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「男の子って大変そう。」

最近の私のジェンダーに関する関心は、専ら男性の生きづらさについて。

そこで、今日は#国際男性デー なので、男性の生きづらさについて考えてみようと思います。

少し前にネットでもよく取り上げられたこの記事、私も読みました。
なるほど、こういうことに生きづらさを感じるのかと、とても勉強になりました。

そこで今日は、私の昔の体験と一緒に男性の生きづらさと、その解決のためにできることを書いていこうと思います。

※話が複雑化するので特筆する場合をのぞいて、以降での「男性」はシスジェンダーの男性を指して使います。

「男の子も大変そうだ。」

それは、私の初恋の人に抱いた感情でした。

彼は、すごく物腰が柔らかくて、いつも控えめで、でも、どこか凛とした雰囲気を漂わせているような、そんな人でした。

そして、彼は、他の男子生徒からはしょっちゅういじられていました。
その理由は、その物腰の柔らかさと、彼の所作にありました。

私から見れば、物腰の柔らかさからくる優しい雰囲気や、優しい言葉遣いがすごく好きだったんだけど、その全部が他の男子生徒からすると、「オネェだろ!」「ゲイなのか?!」という、いじりをするにはぴったりだったみたいです。

彼がそんな”いじり”をどこまで許容していたのかはわからないけど、彼のことが好きな私からすると、そういういじりはとにかく腹立たしかったんです。
彼がゲイだったら、自分は恋愛対象じゃないってことで悲しいな、、、とは思ったけど、彼に向けられた「オネェ」という言葉には、明らかに侮辱的な意味合いを感じたから。
彼の柔らかい所作や、優しい綺麗な言葉遣いが、私は大好きだったのにそれを「オネェ」という言葉で踏みにじられた気がしました。

そして、その苛立ちと同時にいじられる姿を目にする度に、「男の子も男の子で大変そうだ。」と感じました。

他の男子生徒と”上手くやる”には、付き合ってる子以外の女子生徒とばかり話てはいけないし、優しい言葉遣いも汚い方言に変えなきゃいけないし、柔らかい立ち振る舞いも粗暴な振る舞いに変えなきゃいけないらしかったから。

ホモソーシャル:男の友情

男の子同士の友情に憧れたことは、数えきれないくらいあります。

昔から少年漫画が好きで読んでたし、そんな漫画の中にある”友情”が、女の子同士のそれとは違って見えて、「羨ましいな〜」と思っていました。

でも、私のそういう憧れは大学で、あっさり打ち砕かれた。

その原因は、所属していたサークル。

そのサークルでは、男子だけで定期的に開催される飲み会がありました。そこでの飲み会は、いつか急性アルコール中毒者が出るんじゃないかというようなものだったんです。

普段からサークルの飲み会だし、大学生だし、飲み方が過激な場面は度々あるけど、その男子だけの飲み会の時は、それが特にひどく感じました。

だから、外部から見れば、それは”男同士の友情”という名の、ただの圧力にしか見えませんでした。
それでも、男子メンバーは楽しいんだと言う。

そして思う。「男の友情も大変だ。」

こういう男性間の、恋愛でも性的でもない独特な繋がりを、ホモソーシャルというのですが、大学でこのホモソーシャルの悪質さを目の当たりにして、少年漫画で見て憧れた”男子の友情”が、ただの幻想なんだと思い知りました。

そして、当時の私は学ぶのです。「結局、友情に性別なんて関係ないじゃん」と。

生きづらさを感じる男性にもフェミニズムを

ここまでに触れた「大変そう」は、男性の生きづらさのほんの一部でしかないでしょう。

それでも、今男性のみなさんが感じている生きづらさの出発点には、全部”過去の男性たち”が立っています。

「男性は、お金を稼がなければいけないというプレッシャーがある」とよく言います。これも出発点は、男性です。
そもそもそのプレッシャーは、女性は男性よりも劣るから”養ってあげなきゃいけない””過去の男性たち”が考えて、勝手にできた圧力です。

「男性は、デートで女性より多くお金を支払わなきゃいけない」
これはどうでしょうか。これも、”過去の男性たち”が、「女性はお金を稼ぐ能力が低いから、男性が出してあげましょう。」と勝手に始めた行為です。

「男性は、弱音を吐けない。」これも、”過去の男性たち”が、ホモソーシャルな社会で、勝手にそういう固定概念を作り出してきたんです。


そんな性別に関わる生きづらさを解決するための学問が、
「フェミニズム」です。


フェミニストというと、女性のための学問のように捉えられることが多いのは、私もよく知っています。

もちろん出発点は”女性”でした。だから、そういう雰囲気を感じることも間違いではないと思います。しかし、フェミニズムはみんなのものなんです。

多くのフェミニストが声をあげる理由は、性別を起因とする生きづらさを生んだ、社会システムや、固定概念や、圧力や、風潮や、表現や、不自由さを改善したいからです。

どうでしょう。生きづらさを抱える男性と、フェミニストが変えたいものは同じじゃないでしょうか?

だから、せっかくの国際男性デー。
男性の生きづらさを語って、一緒にフェミニストになりませんか?

そして、数年後は、今より少しでも生きやすい社会で暮らせるように、今日から一緒に声をあげませんか?