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#富山でできるもんーーカメラマン兼ミュージシャン兼プログラマー!?

富山県でカメラマン、ミュージシャン、そしてプログラマーという三つのわらじを履いている矢地真也さん。

矢地さんは富山県の隣県・石川県内灘町ご出身で、アメリカの音大でドラムを学んだのちに富山へ移住されました。富山県へ移住した理由や、富山県における音楽活動のリアル、三つのわらじを履くに至った経緯を伺いました。

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◎音楽がきっかけで富山移住

矢地さん

ーー矢地さんが写真・音楽・プログラムという三足のわらじを履くようになった経緯を教えてください。

実は、カメラを本格的に始めたのは3年前、IT業界に入ったのも10年ほど前なんです。ずっと続けているのは、音楽だけです。

ーーカメラマンとしてのご活躍をよく耳にするので、カメラを始めてたった3年とは…信じられません。ドラムはいつ始められたんですか?

高校1年生の時です。でも、日本の音大に入るにはピアノが弾ける必要があったんですよね。そこで、ピアノの試験がない海外の音大に進学することに決め、アメリカのボストンにあるバークリーカレッジオブミュージックに入学しました。

ーーボストンでの暮らしはいかがでしたか?

2ヶ月間ホームステイしましたが、そのあとはアパートに一人暮らし。ちょっと危ないと言われていたエリアだったので、ホームステイ先のおじさんに「本当に大丈夫か!」と心配されていました(笑)。

大学ではドラムを2年間半勉強しました。「音楽で食っていきたい」と思っていたところ、東京からメジャーデビューする予定のバンドのドラマーとして働かないかと声がかかり、上京することに。

ーー東京でも活動されていたんですね。

でも、条件が合わなくて半年で帰ってきたんですよ(笑)。そのあとは石川の実家に戻り、金沢に新設された音楽専門学校の講師として4年ほど働きました。

土日にはドラムの演奏をしたり、教室を自分で開いたり、曲を作ったりしていました。すると、富山県の音楽好きの経営者の方と「よさこい」の音楽作りで知り合い、会社に「音楽部門」を新設するから、一緒にやらないかとオファーを受けました。2006年のことです。

ーー富山では「よさこい」が盛んで、頻繁によさこい祭りが行われていますよね。富山への移住に迷いはありませんでしたか?

常に「楽しいことをやっていたい」と思っていたから、特に迷いはありませんでした。

富山で家賃2万8000円の1Kのアパートを借りて住み始めました。住んでみたら富山ってとても住みやすかったんですよね。

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▲「何屋さん」かわからない写真

ーー具体的に、富山のどんなところが気に入りましたか?

静かなところと、人が柔らかいところですかね。同じ北陸でも、石川県とは全然違う気がします。「富山に引っ越してきました」というと、富山県人はとっても喜ぶんですよ。あっという間に懐の中に入れてくれて、仲間にしてくれます。

具体的な例でいうと、富山のパーティには富山のミュージシャンが起用されるけれど、石川のパーティではお金をかけて東京から有名人を呼んでくる、という感じです(笑)。ミュージシャンだけでなく、ローカルタレントさんもたくさんいて、県民みんなが彼らを大事にしているイメージがあります。

富山には企業がたくさんあり、経営者の方もたくさんいらっしゃいます。ロータリークラブやライオンズクラブの活動も盛んなので、音楽を演奏する機会が多いんです。

◎#富山でできるもん

▲矢地さんのインスタグラム

ーープログラミングを始められたきっかけはなんでしたか。

パソコンはずっと好きで、独学でホームページ作りは習得していました。そこで、ソフトウェアの会社に転職し経験を積むことに。それがプログラマーとしてのキャリアを始めたきっかけです。

そして今勤めている会社にも、音楽関係の繋がりでお声がけいただいて転職しました。音楽によって繋がれた縁でここまできたという感じです。

ーーそれでは、写真を始められたきっかけは?

