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【ステレオタイプの科学】差別や偏見を意識しなくなる社会を

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆

〜ステレオタイプが引き起こす心と身体への影響〜

本書が興味深いのは、「なぜ、社会にステレオタイプが存在するのか」ではなく、「社会に存在するステレオタイプが人にどのような影響を与えるのか」という問いかけをしていることだ。

まず、本書では印象的な1つの実験が提示される。
白人の学生と黒人の学生を混ぜたグループを2つ作り、それぞれに数学の問題を解かせる。一方のグループには事前に「これは知能を測る実験である」と伝え、もう一方のグループには「これは問題の解き方を見るテストなので、知能や成績は関係ない」と伝える。いわば、「知性を測る実験である」と意識させたグループとそうでないグループを作り出した事になる。
本実験は、実験当時のアメリカ社会では「白人と比べて黒人の方が知性が低い」というステレオタイプがまだまだ根付いており、そのステレオタイプが成績にどのように影響するかを調べた実験である。
結果は、衝撃的なもので、「知性を測る実験である」と伝えられたグループの黒人学生の成績と白人学生の成績の平均点を比較すると、黒人学生の方が低くなる結果になったのに対し、そうでないグループでは黒人学生の成績と白人学生の成績にほとんど差が無かった、という。
すなわち、「知性を測る実験である」と意識させられた黒人学生は「黒人は白人よりも知性が低い」ということを自らが立証してしまうプレッシャーに襲われて、パフォーマンスが落ちた。一方そうでないグループの黒人は「知性を測られる」というプレッシャーが無い分、普段通りのパフォーマンスが発揮できた、という事だ(事前に集められた学生たちは事前テストSATで同水準の成績をとっており、黒人白人関係なくもともとの実力差は無い。かつ、白人学生の成績はそれぞれのグループで差が無かった)。
つまり、自身にとってマイナスのイメージとなるステレオタイプを意識することで、その人のパフォーマンスは下がる、という事をこの実験結果は示唆している。

本実験だけでなく、様々なパターンで実験や調査が行われるが、マイナスのステレオタイプやアイデンティティを持つマイノリティの人々は、その社会的なイメージを意識してしまう事でパフォーマンスが落ちてしまう事実が様々な証拠から明らかにされる。


〜ステレオタイプを意識する環境だけで充分〜


本書は概ね黒人・白人の人種の違いによるケースを用いた実験や調査を解説しているが、総じて「ステレオタイプやアイデンティティに付随するマイナスなイメージは、マイノリティの人々のパフォーマンスや心理状態に大きな影響を与える」という結果はあらゆる場面に当てはまるだろう。

「女性は数学に弱い」「男性は思いやりに欠ける」そういう空気があるだけで、人はそのステレオタイプ付随のプレッシャーに潰されてしまうのだ。

「あの人は○○だから出来ない」
「あの人は○○だから能力が低い」

そんなセリフ自体が、人のパフォーマンスを下げる呪いの言葉にもなりうる訳だ。
そして、そんな言葉を発する事が無くても、それを意識してしまう環境だけで、大きな影響を人に与えるには充分なのである。


〜仕組みから変えていく〜

さて、本書はただただステレオタイプ付随条件に関するネガティブな実験結果を並べるだけに留まらない。
社会心理学者として、著者はステレオタイプによるマイノリティの人々を救う解決策を提示する。

はじめてのジェンダー論」を読んだときに僕が思ったことと、この著者が同じような事を考えていた事は嬉しい事だったのだが、
著者曰く「人々の心や意識の中から差別や偏見を完全に取り除く事は困難」であるが、「ステレオタイプを意識させない環境や仕組みづくり」なら可能である、という。

例えば、本書で紹介されていた事例として、「白人は差別問題意識が鈍感だ」と思われる事を意識して、黒人の近くにいることを避けた白人学生が、「意見の違いは学びの機会だ」とアドバイスを受けた事により、「自分の発言により、白人の差別意識の低さを証明することになるかもしれない」という意識が取り除かれ、黒人学生に対して抵抗感が無くなった、というものがある。
ステレオタイプによる不安を取り除く事で、行動に影響を与える事がよくわかる事例である。

他にも「クリティカルマス」というものについても述べられている。
例えば、女性が少ない職場においては「男性優位」に感じさせてしまう環境が存在する。たとえ、その会社が多様性を重んじる社風で、そこで働く男性社員にも女性差別的な意志は無かったとしても、「女性の割合が低い」という環境がステレオタイプの脅威を感じる環境としては充分であり、そこで働く女性は満足なパフォーマンスが発揮できない。しかし、そこで職場の男女の割合を半々、もしくは女性が過半数を超えるようにすると、「男性優位」と感じる環境が取り除かれる、またはいくばくか軽減される。
この割合や数値は過半数とは限らず、厳密な数字を出すのは難しいが、その環境におけるステレオタイプの脅威を取り除く割合や人数が「クリティカルマス」である。
以前、とあるネット番組で「女性管理職の割合が少ない」事に関する討論を見たのだが、その中で「法律やルールで女性の管理職の割合を一定にしてしまう」という案が出ていた。もちろん、「能力で出世を決める、という前提が無くなるのでは?」「能力の無い女性が管理職になる事もあるのでは?」という反論もあったが、中には「どういう結果になるかはわからないが、とりあえず割合を決めてしまってやってみればいいと思う」という意見もあった。理屈の上では、この本に倣えば、「クリティカルマス」となる女性管理職の割合を決めてしまえば、「男性優位」のステレオタイプの脅威にさらされずに実力を発揮できる女性が増える、ということにもなる。
そういう意味でも、社会の仕組みからステレオタイプによる偏見や差別を無くす事は出来る可能性があるのだ。

個人的には得るものが多い一冊だった。
差別や偏見に関する話題においては、今までとは違う視点を持つことが出来るようになったと思う。

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