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団塊ジュニア世代が見てきた東京メンズファッション30年史13

2016年

悪趣味なのに目が離せないグッチの躍進

デビューコレクションでまずまずの評価を得たミケーレのコレクションが、2016SSコレクションで一気に花開いた。ランウェイに送り出したのは、鮮やかなピンクやグリーンやブルー、きらびやかな刺繍で彩られたシノワズリ風デザインのドレスやジャケット。しかもスタイリングは徹底的にギーク(オタク)風でデコラティブ。時代遅れのように思えるメガネやセミフレアパンツ、そこへデビュー時から得意とするリボンやフリルといったフェミニンなディテールが加えられる。また、グッチウェブやGGロゴなど分かりやすいブランドアイコンを大々的に復活させ、さまざまな動植物のモチーフをアンティークテイストのジュエリーに落とし込んだ。起用する男性モデルは継続して痩せ型だが、メイクやヘアスタイルで中性的に演出してジェンダーと国籍を取り払い、ミステリアスな人物像に仕立て上げた。ランウェイショーの服はド派手で、とても一般人には真似できるような物ではないが、ファー付きのスリッポン、パジャマシャツ、GGロゴのバッグやスニーカーといった小物を次々とヒットさせていった。かなり高額にもかかわらず、凡庸さを嫌うファッションピープルや芸能人が、性別も年齢も関係なく足繁くブティックに通うように。特に椎名林檎は熱狂的なミケーレ信者として知られていた。
 
かつてモードの帝王と呼ばれるジョルジオ・アルマーニは『僕にとってファッションとは、着られる服をデザインすることだ』という名言を残している。そして、グッチを再興させたトム・フォードも、『洋服において、男性の選択肢の幅は狭い。だからこそ、女性服ほどの広がりはなくとも、その分、深みがある』と似たようなことを語っている。男性が美しく、力強く、セクシーに見える瞬間を知っている彼らは、社会性を重んじる男性にとって欠かせないフォーマルとカジュアルから逸脱することなく、上質な素材と仕立てにちょっとしたディテールやギミックを加え、心地よくセクシーなものへと進化させてきた。だからこそ、この二人の作る服はいつもクラシックスタイルが基本にありながらも、決して凡庸ではなく、慎み深さの中にも力強さとセクシーな雰囲気を感じさせる。一方、ミケーレのクリエイションは、彼らの対極とも言える。10年前なら悪趣味だと一刀両断されてきた要素を独自にリミックスし、性別も国籍も年代も超えた人物像を作り上げた。ポップスターのステージ衣装かドラッグクィーンのようなキワモノ一歩手前で立ち止まり、最新のファッションとしてまとめ上げる。インターネットによって瞬時に情報が拡散され、共有される現代において、これまでの文脈では説明できない摩訶不思議なスタイルを確立したことは間違いない。

高級ブランドの展覧会が成功を収める

ルイ・ヴィトン、ディオール、ボッテガ・ヴェネタといったブランドの広告で、“伝統と革新”というクリシェが何度も使われ、“サヴォアフェール”という聞き慣れない単語を目にするようになったのも2010年代半ばから。このフランス語は、“savoire=知る”と“faire=作る”という単語から派生した単語で、英語ではknow howがそれに当たるそうだが、ちょっとニュアンスが違う。あえて日本語訳するなら、“卓越した技術とセンスの融合”が最も相応しいだろう。こうしたことを一般客にも分かりやすく提示するために、『旅するルイ・ヴィトン』という展覧会が、2016年に東京・紀尾井町にて開催された。数々のアーカイヴを年代順に配置して、近代から現代まで変化する旅を軸にしながら、同社のトランクやバッグを展示して、説明するキャプションではサヴォアフェールという単語を盛んに繰り返した。この展覧会は多くの来場者を獲得して成功を収め、世界中の都市でこうした展覧会が巡回するようになった。後の2019年にはシャネルが、東京・天王洲にて『マドモアゼル・プリヴェ展』を開催。世界各都市で開催されていたこの展覧会は、ガブリエル・シャネルの軌跡を辿る内容。こちらも入場無料で貴重なアーカイブや映像に触れることができ、入場待ちとなるほどの人気展となった。こうしたブランド主導による展覧会の取り組みは、実際の顧客のみならず幅広い層にアピールできるし、憧れを高めることに成功したが、ブランドにとって不都合な歴史は、ていねいに取り払われていることは知っておいた方がいい。そして、聞き慣れない単語をやたらと押してくる裏には、マーケティングがそうさせていることを忘れてはいけない。

