変質者

変質者をやっていた頃の話

人間はヒマだとロクなことをしない。だからどうやってヒマをヒマじゃなくするかだ。

ここんとこの僕はだいぶ良い。自信ある。

ゆうメンタルクリニックの先生からも「良くなってるじゃないのよ」と言われた。なんだその喋り方、と思った。

ジムにも週8ぐらいで行くし、酒も飲んでないし、薬も減った。栄養も足りているし朝も早く起きている。さらによく歌ってもいる。

本も前よりもたくさん読んでいるし、ポジティブな思考が増えつつある。

自分で自分を表彰してやりたい。もしかしたら最高新記録かもしれない。

そう考えると10代の頃はひどかった。ヒマだったからロクなことをしなかった。

睡眠薬と抗うつ剤とアルコールが身体には常に氾濫していた。いろんな女に追われ、そのせいでいろんな男にも追われ、やたらと追われていた。

砂漠みたいに金も仕事もなかった。

そのくせ時間だけはあった。金も仕事もないというのは鬼のようにヒマなのである。

そして友人のクオリティも最悪だった。

飲み屋で知りあった「まさや」という悪友がいた。一時期、僕はこのまさやと毎日のように過ごしていた。まさやもバリバリの無職透明で鬼のようにヒマだったからだ。

僕たちは延々とラリっていた。真っ昼間からウイスキーと睡眠薬でぐらんぐらんだった。

「ロうすんラよ、この先」
「ロうしよ」
「ロうしようもないな」

などという舌の痺れた会話をしてはぶっ倒れていた。金どころか、将来も夢も希望も無かった。早く死にたかった。むしろ死んだ方が良かった。

僕とまさやは、ある遊びにハマっていた。

ラリリ倒した頭で幼稚園を覗くという遊びだった。オマケに瞳孔を開いて大塚愛の『ハッピーデイズ』をボソボソ歌いながら覗くのだ。

「そんなことをして何が面白いのだ」とお思いだろう。

かなりの高確率で警官に職質されるのだ。

幼稚園の近くには交番があって、彼らはすぐに飛んできた。子どもたちを薬物中毒の精神異常者から守るために颯爽とやってくる。

「何してるの?」と二、三人の警官に取り囲まれるのはかなりの圧迫感がある。

僕たちは「いや、べつに、そのぅ・・・」などとうつむきながら相手をする。心の中で「きたきた!」とほくそ笑みながら、オドオドしたフリで対応するのだ。

今思えば、存在価値の無い僕とまさやは社会から完全に認識されていなかった。誰にも見えてなかった。まさしく無職「透明」だった。

誰かがかまってくれるのが、嬉しくて仕方なかったのだ。職質だろうが何だろうが、相手をしてもらえたことがありがたかった。

ロレツ怪しく「火星から来た」などとキャッキャッと答えては「ふざけるな!」とブチキレられ交番に護送された。

もちろんボディチェックをされるし、サイフの中身まで確認される。

「何かやってるだろ!」と言われては「やってはいる!」と答えていた。

しかし禁止薬物をキメているわけではないので、何事もなく解放される。

注意しようにも罪は犯していないから注意もされない。善良な市民だ。

僕とまさやは「完全勝利だ」と思っていた。

今振り返ると何が勝利なのか意味が分からないが、僕たちは確かにそう思っていた。大半の人々の位置から観測すると完全に負けているが、そう思っていたのだ。

そして僕たちはある種の緊張感から解き放たれ、二人で乾杯するのだ。

そこにはプロ野球の乱闘映像を何度も見てしまうような、スリリングな中毒性があった。

退屈が過ぎると、僕たちは「警官に構われる」というこの遊びに興じた。そしていつしか交番の常連と化したのだった。

しかしそれも長くは続かなかった。


最終的に「またお前らか。ちゃんと生きろ」みたいな説教のみになってしまった。警察官たちのゴミを見るような、あの目つきは今も忘れられない。

とうとう僕たちは警官からも相手にされなくなってしまった。真の透明人間になってしまったのだ。

テレビやネットには、今日も犯罪者が逮捕されるニュースが流れている。
コメント欄には「そんな犯罪者ブチ殺せ!」と極刑を望む声があがる。

でも僕はなんとなく、それらが怖いのだ。いつ自分が「あっち側」になるか分からないからだ。

一歩間違えていたら「あっち側」だっただろうし、これからも可能性はゼロじゃない。人生という無理ゲーは、善良とクソを行き来して進んでいる。

聖人も悪人もいなければ、聖女も娼婦もいないのだ。人間にはいろんな面がある。爽やか好青年二刀流大リーガーの趣味が、夜中にグロ画像を保存しまくることかもしれないではないか。

だから「次の被疑者は自分かも」とセンサーをピンと張っていたいのだ。

これは僕だけじゃなくて、誰しもがそうだが「絶対にあっち側にならない人」なんていないはずだ。

僕たちが殺人を犯していないのは、巡り合わせや運によるものだ。

「もし自分が生まれた時代が紀元前なら、中世なら、戦時中なら」と考えると、やはり殺人者だったはずだ。

「自分がニュースの被疑者と同じ生い立ち、環境、シチュエーションだったら」とも考えてしまうのだ。

『想像力』という言葉が適当か分からないが、「次は自分かも」とビビっておきたいのだ。それぐらいのデリカシーを持って人間をやっていたいだけだ。

何がどうなるかなんて誰にも分からない。

ちょっとしたおかしなズレで、誰しもが道を踏み外す。

退職後に事故や事件を起こす高齢者なんて、ごく普通のひとたちにしか見えないじゃないか。

みんな一年前は自分が「あっち側になる」なんて思わなかったはずだ。

この「あっち側の門」を開けてしまう一つの鍵が「ヒマ」なんじゃないかと思う。ヒマになるとやはり人間ロクなことをしない。

道なんてズルッと踏み外すぐらいあやふやな舗装だ。

だけどちょっとした矯正で、誰しもが陽の下を歩けるようにもなる。これまた道だ。

取り返しのつかないことなんてそんなに無い。

というより取り返しがつこうがつくまいが、人生は進む。横スクロールのゲームの壁が迫ってくるステージばりに勝手に進む。進むなら自分も進まないと潰される。

何事もヤケクソになったら負けだ。詰もうが詰むまいが、進むのだから。

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