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湯を沸かすほどの熱い富山への愛〜地方移住&地方覚醒〜

縁もゆかりもなかった富山に、「永住します!!!!!」そう宣言してやってきた一人の青年がいます。

株式会社TOYAMATO取締役の中谷幸葉さんです。

富山を覚醒するーー縁もゆかりもなかった富山に、アツすぎる想いを持って移住した中谷さん。その想いを語っていただきました。

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◎「富山に永住します!!!!!」

ーー関東生まれ、関東育ちの中谷さんが、富山に移住したきっかけを教えてください。

新卒で勤めていたメガバンクで、いろんな経営者の方と関わる機会がありました。その中のお一人が、青井茂さんでした。

青井さんは、東京で不動産事業をする株式会社ATOMの社長で、おじいさんは富山県出身でマルイの創業者である青井忠治さんです。ちょうど、富山で新会社を立ち上げようと動いておられるところでした。

ーー青井さんとの出会いが、中谷さんの人生をガラリと変えたわけですね。

富山のことを語る青井さんがキラキラして見えて。僕は「誰と働くか」「どんなことができるか」を重視して仕事を選びたかったので、株式会社ATOMに転職することにしました。

当時、北陸新幹線効果もあり金沢はとても注目を浴びていましたが、富山の良さはまだ誰も発信できていませんでした。

富山には「余白」があるから面白いんだと青井さんは常々言っていました。東京は完成された街で、余白がなく、つまらない。

それを聞いて、富山湾と立山というどこにもない強みを持ちながらも、まだ余白がたくさんある富山では、面白いことができそうだとワクワクしました。

ーー初めて富山を訪れた時のことを教えてください。

新湊の内川の景色が日本離れしていて驚き、八尾(やつお)のおわら風の盆に感動しました。

新湊・内川の景色 ©︎とやま観光推進機構

▲おわら風の盆

東京にいたら絶対に味わうことのできない感覚でしたね。心の幅が広がったというか、感性が研ぎ澄まされたというか…。

「富山すごい!」と一気に虜になり、気付いたら「富山に永住します!」と宣言していました(笑)。

ーーとても勇気のいる決断ではありませんでしたか。

もちろん、当時はうまくやっていけるんだろうかという不安はありました。青井さんは普段東京ですし、富山での事業は僕が中心でやっていかなければいけなかったので。

でも、市役所に転入届を提出したら、窓口の人が「東京から移住してくださったんですね!」ととても喜んでくれたんです。それがとても嬉しくて。

ーー最初のお仕事はどんなプロジェクトでしたか。

富山市中心部でクリスマスにテントサウナのイベントを実施しました。城址公園の指定管理事業を受託していたので、まちの中心部に新たな賑わいをつくるためのプロジェクトでした。

富山で初めての仕事はテントサウナのイベントだった

各社との調整も、スポンサー集めも、消防署や警察署への届出も全部自分でやりましたが、自分の無力さを感じましたね。いろんな人に助けられてやり遂げられました。富山県人らしいお節介な人たちがたくさん出てきて、気付いたら20人近くのチームになっていて(笑)。メンバーは見返りを求めない人たちばかりでした。

そして、たまたま富山の大学生が運営するシェアハウス「寄処(よすが)」に立ち寄ると、「学生たくさん集めますね!」と言ってくれました。本当に心強かったです。

ーー気付いたら、お節介な富山県人たちに囲まれていたわけですね。

そうなんですよ(笑)。これから移住される方には、「無理にコミュニティに入ろうとしなくていいよ」とアドバイスしたいです。だって、入ろうとしなくても、気付いたら入ってますから。

ーーなるほど(笑)。

移住後しばらくして、北日本新聞社(富山の地方紙)や富山出身のプロ野球選手・石川歩選手と共に株式会社TOYAMATOという会社を立ち上げ、取締役に就任しました。

地方創生ではなく「地方覚醒」を合言葉に、幅広い事業を展開しています。

(左)中谷さん

ーーこれまでで、思い出深いプロジェクトはありますか。

2020年4月にオープンしたレストラン「ビビビとジュルリ」のプロデュースですね。富山駅北にある「富山県美術館」の館内レストランです。

当社として初めてのレストラン経営だったので、ノウハウが全くない中でのスタートでした。10月にプロジェクトが決まり、4月オープンというなかなかハードなスケジュールで…。

ーーどんなコンセプトのレストランですか。

富山を発信する拠点とするため、県内15市町村の食材を使ったり、富山の食器を使ったりしています。家族で訪れていただくための工夫をしたり、美術館の企画展とメニューを連動させたりも。関係者が多いプロジェクトでもあったので、調整が非常に大変でした。オープンの日には自然と泣けてきましたね。

学生時代、サッカーの試合で負けて泣いたことはあったけれど、嬉し涙は初めてでした。

ーー今後、富山で起業を考えておられる方や、富山で新しい事業を始めようと思っている方に一言お願いします。

県外から移住すると疎外感を感じるかもしれませんが、一回飛び込むと、富山の人はみなさんいい人です。自分は本気であること、熱量を伝え続けるのが大事だと思っています。

正直な話、出る杭は打たれます。もちろん応援してくれる人の方が多いのですが、妬みの対象にもなるし、足を引っ張られることもありました。でも、最終的には覚悟を見せれば絶対に応援してくれる、というのが僕の実感です。

