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「ただの風邪」の社会での扱いを変えてほしい

この記事の概要

  • 風邪ひいたら仕事に行くな

  • 風邪ひいたら飲み会に来るな

  • 風邪ひいたら満員電車にも乗るな

  • 風邪をひいたらマラソン大会にも出るな

  • 「感染症」は社会で対策するもの

  • これらが当たり前になってはじめて「コロナはただの風邪」にしても良い。話はそれから。

うーん。。。

コロナの第七波が猛威を奮っています。感染者数は全国で高止まりし続けていて、医療機関への負担が高い状態が続いています。現在、通常の医療にも影響が出てしまっているそうです。
それでも、行動制限とかは呼びかけられてはいませんし、政府として特に対策をする気はないようです。逆に、「経済を回すため」という事で、ずっと控えられてきた様々な行事も復活してきています。

一方、コロナ禍はもう2年以上続いていて、経済に大きな影響が出てきています。それによって困っている人たちもたくさんいます。最近も、特に若い女性を中心に自殺者が増えているというニュースが流れたばかりです。つまり、コロナ対策として社会を止めている事で、特に経済的に弱い立場の人たちに皺寄せがきてしまっている状況です。

そういう意味では、コロナ禍に対して社会はどうすべきか、というのは、「トロッコ問題」のような、「誰に犠牲になってもらうか」という問題なのかもしれません。なので、どうすべきか、に正解などないように思います。その人の置かれた立場によって考え方も違うでしょうし。
なので、安直にこうすべきだ、と主張する人は、自分と異なる立場の人の事を考慮に入れない人なんだろうな、と思ってしまいます。
また、社会でどう意思決定をすべきか、は、より難しい問題だな、と思うのですが、現状ではその意思決定が「なし崩し」で行われてしまっているように見えます。議論して落とし所を探る場として政治が機能しなくなっていますし、マスコミもネットも、スキャンダラスな意見で、煽り煽られ炎上し、みたいな状況で、落ち着いて議論する状況ではないように見えます。

そういう中で、自分の意見を提示するのは難しいことではあるのですが、(この記事も、ほぼ間違いなく上に「新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。」というアラートがつく事でしょう)コロナ対策と経済の両立を目指す上で考慮した方が良いと思われる事を指摘したいと思います。

日本での「ただの風邪」の扱いがおかしい

コロナ前から思っている事ですが、日本の社会での「風邪」の扱いがおかしいんですよ。日本では、風邪くらいで会社を休むのはおかしい、という扱いだったじゃないですか。だから、例えば満員電車の中でゴホゴホしていても普通だったでしょう。でも、それって、風邪のウイルスを電車中に撒き散らしている迷惑行為なんですよね。
あと、職場でゴホゴホやっていても、咎められる事はなかった訳じゃないですか。職場って、かなり長い時間、同じ部屋で一緒に時間を過ごす訳で、そこでずっと風邪のウイルスを撒き散らされると、個人での対策には限界があります。そうなると、どうしても、そこから何人かが感染されて風邪をひく事になってしまいます。その中の一人が、また休まずにゴホゴホやると、そこからさらに感染が伝播されていく訳ですよね。
風邪の時って、症状が軽くても、いつもより体が辛い訳で、仕事の能率も下がっているでしょう。それでも出勤しないと仕事が回らない、と言いますが、能率が下がってもその人が出勤する事のプラスと、それで職場の周りの人に感染して、それらの人が休んだり、休まなくても能率が下がったりするマイナス、どちらが大きいでしょう。
そう考えると、「少々の風邪なら出勤してもらわないと回らない職場」っておかしいです。風邪で欠勤されると回らないくらい余裕がない人員になっているのは、経営者が悪いと思う。

