冒険の価値
昔の仲間と連絡をとることがあった。
「最近冒険してる」と言っていた。
「宝が見つかるのを祈っている」と伝えた。
「冒険している男はいいなぁ」と思った。あまり日常会話に出てこない単語だし、昔の仲間がイタイようなスべっている気がしないでもない。
しかし「まぁそんぐらいいいではないか俺」と言い聞かした。だって他人の日常の不平不満、グチよりは冒険譚の方が見聞きしていてワクワクする。
それにしても初めて「冒険の要不要」なんてものについて考えた。
「人生に冒険は必要か?」という問いに対してあなたはどう答えるだろうか。
もちろん冒険の規模にもよるし、Aさんから見れば大冒険でもBさんから見たら「その程度の修羅場、日常すよ」ということもあるだろう。
だけど自分で自分に対して「俺って冒険してないな」と思うならば、やはり考えものではないだろうか。
脅威や危機に恐れおののいて、身がすくみっぱなしでは局面を乗り切れるタフガイにはなれないと思うのだ。
特に僕は子どものころから 「冒険せずに無難に生きろ」と教え込まれた。その反動かもしれないが、冒険している人間が好きだ。
でも僕が子どものころはまだネットも未発達で、今ほど多様な価値観や考え方が世間に浸透していなかった。
「人生に対して過度な期待をするなよ」と指導されたこともある(なぜか英語の先生に)。世の中の大人はそれぐらい偏っていた。
もちろんその考え方はフラットではない。教授や進路指導担当者の持つ、一つの世界観にすぎない。
だが、ほとんどの人がこうして「人生は危険で恐ろしいから最小限の苦しみで生き残るためにリスクをとらずに安全策に徹するべきだ」という考え方を身につける。
いったんこのような価値観がインストールされると、リスクはなるべく少なく、長期雇用が期待できる職業に進路が限定される。
公務員は最強だし、郵便局やNTTのような半官半民もそれに準ずるだろう。もちろんこれらが悪いと言ってるのではない。問題は「これらに限定されてしまう」ところにある。了見が狭まってしまうからだ。
このように「人生に対してビビれよ」というアドバイスを受けたひとは多い。そしてその子どもたちにも同じように継承していく。
でも何らかのきっかけで身につける、それと正反対の考え方がある。
この「正反対の考え方」も僕が小さかった頃よりは、世に浸透しているように思う。
基本的には読書か自分を上回る賢者との付き合いによって学ぶ。そしてそれは限界に苦しむ自分を救う。
恐怖を乗り越えて財産を築くために、力を得るために、積極果敢に挑戦するようになる。
その結果、間違った決定をして、お金を失って請求書の支払いに追われる。
友人たちは小さくてもよい家を手に入れ、素敵なクルマに乗り、快適で幸せそうな生活をしているのを見る。
冒険者は親から、女から「安定した仕事をしてくれ!」と懇願される。「バンドとかやめろ」とも言われる。
しかし、いったん立場を築く方法、力を得る方法、レールの外で呼吸をする方法を発見すると戻れなくなる。
世界は豊かさにあふれていることを知り、もはや平凡な生活に満足しなくなる。
しばらくは結果が出ずに苦しむが、ある日、少しずつ成果が表れて、やがて大きな収穫を得て周囲の人を驚かせる。
突然、それまでの夢想家に結果が伴うようになる。
それは、まるで一夜で成功したように見えるかもしれないが、じつは長い年月がかかっている。
違うことに挑戦していた歴史が、別のカテゴリで花開くときもある。
芸人だったゴールデンボンバー、バンドマンだった前澤社長。こういった例は盛りだくさんである。
僕のまわりにも競馬師だった小説家、キャバ嬢だった経営者、ツイッタラーだったエッセイストなんかがたくさんいる。
「みんな知ってる有名人」でなくとも、それぞれの欲しいものに接近している人々だ。
ひとによってはそれが7ケタの月収かもしれないし、フォロワー数かもしれないし、作りたかったアートかもしれない。
欲しいものはそれぞれだが、理想と現実が乖離し狂っていないひとたちだ。
みんなに共通しているのは「冒険してきた」ことだ。
表現が雑かもしれないが、丁寧にリスクをとって、思考をやめずにやってきたひとばかりだ。
空振りが続いたとしても、何千何万と本気で振り続けた拳はいつか当たる。
そして、それは適当に振ったものではないので、当たると炸裂して次々と芽が吹き出すのだ。
案外そういう風にできている。
「うまくいく」というのは結果だから時の運だが、「それなりのプロセス」をやって人間をやっていると、ちゃんと恩恵はある。
無下に不安定になる必要はないし、エグすぎるリスクをとるのは危険だが、やはり一発ぐらいの冒険はした方がいいのではないだろうか。
どんなひとでも時間の使い方として、冒険している時間はもったいなくはない。うまくいく保証は無い。冒険なのだから当然だ。
その時間で何かを失うかもしれない。取り返しのつかないヘタをこくかもしれない。でもいいではないか。結果回り回ってそれらはひとつの得難いキャリアだ。
のんびりいこうよ、人生は。だ。
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