私と母の奮闘日記
パーキンソン病の母と 虐待されていた私が 一緒に暮らすということ
#1 はじまり
母のことはもちろん好きではありません。子供の頃のことなんて思い出したくもありません。でも、私はこの選択をしました。もちろん散々悩みました。
母がパーキンソン病を患っていると知ったのは、3年前。母が発病して、7〜8年経った頃です。
大学入学と同時に実家を出た私。以降、母とは、年に1回連絡を取るか取らないかという繋がり方をしていました。数年間音沙汰なしという方が普通なくらいです。そんな関係だった母が病気のことを知らせて来たというのは、衝撃的なことでした。
「一緒に暮らさない?」
病気を告白した母は、私に言ったのです。
私は独り身だったものの、一応、一人で暮らしていけるだけの働き口はありました。楽な仕事ではありませんがやりがいはあり、そこそこ刺激のある生活を送っていました。
祖母が亡くなった連絡すらくれなかった母が、自身の病気を私に打ち明ける…。
しかも、私に伝えたその声は、老化したからなのか病気の影響だからなのか、妙にか細く聞こえてしまったのです。
歳を重ねた母は、何かが変わっているのかもしれない。長らく会っていない母を思うと、胸がざわつきました。父は私が学生の時に病死しており、母は一人で暮らしているのです。
パーキンソン病。耳にしたことはあるものの、どういう病なのか知らない私。ネットには様々な情報が溢れていました。
”認知症になりやすい”、”寝たきりになる”、”完治はない”…。
「パーキンソン病…」
気が付いたら呟いていました。
病状はどこまで進行しているのだろう。一人で生活できているのだろうか。幸い、近くに妹家族がいるものの、不自由はないのだろうか…。
あれだけ苦しめられた母なのに、あれだけ憎んだ母なのに、あれだけ許せなかった母なのに、それでも心は揺さぶられてしまったのです。
「絶対に戻っちゃダメだ!」 サイレンは鳴り止みません。一方で、それと同じくらい「これが”親子”になれる最後のチャンスだよ」という甘言も脳みそを引っ掻き回すのです。
そして、私は決断しました。
「やっぱり”親子”になってみたい」
このマンガ+エッセイは現在進行中です。結末はわかりません。でも、ハッピーエンドで終わりたいと心の底から願っています。
今、私は長らく”外”と繋がれていません。話す相手は愛猫とレジ店員と、たまに母…という始末です。日に日に募る”外”と繋がらなくては…と、noteへの投稿を始めることにしました。
また、こうしてマンガや文字で吐き出すことで、鬱々とした気持ちに整理がつけばとも期待しています。
現在の母の病状は”中度”ですが、パーキンソン病の情報なども伝えていく予定です。
ど素人のマンガとエッセイで見苦しいかと思いますが、応援していただけると力になります。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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いつか母と仲良くなれたら、母と私と猫さんで旅行に行きたいと思っています。 野っ原をのんびりと散歩。 母との生活は始まったばかり。 夢は大きく、まだまだ諦めません^^