ドラムの教え子から、アートの展示会を開くので、矢地さんも写真を出展しませんか?と誘われたんです。

それまで、カメラは風景を撮影するだけの単なる趣味でしたが、その機会にアートな作品撮りをしてみよう、と思い立ちました。

ーー思い立ってできちゃうのが矢地さんらしいですね(笑)。

通っていた富山市の美容室「coeur(クール)」の美容師・meguさんに相談したところ、「私も作品撮りやりたいと思っていた!」と言われたんです。そのとき、一緒に撮影したのがこの写真です。

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ーーす、すごい〜!処女作とは思えぬ完成度の高さです。

立山町の「」というカフェで行われたその展示会がきっかけで、カメラマンとしてお声がけいただくようになり、その時からInstagramも始めました。写真を始めたことで、一気に交友関係が広まり、人との繋がりが増えましたね。

ーーどんな想いで撮影されていますか。

一言で言えば、「グッとくる写真を撮りたい」と思っています。モデルさん本人も気づいていない魅力を引き出すことで、その人がもっと大きく、輝けたらいいな、と。

自分のエゴだけで撮ってしまった作品もあるんですが、やはり納得のいく仕上がりにはならなくて。その人を輝かせたいという軸は、最初の展示会の時から変わりません。原点であり、目指すところです。

その軸に沿って活動していたら、たった3年しか経っていないけれど、いろんな人が手を差し伸べてくれるようになりました。それも、富山の人の温かさゆえだと思っています。

ーー矢地さんのインスタグラムには、「#富山でできるもん」というハッシュタグが付けられていますよね。このハッシュタグを付け始めたきっかけは?

音楽をしていても「東京行かないとやっていけないよ」って言われるし、写真を撮っていても「写真で食べていくには東京にいく必要がある」って言われるんです。でも、これだけSNSが発達している時代に、東京である必要なんてないんですよね。

このハッシュタグがきっかけで、県外からモデルさんが富山にきてくれて、富山で撮影して、富山の美味しいものを食べてもらって、モデルさんが富山を発信してくれて…。それが少なからず富山にプラスの影響を与えていたら嬉しいです。

富山でもこれだけのクオリティのものができるってことを示したいし、このハッシュタグはいろんな人に使ってほしいと思っているんです。音楽や写真以外の分野でも、「富山でできるもん!」って。

◎家に音楽スタジオを作ればいい

ーー矢地さんが活動拠点を富山においている理由はなんでしょうか。

音楽で言えば、東京には確かにたくさん仕事があるし、練習場所もあるけれど、ライバルもたくさんいます。ドラムの移動に車は必須なので、コストもかかります。

そういったいろんな観点を考慮すると、富山での音楽活動が僕にとっては最適なんですよね。県内ではライバルが少ないから高いレベルのミュージシャンとして活動できるし、先ほどお話ししたように富山には富山のミュージシャンを大切にする風土がありますし。

ライブハウスは少ないので、素人で音楽をやりたいと思う人にとっては不便かもしれませんが、プロとしてやるなら家にスタジオを作ってしまえばいいだけなので問題ないですしね(笑)。

ーー自宅にスタジオ…?

はい。ご近所迷惑にならないように、周りにあまり人が住んでいない土地を買って、家にスタジオを作りました。ミュージシャン仲間は軒並みマイホームにスタジオを作っていますね。

僕の家を設計してくれた設計士の水野行偉さんとも、音楽がきっかけで繋がりました。僕の家、第46回富山県建築賞を受賞しているんですよ(笑)。

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矢地宅の外観

矢地宅の内観写真はこちら▶︎http://www.miz-hp.com/studio/studio.html

ーー建築賞受賞作品に住んでおられる方に、初めて出会いました(笑)。本当に素敵なおうちですね!自分にぴったりの家が建てられるのも、富山のいいところですね。これから矢地さんがやりたいと思っていることを教えてください。

音楽・写真を生涯続けていきたいですね。音楽と写真とプログラミングの3つは全く違う方向性のものだけれど、人生を振り返ってみると、全て縁で繋がっています。そんな繋がりを大切にしていきたいです。

富山に対して僕ができることは何かはわからないけれど、この富山という土地にはずっと留まっていたいと思っています。

ーー最後に、富山での暮らしをどんな方にオススメしますか。

音楽をプロとしてやりたい方や、家を思い通りに建てたい方、でしょうか。富山にいると、思い思いのマイホームを建てている人が多いので、自分もほしくなっちゃうんですよね(笑)。

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音楽にも写真にもプログラミングにも、全て本気で向き合い、高いクオリティを出し続けている矢地さんからは、プロとしての矜恃が感じられました。

「東京じゃないとできない」

そう思い込んでいることも、もしかすると地方でできるかもしれません。

私たち「ためスモ」は、みなさんの富山ライフを全力でお手伝いします。
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