出身の佐藤将貴さん。佐藤さんは県内いくつかの地域を見てまわり、最終的に富山県立山町に移住されました。実は立山町の新瀬戸地区は陶芸の里。陶芸家である奥さまがピンときたそう。ちょうど地域おこし協力隊の募集を行っていたことも後押しとなり、立山町への移住を決意されました。

移住に勇気は要りましたか?

いえ、声がかかってから4ヶ月後には、もう立山町に移住を完了していましたよ。決断できた理由は「面白そうだから」(笑)。
富山に行ってダメなら、故郷である神戸に帰ればいい。とりあえずバットを振ってみようという気持ちでした。

佐藤さんのご自宅から見える冬の日の風景

なるほど。実際に佐藤さんがお住まいの地域は映画に出てくる風景と同じように自然に囲まれた場所。理想の”田舎暮らし”をされているようです。

◎富山にしかない仕事がしたくて移住

バットを削る中塚さん

富山県南砺市は、木製バットの生産量日本一!ここに、バット職人になるためにバット工場に飛び込んできた青年がいました。兵庫県出身の中塚陸歩さんです。

兵庫にもバットメーカーはありましたが、メインで別のものを製造していることが多く、バット専業メーカーはありませんでした。
訪ねた製材所で、「バット作りで食べていきたいなら富山で修行する必要がある」とアドバイスをもらい、車で富山へ。
インターネットにはほとんど情報が載っていなかったので、アポなしでインターから近いメーカーから順に回っていきました。唯一、工場の中を見学できたのが、今働いている有限会社エスオースポーツ工業です。

社長を10ヶ月にわたって説得し続け、ようやく入社。今年で9年目になります。

9年経って、ようやく自信を持って削れるようになってきました。以前は苦手意識のある工程もありましたが、「なんでもできるよ」と自信を持って言えるようになりましたね。
多くのメーカーでは機械で作るのが主流です。パソコンで図面を書けば、機械が自動で作ってくれます。
ですが、僕たちは昔ながらの手削り一本でやっています。匙加減ひとつで、どんなバットも作れるのが魅力です。時代の波に逆らって、他のメーカーがやらないことを貫いていきたい、と思っています。

そう意気込みを語ってくださいました。初めは修行を積んで地元に戻るつもりだったという中塚さんですが、社長からあとを継いでほしいと言われ富山で定住することを決意されました。

◎転勤で富山に魅力を感じ転職&移住

全国転勤の会社に勤め、偶然北陸支社に配属になった東京都出身の小林剛さん。配属当初は北陸で経験を積み、数年で東京本社に戻る気満々だったそうですが…

北陸には「ニッチトップ」の製造業が多くあり、仕事は非常に面白かったです。
でも、経営者と話せば話すほど、北陸の保守性を痛感するようになります。
ニッチな分野で非常に素晴らしい技術を持っている会社が多いのに、思うように成長への投資が行われていないんです。そんな企業をたくさん見て、北陸の製造業をサステナブルに成長させるために貢献したいと思うようになりました。

こんな想いを持った小林さんは、北陸の製造業に転職することを決意。自分のミッションを成し遂げるために奔走されています。

また、絶賛マイホーム建設中だという小林さん。どんなおうちか伺うと…?

土地が80坪で750万円と驚くほど安かったので、思いっきり建設費をかけられました。
BBQのできる広い庭付きで、延べ床面積60坪弱のおうちです。家族団欒できる場所を広くとるため、24畳のLDKにしました。

とこっそり土地のお値段まで教えてくれました。

◎ただの偶然

休日は登山を楽しむ一ノ瀬さん

確かに転職は検討していたけれど、まさか自分が富山に移住するとは思っていなかった、と語るのは関西出身の一ノ瀬逸平さん。

20代は1ヶ月360時間くらい働いていた(笑)ので、30代はもっと自分に時間を使おうと思ったんです。ただ、仕事に関しては年収が上がり、かつ刺激的な仕事ができる職を見つけたいと思っていました。
そんな時に初めての富山旅行で出会った方から、理想的な仕事のオファーをいただいて、富山が一気に移住検討先として浮上しました。正直な話、年収は下がったのですが、その分生活にかかる費用は抑えられるので実質はそれほど変わらないかな、と考えて。

偶然富山旅行に訪れたことがきっかけで、移住の検討をするようになったそう。実は一ノ瀬さん、おうちも「偶然の縁」で見つけたんだとか。

ーー富山での家探しはどのようにされましたか?
土日を使って富山の不動産屋さんを回りましたが、前職がリフォーム会社だったこともあって目が肥えてしまっていて、なかなか見つかりませんでした(笑)。土曜日の夜に入った居酒屋で、偶然隣に座った方が不動産屋さんで、その方に紹介された物件が気に入り住むことになりました。

こんな偶然が重なって、富山暮らしを始めた一ノ瀬さん。その感想を伺うと…

休日はもっぱらアウトドアーー釣り、登山なんかを楽しんでいます。先日は立山登山をしました。平日の夜も四方(よかた)港、新湊港、海老江港などに釣りに出かけています。街中から海も山も30分ほどで行けちゃうのは関西での生活じゃありえないですね。もともとアウトドアが好きなんですが、これだけ楽しめるなんて本当に富山はヤバイっす(笑)。

と、めちゃくちゃエンジョイされていました。

***

富山へ移住された理由は人それぞれ。移住先に求めることも人それぞれ。

僕たち「ためスモ」では、一人ひとりのニーズに合わせた「お試し移住プラン」をご提案し、滞在中もサポートします。

これまで「ためスモ」をご利用いただいた方からは、
「単なる場所の紹介や住まいの斡旋ではなく、富山の人たちと交流し、富山の暮らしのリアルを体感できた」とご好評いただきました。

フラッとカバン一つで遊びにくる感覚で、ぜひ富山へお越しください。
皆さんのお越しをお待ちしています。

お時間がなかなか作ることができない方は、こちらの無料移住相談会も常時受け付けていますので、お気軽にお問い合わせくださいね。



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