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2023/01付でフリーランスになりまして

表題の通りです。一部先行してお伝えしておりましたが、そのような運びになりました。数年前のぼくは、割と口に出して言うくらいフリーランスになる気はなかったんですけどね。そういった運びになりまして。

それに先立ちまして、2022/12にコネヒト株式会社を退職しました。多くの皆様には直接ご挨拶できず、このような形でのご報告となりまして誠に恐縮ではありますが、今後ともよろしくお付き合い願いたく存じます。

ここまでが TL;DR です。あとは興味があればお読みください。

???「誰だい?お前さんは」

@takoba です。

ソフトウェアエンジニアとして、主にWebアプリをつくっています。バックエンドエンジニアとして求められることが多いですが、フロントエンドも好きですしインフラエンジニアもどきみたいなムーブもします。ずっとPHPを主に書いてきましたが、最近プライベートではTypeScriptを選択することが多いです。
あとはプロダクトマネジメントとかUXデザインとかを過去の経験とかを用いて実施したり、そういったことを活かしつつスクラム開発手法などをみんなで学んでプロダクト開発チームを育てたりもします。対話と観察と考察とお笑いが好きです。あと最近は文章を書くことが地味に好きだということに気づきました。

主食はカレーライスですが、 2022年に買ってよかったもの にも書いたように自炊に目覚めたことで謎に料理こだわりおじさんの気質が高まっています。実験のように調理を試行錯誤するようになってきてて、もはや料理でんじろうです(?)。
最近は冷凍の讃岐うどんをつかって某うどんチェーン店の味に近づけるべく"かえし"を自作して出汁とあわせる実験をしています。その他得意料理は、スパイスからつくるカレーライスとスパゲッティ・アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノと四川風っぽい麻婆豆腐と焼豚チャーハンです。

Spaghetti alla crema di Hakusaiです。勝手に名付けましたしシメジの方が目立つ気もします
麻婆豆腐に小松菜を入れたら彩りがよかったですね〜〜オイリーさも少し罪悪感が減るというか

度重なるメンタルブレイクの先に見えたもの

さて、本題です。見出しが大きさ以上の重さを醸し出していますが、特に躊躇もせずに唐突に話してしまうと、ぼくはメンタルヘルスの調子を崩す経験を何度かしています。それは、そういう結果に陥るしかなかった状況もあったと思うのですが、その状況に陥っていた構図を自分でつくっていた節が大半だとふりかえっています。

最初は大学生のころに経験しました。多くのことに興味を持ちやすいが熱しやすく冷めやすい性格もあり、当時多くの事柄に関わっていたと思いますが、そのうちのひとつだった某環境がフィットしなかったのでしょう。ある種の適応障害みたいなシチュエーションだったと思いますが、断続的に逃避と復帰を繰り返した末に軽く引きこもったような状態になってしまい、両親と心配してくれた方々にメンタルクリニックへ連れて行ってもらいました。いま思えば、ぼくは現在までこのときに診断してもらったことをベースに、(途中で通院をサボったりしてたのも含めると)断続的に通院を続けています。めちゃくちゃ長い付き合いじゃん。

当時、良くも悪くも就職活動は終えていたタイミングだったのですが、このような経験をした影響もあり、ぼくの卒業研究はだいぶ貧相な内容だったと記憶しています。最低限の(とは言いつつActionScript3.0が割と得意だったのでそのへんとGoogleマップなどと簡単に組み合わせた)Flashアプリをプロトタイプして、(まともに機能してたかも微妙な設計になっていたと思われる)最低限の実験をして、その中で書ける範疇の考察を指導してもらってた先生に助けてもらいながらなんとか書いて。いつかやり直したいな、といった気持ちがずっと頭の片隅に残る程度には悔いが残るものでした。それ以前に多くの方に多くの迷惑をかけてしまいましたし、あのときに各所で助けてもらったことは今でも感謝し切れません。

