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団塊ジュニア世代が見てきた東京メンズファッション30年史①             

誰だってカッコよくてクールでありたい

どんな人だって、友達や異性からダサいと思われたくない。だから、しきりに身なりを気にする。大食漢で浪費家でもあった19世紀のフランス人作家バルザックによる「服装に興味を持たないのは自殺に等しい」という言葉は大袈裟だとしても、今も昔もファッションは大きな関心事であることは間違いない。
 
またもや引用となるが、日本映画の巨匠・小津安二郎はかつて「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」と語ったそうだ。決してファッションがどうでもよいことだと切り捨てる訳ではないが、多くの男性がこの言葉に賛同するところだろう。流行りの服を着て目立ちたいとは思わないが、服装なんてどうでもいいと開き直るのも違う。

ファッションは常に世相を反映しながら変わり続けるものだから、過剰にのめり込むのは滑稽だし、頑なに否定するのも野暮に思える。特に目立つわけではないけれど、ふとした時に相手の関心や注意を引く服。そんな匙加減が今の私が理想とするところだ。

約四半世紀前に描かれたファッションの実情

さて、ここにニューヨーク・タイムズの記者テリー・エイギンスが著した『ファッションデザイナー 食うか食われるか』(1999年:文春文庫)という本がある。Amazonでたった1円だったのでそれほど期待していなかったが、80年代の経済成長とともに膨れ上がった米国アパレル業界が、90年代にどのように変化して失速していったのかを精緻に描き出した良著だった。
 
現在でも世界的デザイナーでありブランド名でもあるジョルジオ・アルマーニ、ラルフ・ローレン。一方、もはやその名を耳にすることがなくなったダナ・キャラン、エマニュエル・ウンガロ、ピエール・カルダンといった大物デザイナーたちの示唆に富んだインタビューが多数収められている。さらに米国の有名百貨店の熾烈な競争と失墜や、ギャップに代表されるSPA(Specialty store retailer of Private label Apparel=製造から小売まで一貫して行う企業)がもたらした小売業の変革までも克明に描き、90年代のファッション業界を多角的に論じている。
 
「ファッションは人間の生き方に密接に関連しているし、大きな影響力を持っている。どんな社会階層に属するにしても、自分の外見に関心を持たない人はいない。(中略)地位や職業にかかわりなく、人はみな洒落た格好をしようと努力する。これは太古から変わることのない真理である」とファッションの重要性を認めるエイギンスだが、翻ってこうも語る。「従来、ファッションのシステムには“計画的な陳腐化”が組み込まれていて、それがファッションを動かす原動力となっていた。よく知られた例はスカート丈の長短であり、メンズならズボンやネクタイの幅の変化である」。
 
さらにエイギンスは「衣服を着古すのは人間でなく流行だ」という、シェイクスピアの格言も引用しつつ、ニューヨーク・タイムズやロサンゼルス・タイムズといった、大手新聞がファッションショーを紹介する人気記事についてこうも指摘している。「二度と目にすることのない服の良し悪しを論じて何になるのか、馬鹿げている、読者はそう思うようになっていたのである。(中略)ハイファッションが人寄せの見世物に成り下がっているのは一目瞭然だった」と。新聞記者らしく取材対象から一歩距離を置き、覚めた眼でファッションを論じているのが印象的だ。さらに読み進めていくと、90年代後半の高級ブランドにとって最も大切なことは、本来必要のない普通の人々=中産階級にも高価な衣服を買わせるためのマーケティングだったと主張する。

計画的な陳腐化という魔法のサイクル

先述の“計画的な陳腐化”という言葉は、アメリカの社会評論家ヴァンス・パッカードが『浪費をつくり出す人々』(1961年)で用いたものだ。元々は1920年代に米ゼネラル・モーターズのアルフレッド・ストーンが始めた自動車ビジネスにおけるモデルチェンジのことで、それはファッションにも見事に当てはまる。凡庸で退屈なメインストリームに反抗して、自分らしさを表現するために生まれた最新のファッションも、ひとたび一般層にまで広まると、その差異を失って時代遅れとなり、次なるファッションへと移り変わることを指す。高級ブランドがそのサイクルを加速させ、競争的消費に中間層までもが巻き込まれるように仕向けた。
 
そこには、人々の差異化への欲求を促す、クールを体現する者=ヒップスターの存在が欠かせない。50年代はジャズマンであり、60〜70年代はロックミュージシャンであり、80年代〜90年代はポップスターやハリウッドセレブであり、00年代以降はラッパーやR&Bシンガーである。彼らが身に着ける服や小物に付いたロゴや特徴的なディテールが記号性を発揮する。そして、彼らに憧れるワナビー(二番煎じ)たちが大量発生しているときがトレンドの潮目であり、計画的な陳腐化の正体だ。カウンターカルチャーを牽引してきた彼らのスタイルがアンダーグラウンドで共有されているうちはCool=イケてるが、街中でありふれたものになった途端にSuck=ダサいという烙印を押される。