表参道のセレクトショップが先鋭化

2000年代前半にさまざまな大型店が生まれた表参道に、ちょっとした変化が訪れる。イッセイミヤケがある交差点を奥に入ったエリアに、ユニテッドアローズ系列の新しいセレクトショップ、「Hビューティ&ユース」がオープン。取り扱う商品が均一化して横並び状態が指摘されていたセレクト業態に、高品位でオリジナリティのある商品構成に立ち返り、古着やコスメを含めたライフスタイルを提案。さらに店舗の地下にはNYスタイルのピザスライスを併設することで、家族連れやカップルにとっても新鮮なショッピング体験をもたらすように。トゥモローランド系列で2011年からスタートしていた「スーパーAマーケット」、2015年にオープンしたベイクルーズ系列の「レショップ」、さらにジュングループの傘下となっていた(後にこの関係は解消され、ストライプインターナショナルが出資)「メゾン キツネ」と「カフェ キツネ」が同地区にオープンし、この一角が最先端のショッピングエリアとして注目されるように。また、この地区から少し離れたグラッセリア青山にも、「シティショップ」がオープンしており、こちらもヘルシー志向なデリカテッセンを併設。もはや服と食は切り離せない関係となり、以後もこの流れは続くようになる。

ネットストリーミングとアナログ人気

かねてから市場を独占していたiTunes(アイチューンズ)に対抗する、音楽ネットストリーミングSpotify(スポティファイ)が日本に本格上陸。80年代から続いてきたCDの売り上げは激減し、スマホかPCの中にあるデジタルデータへと置き換えられていく。もはやリッピングすらも煩わしいし、最新チャートを総ざらいできるネットストリーミング視聴が主流に。接続はワイヤレスで、コンパクトでもそこそこの音量と音質を提供するポータブルスピーカーが人気となる。その一方で、根っからの音楽好きの間ではアナログレコード人気が復活。雑誌ブルータスがレコード好きを紹介する特集やレコードバーの特集を組むように。ロバート・グラスパー、カマシ・ワシントン、サンダーキャットなどによる“新しいジャズ”が台頭し、こうしたアーティストのアナログレコードが人気を加速させることになる。
 
同時に、山下達郎、大貫妙子、大瀧詠一、吉田美奈子らの1970年代から80年代にかけて活躍したアーティストたちを、“シティ・ポップス”と称して再評価する動きが活発化。ポパイを愛読するシティボーイに加え、若かりし日にDJに夢中だったオジサンも加わり、アナログ人気は決定的に。低音を強調するダンスミュージックとヒップホップで疲れた耳にとって、アナログは優しく訴えかけた。この年、グッチのミケーレが中目黒にあるカセットテープ専門店「ワルツ」をグッチ・プレイスとして紹介したことで、ファッション関係者を中心に注目を集めた。普段イヤホンから聴くのはデジタルで、週末はじっくりとアナログを楽しむスタイルがヒップな行為となった。後に、こうしたシティ・ポップに触発された若手アーティストによるカバーがユーチューブ上で頻繁にバズるようになる。

2017

東欧出身の新星デムナ・ヴァザリア

前年に実施された国民投票において、イギリスがEUからの離脱を決定。いわゆるブレグジットが既定路線となる。そして、ドナルド・トランプ大統領が第45代アメリカ大統領に就任したこの年は、民主主義と新自由主義的な経済の行く末が決して明るいものではないことを多くの知識人が痛感した年でもある。広がり続ける格差と分断、移民問題は悪化の一途をたどった。そんな中で、民主党ヒラリー・クリントンの対抗馬として注目されていたバーニー・サンダースにラブコールを送るかのように、バーニー陣営の選挙ロゴをコレクションに取り入れたのが、「バレンシアガ」のデムナ・ヴァザリアだった。
 
すでに自身のブランド「ヴェトモン」で高い評価を得ており、その手腕を歴史あるメゾンでどう発揮するのか期待がかかっていた。2016年のデビューコレクションでも一定の評価を収めていたが、この年のコレクションでデムナらしさが爆発した。極端なオーバーサイジングで仕上げたスウェット、張り出したショルダーラインのジャケット、コブのように膨らんだドロップショルダーのブルゾン、ダサいおじさんが履いているようなスニーカー=ダッドスニーカーなど、とにかくそのクリエイションは自由で斬新。目新しいトレンドを放っておけないスタイリストやエディターが飛び付いたけど、誰一人としてお世辞にも似合っているとは言えなかった。それまでエディやトム・ブラウンを崇拝していた人たちが、急にデムナに鞍替えする様子はある種滑稽ですらあった。

不完全でアンバランスな美学が今さら?