あと、飲み会での、少々の風邪なら「アルコール消毒」とか称して、参加する事を推奨する空気がありましたよね。でも、コロナ禍で随分と指摘された通り、飲み会って一番 感染しやすい場だったりする訳で。マスクも外すし、ずっと口の中に物を運び続けるし、おしゃべりもするので飛沫も撒き散らしてしまうし、アルコールで酔って警戒心も薄くなるし声も大きくなりがちです。感染しやすい条件が揃い過ぎている。そこに風邪を持ち込むと、蔓延させてしまう訳で、「風邪ひいたら来るな」が当たり前じゃないとおかしいんですよ。

感染症と生活習慣病の違い

病気って、例えば生活習慣病とかって、結局は「個人の問題」じゃないですか。だから、「タバコ止めた方が良いよ」とか「暴飲暴食は控えた方が良いよ」とか思っていても(言ったとしても)、結局はその人の自由というか、その人の自業自得というか、病気になって困るのはその人(まぁ家族とかは困るけど)じゃないですか。
そういう病気と、感染症には大きな違いがあって、それは、感染症では「病気になって困るのはその人だけじゃない」という事です。それは、その人が感染症になったら、周りの人に感染す事になるから。「その人だけの問題じゃない」んです。
それに、その人は無事かもしれないですが、その人が感染させた人が重症になったり亡くなったりするかもしれないですよね。もしくは、高齢者と同居している人に感染させて、そこから高齢者が感染して亡くなったとしたら、感染の元となった人は責任とれるんでしょうか。
コロナを軽く考えたり発言している人って、そこの所を分かっていない人が多いように思えます。そういう人の発言って信用できないです。

マラソンランナーは風邪に弱い

私がこういう事を強く思うようになったのは、趣味としてランニングを始めた事が大きいです。
ランニングを始める前は、風邪なんて滅多にひかなかったんです。でも、ランニングを始めてからは、この10年でインフルエンザに3回もかかっています。
(ちなみに3回とも、職場でもらっています。誰から感染したかもわかっています。というのは、職場でゴホゴホやってる人がインフルエンザと判明して、その直後に私にも症状が出て調べるとインフルエンザだったんで、ほぼ確実にその人からもらっているでしょう。)
それは、冬ってマラソンシーズンで、大会も多く、狙った大会だと、どうしても追い込んだ練習をするので、免疫力が落ちていて、風邪にかかりやすくなっているんです。
なので、例年マラソンシーズンになると、かなり神経質に風邪の対策をしていました。今、言われているコロナ対策は、元々風邪対策としてやっている事ばかりで、なので(飲み会がなくなった以外は)私はコロナ禍になっても生活はそんなに変わっていないです。
でも、個人でいくら対策していても、職場でゴホゴホやられると、どうしてももらってしまう訳で。(まぁマラソン練習で免疫が落ちてて風邪ひきやすくなってるもの大きいですが。)「個人での対策には限界がある」というのを身をもって感じています。

という事で、元々、「ただの風邪」の社会での扱いに不満を持っていたんですよね。

「ただの風邪」の扱いがこう変わると良い

個人的な恨みはさておき、日本の社会での「ただの風邪」の扱いが、このように変わる事はできないでしょうか。

風邪を引いたら出勤しない

風邪などの感染症ではない(感染させる事のない)軽い体調不良の時に、無理して仕事をするのは、「個人の問題」と言えるでしょうが、風邪の場合は、感染す危険性があるので、出勤しないで休む。まぁ無理してテレワークで仕事をする、というのなら、「個人の問題」ではありますが。(でも、家ではなくテレワーク用の公共の施設を使うのはダメです。そこで感染しちゃうじゃないですか。)
良く、コロナに対する意見で「無症状や軽症の人が仕事ができないと仕事が回っていかないんだ」みたいな事を言う人がいるんですが、無症状はともかく軽症の人に仕事をさせようとするのは、絶対に反対です。
(無症状の場合でも感染させる危険はあるかもしれませんが、無症状だと検査しない限り分からない訳で、それを無理やり検査する必要まではないかもしれません。でも、無症状でも感染してる可能性が高い場合(家族が風邪の時など)は、気をつけて行動して欲しいですね。テレワークできるならテレワークにする、下に書いた遊びにとかも控える、あと私だったら出勤した場合もランチは一人で食べるようにします。)