その後、社会人になってからは割と落ち着いてたのですが、その後も何度かメンタルブレイクを経験することになります。基本的には生活のバランスが崩壊したり、何かしら些細だけどショックなことが起きたり、そこまで大きなダメージでなくても細かいダメージが複合的に蓄積することで発生していた、と個人的には整理していたりします。というか、一般的には生活と呼べるほどの生活ができてなかった、と当時を振り返って思います。好きなことに忠実で、反面それ以外のことがおざなりで。どんな人にも物事への好き嫌いはあるでしょうが、それらへの対応が極端でした。
そういった"生活を蔑ろにする"生活が、ちょっとしたことで崩れてしまうようなレジリエンス(回復力 / しなやかさ)のない状況をつくっていたのだろう、と現在のぼくは理解しています。昨今言われる家庭と会社/学校とは別のコミュニティである"サードプレイス"が心身のリフレッシュに作用するみたいなお話は、わざわざサードプレイスに向けなくても"ささやかな幸せ"と呼ばれるようなものが挙げられるように普段の生活の中に存在するとぼくは思っていて、そういったサードプレイス的になり得る"メンタルが依存できるような、メンタルを支えられるための自信を持てる活動"が当時のぼくの生活の中にはほぼなかったんじゃないか、と思ったりもします。
(厳密にはそういう活動が"なかった"と断言するほどではないと思うのですが、そこにアクセスするためにはそこそこのコストが必要で、気分が沈んだときにはそのコストすら払えずにアクセスできないような状態になってたのではないかな、と思っています。)

たびたび「過去の自分が当時持っていた考え方はとっても甘いし、そのような諸々が崩れる状況に至る前に何かしら対処はできなかったのかな」とかを思ったりもするのですが、当時置かれていた状況下ではそのようにしかアラートを出せなかったのだろうな、とも思います。そもそも崩れるような変調に気づくような計測ができていれば、それなりに対処を考えることはできたでしょう。その時々には多くの方に迷惑をかけつつも、そういったことから反省して学んでレジリエンスとなるしくみを獲得しよう、と現在では思ったりしています。それは生活が少ない負荷で回るように整備することだったりするし、自分の生活を自分で賄うサイクルをつくることだったりするし、そのための方法のひとつとして料理に取り組んだりする、みたいな考え方をするきっかけにはなりました。

というか、このへんって何かに似てるな?と思うんですが、明らかに過去から現在までにも関わっているプロダクト開発を進める営みと類似性があると思うんですよね。世の中のプロダクトも、はたまたプロダクトと意識されていないような物事すら、一定の合理性と持続性を得るためのシステムを何かしらで構築しているはずなんです。そういった視線を自身の生活にも同様に向けることに、ぼく自身はこの齢になってようやく違和感を感じなくなりました。自身の生活だって、自分ごととすべき立派なプロダクトなんですよね。

メンタルをブレイクしないように継続してレジリエンスを発揮するためのシステムを自分の中につくる

このお話を今している理由について、すでに察している方もいらっしゃると思いますが、今回フリーランスになる選択をしたのは近々でメンタルブレイクをしたことがきっかけになっています。

当然、決して(当時在籍していた)コネヒト社がそういった状況をつくりやすい環境だったわけではないと思っています。コネヒト社はこうやってメンタルをブレイクした者にもできる限り寄り添ってくれましたし。そして、それは過去に在籍した各所においてもそうであると思っています。今回もやはり、メンタルブレイクに陥らないように自身をコントロールできるシステムを獲得できていなかったことで、ふとしたきっかけからメンタルブレイクに再び遭遇してしまったのだとふりかえっています。

そうしてメンタルブレイクに陥った結果、半年ほど休職ステータスとなりました。その状況に入ったのが梅雨に入る手前だったと思うのですが、ほぼ日に焼けることもなく海底のような場所で夏を過ごし、秋口に何かしら心境の整理がつき始めたのか浮上の兆しが見えてきた、といった経過をたどっていました。そのような状況でも継続的にぼくへのコミュニケーションを続けてくれていた各所には、これまた感謝し切れないな、という気持ちになっています。

Scrapboxに日毎のページをつくって雑に書き殴ってます。そのとき考えたり思ったことや、コンテンツを視聴した感想や思いつきのアイディアも

実は、ぼくは数年前から断続的に日記を残すようにしています。日によって文章量はバラついてるし、内容も直面したことや気づいたことなどを自由に書きます。しばらく書けてない時期があってもよいので、なんとなく「あーこれ記録しておきたいな」と思ったことを日々文章にしていきます。
そうやって断続的にでも思ったことの断片を残しておいたおかげで、外化された断片を目の当たりにしたおかげで、自分のことを客観視することに役立ちました。結果的にはメンタルブレイクは起きてしまったのですが、そこから自身を再起動するためにどうオペレーションすればよいかは気づけたのだと思っています。