ファッションは利ざやの大きなビジネス

ファッションにおける“計画的な陳腐化”をコントロールさえできれば、大きな利益をもたらすはずだと考えた資本家が現れた。ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシーの頭文字を取った、LVMHグループの筆頭ベルナール・アルノーだ。高級ブランドの実態に迫った、ダナ・トーマスというファッションジャーナリストが著した『堕落する高級ブランド』(2009年:講談社)によると、「高級ブランド産業は、たっぷり利ざやを稼ぐことができる唯一の分野だ」とアルノーは豪語した。そうして、LVMHは90年代から熾烈なブランド争奪戦を繰り広げ、大成功を収めた。
 
LVMHからの買収工作に晒されたグッチも、アルノーに抗うようにイヴ・サンローランやバレンシアガを傘下に収めてケリング・グループを構築。90年代に復活し、一大ファッション帝国を築き上げるまでの物語は、映画『ハウス・オブ・グッチ』で描かれている通りだ。また、「カルティエ」「ヴァン・クリーフ・アーペル」「ピアジェ」といった高級宝飾ブランドに加え、「ジャガー・ルクルト」「パネライ」「IWC」「ランゲ・アンド・ゾーネ」といった高級時計ブランドを傘下に収める、リシュモン・グループという3大ファッション・コングロマリットが君臨し、そこへプラダ・グループが迫ろうとしている。他にシャネル、エルメス、ジョルジオ・アルマーニ、ラルフ・ローレン、バーバリーといった資本的に独立したブランドの存在もあるが、ランバンが中国資本に買収され、ブルガリやティファニーといった名門ジュエラーさえもLVMH傘下に入った事も鑑みると、資本的な独立を守り抜くことは至難の業で、今後も同様の買収劇が起こることは間違いない。

高級ブランドの成功の指標はバッグにあり

大きな利ざやを生み出すため、高級ブランドの製品原価はたかが知れている。ヴァンキッシュという“お兄系ブランド”を立ち上げ、現在は「FR2」というブランドを成功させた石川涼が、「100円で作ったものを1万円で売るのがブランド。その100円のものをどうやって、1万円でいいってお客さんに思わせるかだよね。差額で利益を出してるわけじゃん。目に見えない価値がブランド」とネット記事のインタビューで答えていたが、まさに言い得て妙である。
 
さらに先述したダナは、「サイズ探しも試着も必要のないバッグは、高級ファッションの中で販売がいちばん簡単なアイテムだ(中略)。利益率は目の玉が飛び出るほど高い。高級ブランドのバッグの価格は、その大半が製造コストの10倍から12倍だ」と明記している。高級ブランドにとって最も重要な商品こそバッグであり、その売れ行きがブランドの勢いを左右するのだ。かつてココ・シャネルが「高級品は必要性がなくなったところから始まる必需品よ」と喝破した通り、真のラグジュアリーとは日常生活における必要性や価格に見合った実用性とは全く関係がない。先の石川が言う“目に見えない価値”とは、時代を牽引するセレブリティやヒップスターが身に着ける服や小物の記号性=ブランドロゴや一目で識別できるデザインである。
 
フランスの思想家ジャン・ボードリヤールが『消費社会の神話と構造』で指摘している通り、この記号的消費こそが他者との差異を発揮し、クールの免罪符となり得る。資本家たちの目先の利益のために、高級ブランドの経営者は何度となくデザイナーの首をすげ替え、華々しいマーケティング活動を行ってきた。80年代まではファッション誌への広告が主で、90年代は雑誌や新聞に加え、レッドカーペットに集うハリウッドスターへの衣装提供、00年代はいわゆるセレブリティやミュージシャンへのギフティングが加わった。10年代になるとInstagramやYouTubeなどのSNSを主戦場とするインフルエンサー・マーケティングへと変容し、その手法は匿名性を高めて複雑化し、しばしば問題になっている。最近ではSDGsやLGBTQを関連させた広告も目立つようになり、ブランドはあの手この手で買わせようと躍起になっている。

ファッション好きは誰もが共犯者である

こうした状況は今に始まった事ではないし、多くの識者たちがことあるごとに言及してきたので、私が今さら声を荒げるまでもない。そもそも消費者自らが進んでトレンドを求めて競い合うし、仕掛ける側との共犯関係なのだ。いつも私がファッションについて考えるとき、この矛盾に陥る。展示会で新作を試着したときの高揚感、お気に入りのブランドで街に繰り出すときの優越感、自分と同じ趣味の人を見付けたときの共感。こうしたポジティブな感情の一方で、そんな服を着てどこに出かけるんだ? 代わり映えのしない服に大枚を叩く? 良い歳こいた男がファッションだって? といったネガティブな感情も付きまとう。四半世紀もメンズファッションに関わってきながら、そんな両極端な感情を行ったり来たりする。
 
だから、自分の仕事を通じて見ていたファッションとは何だったのかを再考し、いったん整理してみようと思い付いた。ファッションを意識するようになった10代から大学生になるまでを駆け足で振り返り、世界同時多発テロのあった2001年から、パンデミックに見舞われた2021年までの20年間を一年ごとに振り返りながら、メンズファッションと東京いう都市の変遷を自分なりに追ってみたら面白いのではないかと。2001年から話をはじめる前に、まずは自分が生まれ育った東京での80年代終わりから90年代終わりまでのメンズファッションからお付き合いいただきたい。

続く 

*本稿で登場する人名は敬称を省き、ブランド名のカナ表記は半角アケの場合でも・(ナカグロ)で統一していることをここに断っておく。

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