飲み会とか遊びに行くのもやめる

風邪ひいてるのに飲み会行ったり遊びに行ったりするのも迷惑です。体が辛いと楽しめないでしょうし、一緒に遊ぶ友達とかを感染させちゃう訳じゃないですか。己の楽しみ・欲望のために、友達を危険に晒すって、人としてどうなのかって思います。(その友達の中に高齢者と同居してる人もいるかもしれないですし。)
もっとも、それを強制する事はできないかもしれませんが、そういう行為を白眼視する社会であって欲しいと思います。
その方が、飲み会とか遊びに行っても風邪をもらう危険性が小さいから、安心して楽しめるじゃないですか。
いやね、マラソン大会とかでも、行くやつ居るんです。インフルエンザって薬が発達したおかげで熱がすぐ下がる事も多くなったんですが、それでも他人に感染す危険性があるから5日間くらいは出勤したり遊びに行ったりはしないようにってなってるじゃないですか。でも、熱が下がったからって大会に行ったやつ、何人も私は知っています。(他人に感染すからやめときなって言うんですが、喧嘩になるので強くは責められないです。でも大会に向けて追い込んできて免疫落ちてる人たちに撒き散らしているんだから、タチ悪いですよね。)そういうのはやめておきましょうって社会になってもらいたいです。

個人での感染症対策は当たり前に行う

加えて、個人でできる感染症対策は、当たり前にやるようにする。前に「手を洗おう」って原稿を書いたんですが、お手洗いや食事前、あと家に帰った時に手を洗うのは当たり前にする、というのだけでも、かなり感染症は防げます。
あと、マスクや咳エチケットは「自分がひかない」対策ではなく「他人にうつさない」マナーとして定着して欲しいですね。
「経済を回しながらできる風邪対策」となると、これくらいになっちゃいますが(これ以上は「人となるべく会わない」って事になっちゃうので)、実は以前はあまりできてなかった事だと思いますので。(それは前に書いた通りです。)

とにかく、風邪(感染症)は「その人だけの問題じゃない」というのが当たり前になってもらいたいです。
(だから、風邪になった人を責めるのも違うと思います。ただし、風邪なのに人に感染す危険性の高い行動をする人は責めて良いと思う。)

そういう対策をしたら、「経済は回らない」でしょうか。そんな事はないと思います。対策していないどころか、蔓延させるような行動が当たり前だった以前の日本社会でも、一番蔓延した時でインフルエンザにかかる人はせいぜい2割未満だった訳で、残り8割の人が働いて遊べば十分に経済は回るでしょうし(しかも2割が一度にかかる訳じゃないし)、感染した人が仕事を休み行動を控えるのが当たり前になったら、蔓延しなくなる分、感染する人も減るから、経済を回しやすくもなるでしょう。
その方が、結果的に良いと思うんですよね。

経済を回すためにも

なので、「経済を回すために、コロナはただの風邪扱いにしろ」という意見に対しては、「ただの風邪の扱いを、ここに書いてきたように変える」事が前提じゃないかと思うんですよ。風邪や感染症が蔓延しにくい社会にしていく事こそが、「経済とコロナ対策を両立する道」じゃないでしょうか。
だから、「経済を回そう」と主張するなら、同時に「感染した人は行動を控えて感染させないようにしよう」という事も主張すべきだと思う。でも、世の中を見ると、「経済を回そう」派の人って、感染対策をおざなりにしようって主張のように思えます。それで医療がパンクしても構わない、死ぬやつは死ねって事ですよね? あげくの果てには、この2年間休みなく働き続け疲弊している医療関係者を責めたりもする。そういう人を軽蔑しても罰は当たらないですよね。

コロナを「ただの風邪」扱いにするのなら、「ただの風邪」に対する社会の扱いも変えるべきだと思います。話はそれからです。

この原稿の関連原稿です。


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