善意コーティング

善意で動くときの人間が、一番面倒くさかったりする。善意自体は否定できるような性質のものではないが、「善意のためなら何をしてもいい」と勘違いしている馬鹿が一定数いるのだ。

自分の行動は「善意」ということで完全に正当化しつつ、「何かしてあげた」、「助言をしてあげて、頼られた」というお手軽な報酬効果を求めているケースだ。自らが主観的に信じている内容をぐいぐい押し付けてくる。

バンドをやっていると、あちらこちらに善意猛獣がいる。というより、味方だった人間の脳細胞に善意が発症すると、次第に猛獣化するのだ。

メンバーやファン、会社の人間にライブハウスの人間、対バンの先輩など、あちらこちらに「善意の牙」を研いでいるひとがいる。音楽は他者の協力あっての仕事なので、善意がのさばりやすい。

怖いのが、差し伸べられた「善意の手」を拒絶したら「善意を無下にされた」と思い込んで、手のひらを反すように激昂することだ。よくある話だが、未だによく聞くヒステリックな事象だ。

本人がセールスやら内容やらの壁にブチ当たっていると、「こんなやり方がいいらしいですよ!」と軽くググった方法や、又聞きした手法を提示してくる。
苛烈すると、よく調べもせずに、寄ってたかってマーケティングや制作の話を、「善意」の名の下にされるようになる。

バンドうんぬん関係なく、どう生きたってこういった輩とはいつしかエンカウントする。「自分では善意のつもりで相手を破滅させる人間」というのが、世の中に一定数存在することを頭に入れておくことだ。

「相手の為になる」と考えている。それ自体は素晴らしいことだ。
しかし「この善意は単なる自分の思い込みであって、地獄への道を舗装するだけの行為ではないのか」と、いったん冷静になる目を用いないとデンジャラスな領域に達することがある。

善意コーティングされた攻撃性はいつしかひとを殺す。

受け取るのが気持ち悪い善意がチラつくと、大半の善意まで目減りしてしまうのも寂しいが、やはり善意は未だに驚異的である。

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