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わたしは何もできない


わたしは何もできない。

家の掃除をすることや、庭の掃き掃除、

仏壇に生ける花の世話やその付帯作業、

親の死を目前にしている彼女たちを労ること、

自分の感情を殺すことしかできない。


先月、わたしは会社を辞めた。

わたしはわたしのした選択に後悔はない。

何より愛おしくて、わたしの全てで、

絶対的存在である祖母の近くにいたかったから、

東京から実家へ戻ってきた。

会社は〝うつ病〟と診断され、三ヶ月後に辞めた。

祖母が入退院を繰り返すのを、現状が分からない離れた地で

あれこれ考えていたせいだと自分では思う。

今は話すことも目を開けることも困難な状況の祖母を

わたしは携帯の画面越しに見ることしかできない。

病室には登録制で2人までしか入れないのだ。

コロナのせいだと言えばそうなのだが、

そんなもののせいにしても何も解決しないし、何も生まれない。

感情をぶつけることも、もはやわたしの中では、どうでもいいのだ。


祖母の子供たち(わたしの親の兄弟)は、

限りある時間の中で、自分たちが後悔しないように、

祖母にあらゆることをしている。

祖母との思い出をさらに重ねるように。

受け止めなければならない現実と、

受け止めきれない感情の狭間で、

わたしは彼女たちに言葉をかける事しかできないのだ。

彼女たちが手一杯でできない家事や、

祖母が毎日していた仏壇の手入れ、

父親の仕事の愚痴を聞く係、弟と家族の潤滑油になる役割。

祖母に「家と家族を頼むね」と一言言われたから、約束したから。


でもたまに夜に堕ちてしまいそうになる時に思う。

わたしの中のわたしはどこにいるのだろう。

(不謹慎とは分かっているが)

祖母と一緒に死を迎えたくても、望んでいる人のもとに

死はなかなか迎えに来てくれないんだな、と。

そして明日もわたしはやるべき事をこなすだけなのだ。


2020.11.20 FRI 2101

憂鬱、日々−ミテイノハナシ を聴きながら

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