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【感想文】山科の記憶/志賀直哉

『読書感想文㊙作成術のご紹介』

私は本書『山科の記憶』を読みはしたものの、どうやって読書感想文を書いたらいいのか分からなくなってしまった。

そこで今回、かねてよりこの手だけは使うまいと心に決めていた秘策を用いて感想文を書くことにした。で、早速、Googleで検索キーワード『読書感想文 テンプレート 簡単』と入力し、次のテンプレートを入手した。

▼入手した読書感想文テンプレート:

無題

なんと、上記テンプレートの〔 〕部分を埋めるだけであっという間に感想文が完成するのだという。

▼テンプレートの詳細:
ぼくは〔 〕というはなしをよみました。
この本をよんだきっかけは〔 〕
いちばん心にのこったのは〔 〕の場面です。
ぼくは※感じたことを記載※ ※その理由も記載※
ぼくだったら〔 〕
ぼくは、このはなしをよんで ※思っていること・したいことを記載※

というわけで、私はこれらの〔 〕部分を埋めることにした。その結果は以下の通り。

▼山科の記憶/読書感想文:
ぼくは山科の記憶というはなしをよみました。
この本をよんだきっかけは読書会主催者の意向によるものです
いちばん心にのこったのはいきなり終わった最後の場面です。
ぼくはこの終わりかたに『ミロのヴィーナス像』をおもいだしました では、その根拠の説明にあたりまず前置きから述べる。本書には起・承・転・結から成る構成を取らず、前述の通り、亭主および妻の不貞を発端とした口論の後、突如終わる。即ち、起承転結の内、『起』→『承』へと移行し始めようとする段階でとどまっている。もし仮に、この10ページ程度の掌編に起承転結を適用したとすると、作為の感が出てしまい、面白みのない興醒めする作品に成り果ててしまう。その点を見据え、著者・志賀直哉はこうした手段を用いたのかは断定できないが多少の意図はあったように思う。また、本書の最終形は『暗夜行路』の中盤~後半にかけて展開されている為、この物語の続きが気になる方はご一読願いたい。それはさておき、ミロのヴィーナスは両腕が欠損していることで今現在も多くの人を魅了し続けている。これはヴィーナス像の失われた腕を見た瞬間、感覚器官を通じた様々な要素を元に、見る者をして何かしらの表象へと導かせるといった効果があるように思う。その内訳は各個人により差分はあるにせよ、心を動かせる導火線としての役割をこの腕は持っているに違いないであろう。この効果と同様、『起』をもって閉じ『承転結』が欠損した本書『山科の記憶』にもこうした点は多少みられると私は思う。また、「欠損による偶然の産物」という観点では夏目漱石『明暗』も同様、ここでは起承転結の『転』の初頭において絶筆となったことで、読者の意識を『結』へと導こうとしている。一方で、ドストエフスキー『悪霊』には『スタブローギンの告白』なる章があり、出版当時、訳あって省かれていた本章は年月を経て、本編に追加の上、発表されたという経緯をもつ。正直に申し上げて、『悪霊』は『スタブローギンの告白』なくしては読解不可能な作品であり、ヴィーナス像とは異なり『悪霊』は「補填」により価値を高めた作品ともいえる。いずれにしても、ここで取り上げた諸問題に関して、本稿では明確な解答を提示することは困難であるにせよ、世の文学研究者諸氏におかれては本問題へ取り組むことは非常に有意義であるという可能性だけを示唆するに留めておく
ぼくだったらぜったい取り組むけどなあとおもいました
ぼくは、このはなしをよんで堂々と浮気できる世の中がきたらいいのになあとおもいました

といったことを考えながら、この感想文は昨日の深夜、クエン酸サワーを12杯ガブ飲みした時ふと書き捨てた反古である。

以上

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