結局、自分のなかで消化するためには、その場でできる範囲でよいので目の当たりにした光景や感情を整理して自身の状況を把握し、その中にある事実を観察して新たな発見を探しつつ、諸々にその場での折り合いをつけていくしかないのだと思います。そういった"消化できなかったことを、いまなら消化できるかもと思って折りを見て試行する活動"がレジリエンスとして機能するのだろう、と。そういったシステムをデザインすることが、自身における継続的デリバリーを実現するためにも必要なのです。お仕事も、生活も。

......ここまで書いたことを振り返ると、そもそもぼくはちゃめちゃにワーカホリックですよね。まあ、それはオンオフの境目が曖昧になってしまう諸刃の剣であるとは思っていて、一方でお仕事でも生活でも考え方を応用して捉えられる方向もあるので、欠点もあるけどぼくの良さでもあるとは思うんですけどね。そういう意味では、ちゃんと欠点を補うシステムを組むことが持続的にぼくを動かすために必要なのでしょうけど。

フリーランスという立場でもプロダクト開発に立ち向かえるのか、という問いへの答え

で、本題の方に立ち返ります。なぜ会社に所属せずフリーランスを選んだか。まあ、そもそもこんなに不安定な状況のぼくを正社員で雇ってくれる会社もないかな......なんで思ってたこともあるんですが、復帰した直後に提供できる時間的リソースは少ないだろうし、ぼくとしても少なく抑えたい希望があったので、そういった融通をしやすい状況に身を置こうと考えていました。また、業務委託契約のフォーマットを使うことで責任範囲を(主に自分の中で)明確にしよう、という意図もありました。あくまで決まった範囲でプロダクト/チームに手を出すだけなんだ、と。

もともと、ぼくは会社に属してインハウスでプロダクト開発することにこだわっていました。そのように自分の立場を置いて、自分事ないし自分たち事としてプロダクトを捉えなくてはいけない立場にいると表明することで、プロダクトへのコミットメントを表明していたつもりでした。実際、そういった立場にいることで様々な事柄に首を突っ込んで、広大な守備範囲を捉えるようにしていましたし、そういう考え方もあって自分でも「ぼくはフリーランスにはならないだろう」と勝手に思っていました。
前述した「あくまで決まった範囲でプロダクト/チームに手を出すだけ」という意識も、そうしたプロダクトをある程度は自分たち事にしつつも線を引いて踏み込みすぎないように、と。とはいえ、結果的には業務委託契約なのに割とチームに伴走して、おもいっきり自分たち事として捉えてゴリッゴリに手を出したりもしています。自分も活動する環境である以上見て見ぬ振りもむずかしいし、声を上げることを引き換えに主体として動くことを求められたりもするし。そういうのは嫌いではないですしよいんですが、最初に思ってたのと違うな……?と思うこともありました。

でも、こういうのって契約形態が如何様でも関係なく、単に自分のコミットメントを普段からどう表明するか次第だな、とフリーランスとして走り始めて特に思うようになりました。そして、線を引こうがどうしようが、その線を越境するのがぼくのお仕事における基本なのかも、とも思うようになりました。その結果、プロダクト開発チームに伴走するのが契約形態に関わらずぼくの本来のスタイルなんだろうな、と。
少なくとも普段からプロダクト開発チームにそれぞれ伴走する、という姿勢にいることは、当然自分も同じように走っていることに結果的になると思うんです。その際の走る姿勢の示し方によっては、自分がみんなより遠くに走れる方法を率先して獲得して、それを見せることでみんなを自分と近しいように走らせる技術を得たりそこに向かうためのエネルギーになり得て、その結果みんなを連れ立って果てしないほど遠くに行くことだってできるのだろうな、と思っています。