なぜこうした奇抜なデザインがファッションピープルに受けたのかは、はっきりとした理由が見当たらない。ただ、ストリートとラグジュアリーが接近していく絶好のタイミングを捉え、そこに彼らしい視点を加えたことは確かだ。その視点とは、アンバランスなものに美しさを見出し、極端なディフォルメで既成概念を疑うことだ。WWDのインタビューでデムナは「服の基準や伝統に疑問を持つことは楽しいよね。疑問を持ち続けることが、僕たちにとってクリエイションを進化させる方法なんだ」と語っているように、これまでのファッションにおける美の基準を意図的に逸脱していたからこそ、急激な変化を求めていた若者の心を捉えたのだろう。
 
デムナはソ連崩壊後に一家で亡命後、ドイツのデュッセルドルフへ移住し、その後ベルギーのアントワープ王立芸術学院でファッションを学んだという経歴を持つ。そんな東欧出身でマイノリティであった彼の目を通じて映し出されたスケーターやラッパーなど、チープシックなアイテムで身を固めた若者たちのリアルな着こなしが彼のインスピレーション源になっていた。アンチファッションの代表であるストリートをモードに持ち込むという使い古された手法に加えて、マルジェラの下で鍛えられたコンセプチュアルな思考法、ヴェトモンで得た経営術があってのこと。また、国際連合世界食糧計画(WFP)とコラボをするなど、社会問題へ積極的にアプローチしていったことも、デムナが他のデザイナーとは違うことを強く意識させた。
 
エリートコースを邁進してきたエディがファッションで世界的な成功を手にしたのと、東欧からの移民であったデムナが成功を手にしたのは大きな違いがある。少し前にはダサいとされたシルエットやアイテムをあえて引用する、コンテクスト(文脈)作りが秀逸なのだ。とても一般人が着こなせるような服ではないし、冒頭に引用したエイギンスの「二度と目にすることのない服の良し悪しを論じて何になるのか、馬鹿げている」という言葉を思い出すが、デムナはある程度こうした反発を予想して、用意周到に自分なりのコンテクストを作り出していたのだ。いつの時代も主流派に対する反逆や逸脱という形を伴って、極端なデザインやスタイリングが現れる。これがファッションの醍醐味かもしれないし、軽薄さなのかもしれない。 

高級ブランドがストリートに擦り寄る

渋谷や新宿を歩けば、何層もソールをくっつけたバレンシアガの人気スニーカー“トリプルS”を見かけるようになり、シュプリームのロゴ入りキャップやバックパックがイケてる若者のマストハブとなっていた。そんな中でネットニュースを駆け巡ったのが、キム・ジョーンズが仕掛けた「ルイ・ヴィトン」と「シュプリーム」とのコラボだった。発売日に約8700人が表参道のショップ前に列を成した。全世界で価値を認められているラグジュアリーブランドと、スケートボードとヒップホップをルーツに持つストリートブランドという、不釣り合いに見える取り組みはまさに前代未聞。販売数を調整し、行列させることが得意のシュプリームであるから、当然ある程度の予想はできたが、転売目的が多かったことを上乗せしても、ファッションブランドのコラボに、まだこんな力があったのかと正直驚かされた。しかも、この現象は東京だけでなく、ロンドンやパリやシドニーも同様で、まさに世界同時進行の現象だった。
 
この大成功が示したのは、カリスマ的なストリートブランドの力を借りなければ、人々はもうラグジュアリーに特別な関心を払うことがなくなったことだ。あのsupremeロゴがLVモノグラムとともに記されたコラボこそ、多くの人が求めたリアルなファッションの姿だったのだ。そもそも本当にラグジュアリーなのであれば顧客も富裕層であり、洗練された趣味を持ったごくわずかな人間たちを相手にすればいいはずだ。でも、現実は違う。奮発すれば手に届く価格帯のバッグや小物を取り揃え、中間所得層にも買ってもらわないとビジネスの成長はないからだ。そして、最先端ファッションを手にする満足感をSNSで共有してもらいたいのだ。
 
一方のシュプリームも、もはやアンチファッションでもストリートカルチャーの代弁者でもない。れっきとしたイケてるファッションブランドだ。日本に上陸した1998年当時は、NYにいくつか存在していたスケーターブランドのひとつに過ぎなかったが、2003年にケイト・モスを起用したフォトTをきっかけに、スケボーには興味のなかったファッション層を巻き込んで大きな話題に。そして、レディ・ガガやルー・リードといった有名人を起用したゲリラプロモーションを確立し、バーバラ・クルーガーを模倣した、あの赤いボックスロゴを乗せて、さまざまなブランドとコラボをヒットさせてきた。
 