そして、地域のこれまでのやり方を否定しないことも大事かと。東京の価値観は当たり前ではありません。自分が富山に寄せていくつもりで生活してみてください。

ーー2年間、出る杭であり続けた中谷さんだからこその言葉ですね。

でも本当に、手を差し伸べてくれる人がたくさんいるんですよ。

大雪の日にスタックした時、周りの運転手さんたちがスコップ片手に次々出てきて、助け出してくれたことは忘れられません。

自損事故を起こした時は、近所のおばちゃんたちが集まってきて、「寒いからうち入られ!(入りなさい)」と言われて、気付いたら知らない人の家に上がっていたりもしました(笑)。

◎富山の「教育」に関わりたい

ーー今後、中谷さんが富山でやっていきたいことを教えてください。

両親が教師をしていることもあり、「教育」に携わりたいという気持ちが高校生の時からありました。

TOYAMATOでも現在、教育事業を展開しています。先日は、富山県のカメラマン・イナガキヤストさんと中学校で授業をしてきましたし、コロナ禍では「Think at home」というスポーツ選手と子どもたちをつなげるプロジェクトや、オンライン修学旅行などもやりました。

オンライン修学旅行

さらに、僕自身が起業して富山に自由大学のような学校を作りたいと考えています。学びたい時に、学びたいことを学べる機会を作り、単なるインプットの場ではない、感性を生かした教育の場を作りたいんです。

日本を代表する富山出身の経営者はたくさんいらっしゃって、マルイ創業者の青井さんだけでなく、YKK創業者・吉田忠雄さん、ゴールドウィン(NORTH FACEを展開)創業者・西田東作さん、ホテルニューオータニ創業者・大谷米太郎さん、博報堂創業者・瀬木博尚さんなどなど…。

富山に息づく経営者のバイタリティを、後世に受け継いでいきたいと思っています。

◎富山で彼女ができました!!

ホタルイカすくいフル装備

ーー富山の住環境はいかがですか。

はじめはシェアハウスに住み、会社のメンバー3人でルームシェアし、つい1週間前から一人暮らしを始めました。

一人暮らしの物件は、オフィスから20分以内を条件に探しました。東京にいた頃を考えると、どこも安く感じますね。5万円台でいくらでも新築物件が見つかるので…。

ーー富山での暮らしの良さはどこにあると思いますか。

空気が美味しいことと、立山連峰の景色の美しさです。そして雪の多さには興奮しました。昨年、35年ぶりと言われるほどの大雪を体験できて嬉しかったですね。

ーー富山で暮らしたり、働いたりする上でネガティブな面はありましたか。

車社会に衝撃を受けました。県内あちこちに行くのも仕事なので、車なしでは難しいと思い車を買いました。富山市内は路面電車が発達しているのでなんとかなるかもしれませんが、それ以外の地域は車なしだと難しいんじゃないかな…。

ーー中谷さんのプライベートの過ごし方についても教えてください。

喫茶店巡りが好きで、「珈琲とパンの店やまむろ」のサンドイッチ、店内を鉄道模型が走る「ブルートレイン」がお気に入りです。

食事はほとんど外食です。よく行くのは、アオヤギ食堂サンカレーペンギン食堂餃子会館です。

魚津市にある金太郎温泉の泉質が好みで、よく入りにいきます。

アクティビティでいえば、春にホタルイカすくいをしたことが印象深いです。シェアハウス仲間と一緒に海に入り、人より多く獲ろうと欲張った結果、ウェーダー(胸元まで覆う胴長の長靴)に水が入ってきてびしょびしょになりましたので、皆さんお気をつけください(笑)。

※ホタルイカすくいについてはこちらの記事もご覧ください。

ーー「富山に永住する」という想いは変わりませんか。

変わりません。実は少し前に彼女ができたんです。富山で結婚して子供も持ちたいし、マイホームも建てたい。富山で子育てすれば、子どもに「本当に大切なこと」を伝えられると思うんです。のびのびとした暮らしや、生きる喜び、「食」への感謝を感じるには富山はぴったりの場所なので。

「結婚なんてしなくていいや」と思っていたこともあったんですが、最近は「小さい幸せ」がほしいなあと思うようになりました(笑)。

ーー最後に、これからの意気込みを聞かせてください。

「富山にどれだけ人を増やしていくか」が最も重要なミッションです。富山を出た子どもたちが、また戻ってきたいと思える富山を作りたい。

移住してからの2年で意識が「自分はこうしたい」から「富山のために何ができるか」に変わってきました。自分が住んでいる間だけでなく、次世代にもしっかりと魅力的な富山を残していきたいんです。

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一人の経営者に惚れ、富山に惚れ、富山のために奔走し続けた中谷さんの2年間。

富山への愛は止まるところを知らず、加速するばかり。これからのTOYAMATO、そしてこれからの中谷さんから目が離せません。

実はTOYAMATOは、富山ワーケーションポータルサイト「めぐるとやま」も運営されています。ワーケーション先を探しておられる方の参考になること間違いなし!

ん?「ためスモの競合他社なんじゃないですか?」ですって?

僕たちはそんな狭い視野でこの事業をやっているわけじゃないんです。そう、富山を思う熱い気持ちは同じ。

中谷さんも、僕たちも、みなさんのお越しをお待ちしています。


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