前述した内容から察せるように、ぼくはそもそも、自分が素敵だと思うプロダクトをもっと遠くへ、より高みへ連れていきたいんだと思います。そのためだったら、自分のお仕事に境界なんてありません。ただ、ぼく1人でできることは限られていますし、ぼく1人が割ける単位時間でできることはもっと限られます。プロダクトを果てしなく遠くへ連れていくには、ぼくが伴走するようにみんなも伴走してくれることが必要なのだと思っています。それは翻って、みんなと呼んでいる集合のひとつひとつが走る意志を持つことが大事なんだと思っています。そのために目の前の課題を整理して、意志を持ちやすくするように共有して理解してもらって。それすら当然ぼくのお仕事の範疇なんですよね。
(ここで言う"プロダクト"は必ずしもWebサービスとかアプリとかのように公に提供されてるものだけでなく、事業とか公共サービスとかも十分範疇になります。有形か無形かを問わず、何によってどのように世の中に存在するかも問わず、そういった数多の事柄が現代においては"プロダクト"と指せると思っています。それは、これらの言葉の選択が正しいかは未だ整理できてませんが、そういったプロダクトになり得る事柄へのオーナーシップの具象化なのだと思ったりもしますが、このへんに関してはまたどこかの機会で。)

で、やはりそれはプロダクトマネジメントという領域を主として捉えなくてはいけないマインドセットなのだろうし、そのために自分が考えられるエンジニアリングもデザインもフル動員したいな、という気持ちなんだと思います。まあ普段はエンジニアとしてもその他のロールでもよいので各種実装もしますけど、実装も設計もその前段の対話も諸々行き来できることが、よりプロダクトを高みへと連れていくんじゃないか、とも。

幸い、過去のぼくが無意識にそういう意図でそれなりに積み上げてくれた経験も含めてですが、上記のようなぼくの気持ちを割と受け止めてくれる会社にいくつか出会うことができました。個別に申し上げるのは略させていただきますが、ご紹介していただいたみなさんにも感謝したいです。
そして(ぶっちゃけ多くの会社が正社員になることを望んでくれたりもするので)将来的には正社員としてどこかの会社に属することも考えていますが、近々においては、以前は避けていたフリーランスとなる状況をシンプルにたのしみながら、いままで経験できていなかったことを経験してみたいと思っています。それが未来の自分を形づくる学びにもなるはずですから。こうやってアンラーニングする機会も得られて、その先にある経験を得ることもできて、思ってる以上に幸せな状況ですよねこれ。本当にありがたい。

ちなみに、コネヒト社が表現しようとしている「 あなたの家族像が実現できる社会をつくる 」という世界観はいまでも魅力的だと捉えているし、その実現に微力でも携わりたいがためにコネヒト社に残る選択肢も模索しましたが、双方の都合を踏まえた結果退職を選ぶかたちになりました。いずれまた交わる世界線に立てるように、諸々を整備しながら爪を研いでおきたいと思っています。

あと、地味に不透明であったことだと思うので明らかにしておきますが、 以前のエントリ で前々職のSchoo社と業務委託契約を結んでいただいたことを記載していましたが、その後ぼく自身がほぼリソースを割けなかったこともあり、2019年末には諸々区切りをつけるかたちになっておりました。
Schoo社の掲げる「 世の中から卒業をなくす 」をはじめとした世界観も、個人的には未だに魅力的だと思っています。とはいえ当時のぼくにはフルタイムな本業の他で稼働できるリソースも器用さもなかったな、と思っていますし、そのあたりの期待値もうまく調整できなかったなあ、と反省していました。当時を振り返って申し訳なかったと思いつつ、改めてどこかで交われることがあればうれしいな、と思って粛々と爪を研ぐ日々を送る所存です。
(地味に個人的なお知り合いがSchoo社に入られてたりするのを見かけたり察していて、素敵なissueに取り組まれててよいなあと思っていたりしました。陰ながらご健勝をお祈りしておりますし、いつかそこに並べることがあればよいなあ、なんで思ったりもしています。)

現在地のお話と今後のお話

こうしてフリーランスとしての活動が表題にあるように年始からはじまったんですが、いまのところ主に Stroly というプロダクトに関わっています。

Strolyは、簡単に言うと「イラストマップをインタラクティブなWebマップコンテンツにするためのプラットフォーム」です。イラストマップとは、古地図や観光ガイドなどに載っている地図など"通常の地図に比べて抽象化された地図コンテンツ"と幅広く捉えていて、たとえばあなたが道案内のためにサラッと書いた地図も、言ってしまえばイラストマップの範疇です。そんなイラストマップとなる画像を素材としてアップロードして、OpenStreetMapを利用したデジタルマップの緯度経度とイラストマップの座標とを対応させることで、割と簡単にイラストマップのデジタルコンテンツ化ができます。

