イスピレーション

仲良く

季節の変わり目に負けるわけにもいかないしなぁと思っている。思っているが果たして勝敗はどうなるやら。

「仲良くしたい」という意識が年々強くなっている。「仲良くすること」に対して敬意を払うようになってくるらしい。人間だもの。

いや、たぶんのその「仲良く」というファクターの占める重要性に気づきだしたのだ。しかもニガテな分、意識しないとマズイのだ。

僕にもいろいろな人間関係がある。あっちこっちにいろんな関係性がある。年上、年下、同い年だけでもなく、様々な人間模様の中で生きている。

どの関係にも当てはまるのは「仲が良い」というだけで、あらゆるパフォーマンスが上がるということだ。つまり「ひとと仲良くできる」という能力はそれだけで大成する素養となる。

「対話の力点は解決ではなくて、対話自体にある」という話があるが、本当にそうなのだ。

よく女の子を表現するうえで使われる「話聞いてほしいだけ」や「中身の無い話」というのは、じつは集団が目的に向かう際には本質的な儀式だったりする。

自分の正当性を主張すると、相手の不当性を主張しないといけない。

こうなるとうまくいかない。

あんなに達成したかった目標すら消え失せ、達成を望まない心理状態になる。

不当なやり方で達成されたら困るからだ。
自分の正当性が否定されてしまうことになる。

「なんでいつも帰りが遅いの!」と娘を怒鳴る母親は、心の底では遅く帰ってくることを望んでいる。

娘が早く帰ってきた日は「珍しく早かったじゃない」と嫌味を垂れるのだ。
そして、娘は反発して「早く帰ろう」という意思からは遠ざかる。

母親は「自分の気持ちを考えない娘はロクデナシだ。自分はこんなに心配しているのに。だから怒って当然である」という正当性を主張している。

この正当性を証明するためには、娘が早く帰ってきてしまっては困るのだ。

人文科学で自己欺瞞(じこぎまん)と呼ばれる現象なのだが、世間にはこの改善を促すためのサービスまである。

ナイキやGoogle、TOSHIBAなんかも社内研修として、自己欺瞞から抜け出すカリキュラムを採用している。一流企業が「仲良くするための技術」に多額の必要経費を払っているのだ。

「仲良し」は営利に関わる以上、無視できないツールだ。

もしもあなたの近くに「ひとと仲良くできるひと」がいるなら、大切にした方がいい。力が弱くても、ノロマでも、じつは最強の人材だったりする。


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