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【私の個人主義】明治から現代に続く日本の問題点

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆

〜夏目漱石の講演集〜

何かの記事が本のあとがきかは忘れたけど、

「夏目漱石は『こころ』よりも『私の個人主義』を教科書で取り上げるべきだ」

というような事が書かれていたのを読んで、それからずっと気になっていた一冊。

本書は小説や随筆ではなく、夏目漱石が各所で行った講演集である。
タイトルとなっている「私の個人主義」の他、「道楽と職業」「現代日本の開化」「中身と形式」「文芸と道徳」の全5編の講演が収められている。

夏目漱石は非常に講演の上手い人だったのだなぁ、と感心すると共に、小説ではわからない夏目漱石の先見に富む主張や人柄に触れることが出来る。100年以上前の講演にも関わらず、現代にも充分活かされる識見や主張は、たしかに学生の時に学ぶべき内容だと思う。


〜明治も今も変わらない日本と外国〜

5つの講演はいずれも素晴らしくどれも飛ばさずに読んで欲しいものだが、特に魅力を感じたものはタイトルとなっている「私の個人主義」と「現代日本の開化」だ。

「現代日本の開化」は、維新後の日本についての現代論だ。開化とは何か?という問いを明らかにし、日本と外国の関係を論じる。
外国の開化は「内発的」であり、日本の開化は「外発的」である、という。どういうことか。
外国は人々の思想や文化が徐々に広まり開化につながったのに対し、日本は鎖国が破られた事で外国の思想や文化が一気に流れ込み、飛び跳ねるように開化に至った。つまり、現代日本は外国に追いつけ追い越せの精神で半ば無理矢理引っ張り上げられた形で開化させられたのだという。

今でも「日本もアメリカに倣って…」「ヨーロッパのやり方に倣って…」と外国のマネをしようとしている日本の姿が日本人に批判される、なんて場面をよく見るが、これは明治の時から変わらなかったのかもしれない。

日本という国」によると、福沢諭吉が「世界に取り残されないようにするためには、西洋の文化・思想を取り入れていく他ない」と考えていたそうだ。
それに対して、夏目漱石は「外国からの外発的な開化」に対して、その時代の流れはしょうがないと思いながらも、内発的な文化・文明が存在しない日本に対し憂いを感じていたのは、この講演からも読み取れる。

現代に生きてる僕も「日本らしさ」「日本人らしさ」とは何なのか?という疑問がある。
この疑問は明治から日本にとって拭えない課題なんだろうと思う。


〜個人主義であり国家主義であり世界主義〜

「私の個人主義」は、かねてから読みたいと思っていたものだったが、予想通りに素晴らしい講演だった。

大まかに言えば、
個人主義と利己主義は違う。漱石の考える個人主義とは、自分の事を尊重しつつ、自分の自由を主張するにあたり他人の自由も尊重しなければいけない。
というものである。

明治の人々の様子は分からないが、少なくともこの考え方が現代の人々にあまり行き渡っていないのは、誰もが思う事かもしれない。
個人、個性、という言葉が一人歩きして「自分のやりたいことだけやればいい」「自分さえ良ければそれでいい」と考える人が少なくはない。ましてや、権力や金を持つ人は自分の主張を通すために力で他人を押さえつける事もある。
そんな考え方は言語道断なのだ。

個人主義は国家主義の反対側にあるものだと考えられるが、それは自分の事ばかり考える利己主義が個人主義と同義という印象からなのである。
漱石の考える個人主義とは、国家主義でもあるし世界主義でもある。
自分も他人も含めて個人を尊重する。
それが漱石の個人主義であり、それは個人の幸福も社会正義も尊重する思想なのである。

「どこかで聞いたような話じゃないか」と思う人もいるかもしれないが、果たして、この個人主義を理解して生きている人がどれだけいるのか。僕個人としては、個人主義という言葉が一人歩きして、自分以外の事が考えられない無責任で不道徳で不正義な人があまりにも多いように思う。

個人を尊重する、とは他人も尊重するという事なのだ。
その事をまだまだ多くの人が理解していないから、この講演が現代まで残っているのだろう。

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