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【人新世の「資本論」】資本主義からの脱却は可能か?

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆

〜人新世とは?〜

SDGsは「大衆のアヘン」である。

挑発的な序章から始まる本書は、資本主義により深刻化する国際問題や環境破壊について述べ、「脱成長コミュニズム」という新しい社会の成立を目指す、という内容である。

「人新世」とは何か。本書では、人類の経済活動の痕跡が、地球の表面を覆い尽くした年代、とされている。つまり、人類の行き過ぎた経済活動が、地球環境を破壊し、多くの人間が地球に住めなくなる日がもう目の前まで来ている時代である、という事だ。

そんななか、近年なにかと話題になるSDGs。これらに取り組むために、企業は様々な取り組みを進めている。環境に優しい製品、リサイクル、クリーンエネルギー、などなど。しかし、著者はこれらの活動は将来的にはたしかに重要な取り組みではあるものの、気候変動や環境破壊の根本解決にはならない、という。
資本主義というシステムは、成長し続けることを良しとするシステムである。成長するためには、大量生産・大量消費が不可欠である。そして、その大量生産・大量消費のために、地球上のあらゆる資源・エネルギーを大量に利用する。資本主義というシステムの下において、この活動は止められない。
そういえば、ビニール袋が有料化したことで、巷では買い物用のエコバッグを使うことが主流となったが、スーパーやホームセンターに大量のエコバッグが売られていることに違和感を持ったことがある。「資本主義の基では、企業は"環境に良い製品"を、環境を破壊しながら大量生産している」という矛盾がここに見えていたのだと思う。
著者曰く、SDGsのような活動は、実際には何も解決していないのに、環境に良いことをしている気になってしまう、という危険があるのだ。

「人新世」の危機を乗り越えるには、小手先の解決策に目を向けるのではなく、社会システムそのものを資本主義の一歩先に進めなければならない、と著者は語る。


〜脱成長コミュニズム〜

そこで著者が提唱するのが、「脱成長コミュニズム」である。
「脱成長」とは、地球に害悪を生み出す闇雲な成長や効率化をやめて、地球の限界の内側で生きていくこと。
「コミュニズム」とは、水や土地、教育、住居、医療、電気等を、一部の資産家や大企業がその価値を独占するのではなく、コモン(共有財産)として人々の手に取り戻し、共同体として営んでいく社会のこと。
この二つを組み合わせた社会こそ「人新世」の危機を乗り越え、地球環境を救うのである、と著者は述べる。
この著者の提言に対して、「共産主義に戻るのか!?」という批判があるそうだが、そこについて著者は否定する。共産主義は、政府がコモンの民主主義的運営を許さなかったために独裁的な政権が誕生した。そうではなく、「脱成長コミュニズム」では、コモンを民主主義的に運営することを軸とする(本書ではこれを「民営化」ではなく「<市民>営化」と表現している)。

さて、これまで数々、資本主義の限界を示し新たなステージを提言するような本を読んできたが、この「脱成長コミュニズム」という社会は、
一番理想的ではあるが、実現は一番難しいだろう
というのが、僕の個人的な感想だ。

「脱成長コミュニズム」については、本書で非常に丁寧に書かれているので、知れば知るほど、確かに一番良い社会のあり方なのかもしれないと感じる。
しかし、独裁者をつくらない共同体社会の実現はには、信頼と相互扶助が何よりも必要となる。
信頼と相互扶助のコミュニティといえば、田舎暮らしを想像する人も多いかもしれないが、もともと田舎の村出身の僕としては「互いに信頼し合う共同体なんで絶対無理だ」と思っている。

実力も運のうち」を読んだ時に感じたモヤモヤ感がこの本を読んでハッキリしたのだが、平等を重んじる社会を目指すには、社会を構成する人々の意識や考え方を変える事が重要となる。
コミュニズムを実現するためにも、各人が「社会にとっての善」「社会にとっての正義」を意識する事が必要となるが、資本主義にもまれて個人の利益を追求して生きてきた人々(言い方を選ばなければ、自分本位に生きてきた人々)に、そんな意識の変革を求める事は非常にハードルが高い事だと思う。
資本主義以降の社会の姿としては、"仕組み"で人々を制御するベーシックインカム(最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して一定の現金を定期的に支給するという政策)の方が、まだ現実味がある。

ただし、理屈の上で、ベーシックインカムでは著者のいう「人新世」の危機を解決できないわけだが…うーむ。


〜マルクスの資本論〜

なお、本書はタイトルの通りマルクスの「資本論」がベースとなっている。
中盤は「資本論」に対する著者の新たな解釈・発見が展開されるのだが、「資本論」を読んだことのない僕はこの章は正直さっぱりだった。

マルクスの「資本論」をあらかじめ読んでおくか、多少勉強してから読めばらさらに大きな発見や気づきがあったのかもしれない。

いつか「資本論」を読んで、再度この本に戻ってくるのもいいかもしれない。

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