ゲリラプロモーションとボックスロゴによって、もはや世界的なファッションブランドになったシュプリームに、ストリートカルチャーへの憧憬や反骨精神を求めるのは違うような気がする。個人的にはシュプリームの服や小物を一度も購入したこともないが、かといって毛嫌いしているわけでもない。ヴァンズやザ・ノースフェイスとのコラボは機会があれば買ってみたいとさえ思っていたが、かれこれ10年以上経過しているので、やはり縁がないのだろう。だからシュプリームに思い入れを持つ昔ながらのファンの気持ちも理解できるし、ボックスロゴさえあればいいというミーハーを否定したい気持ちも理解できる。いずれにせよ、ストリートは絶え間なく引用され、ロゴが再生産されていく。

紙媒体からデジタルへの不可逆な流れ

同時にこのコラボは、ファッション情報の発信ツールがもはや雑誌ではなくSNSに移行したことも示唆していた。テキスト中心のTwitterよりも写真メインのInstagramはファッションと相性が良く、販促ツールとして多くのブランドが公式アカウントを次々と開設。この年、日本国内のInstagramユーザーが2000万人を突破。シュプリームとルイ・ヴィトンのコラボ争奪戦が最初にInstagramで盛り上がり、メルカリなどの二次流通においてプレミア価格で取引されるという一連の流れは、その後のコラボスニーカーブームの嚆矢ともなった。それまでメンズファッションを優位的に紹介してきた雑誌だったが、相次ぐ販売部数の低下とそれに伴う広告出稿の減額が目立つようになる。もちろん、それぞれの媒体で得意とするスタイルやヴィジュアルにおいてはいまだにアドバンテージがあるし、紙からウェブへの転載をベースにしたオフィシャルサイトも拡充させていたが、ITや別業種からファッション業界へとアプローチした新興メディアが支持されるようになっていく。
 
ライノが運営する「フイナム」、カカクコムが運営する「タスクラップ」、独立系の「男前研究所」などが挙げられる。また、男性ファッション誌の全てを休刊としていた講談社によるウェブマガジン「フォルツァスタイル」は、テレビの情報番組でも活躍していた干場義雅とコラムニストの片野英児らがユーチューブを取り入れたコンテンツでヒットを飛ばすようになる。しかしながら、ネット配信されるファッション系の記事ではPV至上主義がはびこり、とにかくキャッチーで気軽に読めることばかりが求められ、後追い記事や事実誤認も多いので受け手側はしっかりと吟味するべきだろう。

G6開業と相次ぐ独立系ブランドの買収

リーマンショック以降、じわじわと購買力の落ちてきた日本人に取って代わる顧客が中国人をはじめとするインバウンド客だった。前述した銀座のドーバーストリートマーケットはもちろん、2017年4月に銀座6丁目にオープンした「G6」に大挙してインバウンド客が押し寄せた。それまでも医薬品や家電製品の爆買いが話題にはなっていたが、目の肥えたアジアの富裕層がファッション業界においても無視できない優良顧客となる。もはや銀座は日本の富裕層のための街ではなく、国際的なショッピングエリアへと変貌を遂げた。また、2010年代以降に生き残った裏原ブランドを買い支えたのも、ストリートファッションに貪欲なアジア系の若者たちだった。
 
この年は代官山や恵比寿を拠点にスタートしたブランドが、相次いで大手資本との提携や買収に晒された。六本木ヒルズに続き銀座G6にも出店を果たしていたアタッチメントは、繊維専門商社のヤギが同ブランドの全株式を取得したことで子会社化された。また、同社はタカヒロミヤシタザソロイストへも資本提供も行っている。さらに東京コレクションの参加も果たしていたファクトタムも、ECサイト企業のトウキョウベースに買収されることになった。こうした大手企業による独立系ブランドの買収や資本提携による規模拡大の最も成功した例として、2013年のジュングループによるソフの買収が思い当たるが、実際は上手くいかないことも多く、ファクトタムは翌年にトウキョウベースから株を買い戻して、規模を縮小して再独立を果たしたが往時のような勢いは見られない。

痩せすぎモデルの是非が論争を呼ぶ

極端に痩せ細ったモデルに対して、フランス政府が懸念を示したことを受け、グッチやルイ・ヴィトンは痩せ過ぎモデルを起用しないことを宣言。痩せていることが美の基準とされていることに対する不満は以前から指摘されていたが、ファッション業界のトップが対応したことは一定の評価ができる。LGBTやジェンダーフリーといった言葉がファッション業界で頻繁に使われ始めたのもこの頃で、その後にぽっちゃり体型のプラスサイズモデルがいくつかのブランドで採用されることになる。とはいえ、建前だけ取り繕ったブランドやデザイナーも多く、2013年にはジョン・ガリアーノによるユダヤ人差別発言によるLVMHグループからの解雇、2018年のドルチェ&ガッバーナの中国人を侮蔑するような広告で炎上した騒動などを顧みると、本音は別のところにあるようだ。
 
続く

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