ネオ歌舞伎町マップです
https://stroly.com/viewer/1627543732?zoom=2
函館大火(1934年発生)の被害状況を記録した古地図
https://stroly.com/viewer/1662250160?zoom=2

実は少しずつ各所の市町村に導入され始めていて、観光ガイドのデジタル化を起点に旅における"タビナカ(旅の最中における体験)"を充実させることも指向しています。

Dig the LOCALと題した徳島県徳島市の徳島駅周辺にあるカフェやパン屋さんのマップ
https://stroly.com/viewer/1672043732?zoom=2.5

そして個人的に注目しているのは「あなたから見える街を自由に表現できるメディア」になり得るプロダクトであることです。
現在は古地図や観光ガイドに載ってるようなイラストマップなどを用いて"誰かの視点を体感しやすく受け取るメディア"としての利用が多いのですが、元来Strolyはユーザー登録をすれば誰でもマップコンテンツを作成できるプラットフォームとして開かれています。そのため、プロダクトの改良や利用シーンの提案によっては、たとえばイラストマップをテキストや写真などと近しい個人が発信するためのコンテンツとして気軽に扱う世界線すらつくれそうなプロダクトだと思っています。

そういったイメージを含め目指している世界線を迎えられるように、現場のプロダクトを進歩させていくためのお手伝いをさせていただいてます。名目上はバックエンドエンジニアなんですけど、職務としてはそのへんも含まれてると勝手に(と言いつつ各所合意は取りつつ)思っていて、最近はバックエンドだったりインフラだったりを見つつ、プロダクトマネージャー的な動き方やスクラムマスター的な動き方もそこそこな割合でやっていて、以前鍛えていただいたことを応用しながらプロダクト開発チームの安定稼働を目指して、良くも悪くも職種のラベルに捉われない動きをしています。

その他、某社でReactを書くフロントエンドエンジニアとしてちょろっと関わらせていただいてたり、某社でチームビルディングをサポートする動きをちょろっとしていたり、某サイトでメンター的なことをちょろっとやってみたり、と稼働が当初の想定より増えてしまったかんじはあるのですが、諸々調整して落ち着かせつつ、ぼく自身も安定稼働するようにやっていければな〜〜と思っています。

ちなみにJR西日本さんのハルタビという企画で、Strolyを用いたイラストマップが公開されています。もしよければご覧ください〜〜👀

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おわりに

最後にちなむと、ぼくが日記を書き残すこと、はたまた考えていることの断片を記録しておくことが作用する力のことは、奇しくも大学時代に最初にメンタルブレイクした環境の中で教えてもらったことでした。実はそういった結果に至った環境の中で学んだことでも、いまでもぼくの中に多数生き続けているのです。
この事実に気づいた当初は自分でも驚いたのですが、意外なことにこれについては結構昔にすんなり消化できています。割と素直に。そのときの環境が、いま現在のぼくの中にある原動力のいくつかを気づかせてくれたことには変わりなくて、その部分に関してはこれからも感謝していきたい気持ちだって残っています。

ヒトの身体は新陳代謝を繰り返して、定期的に構成要素が細胞という単位で入れ替わっています。 テセウスの船 が修繕を繰り返すことで最初に存在した部品をすべて失ってしまったかのように、モーニング娘。で初期メンバーが全員卒業を済ませているように、数年前の自分を構成していたものは現在の自分を構成しているものにまったく残っていない可能性が大いにある、と言われています。
(ちなみにモーニング娘。を引き合いに出したのは、 モーニング娘。のWikipediaのページの関連項目 にテセウスの船のリンクがあるからです。さらにちなむとAKB48も既に1期生は全員卒業しましたし、先日乃木坂46もそうなりましたねえ......ああお話を元に戻しますね)

だとしたら、ぼくらヒトが自身の中に自己を記録し続けられるしくみはなんなのでしょうか。

ぼくは、それが外部のメディアに因るものなのではないか、と思い始めました。短期的には自身の中の記憶と呼べる何かに残るのだろうけど、実は忘れないように外部のメディアに断片をコピーし続けている。それが会話なのか日記なのか写真なのか映像なのか、はたまた地図に記す世界線になるのかもしれませんが、もしくはそんなわかりやすい外部メディアを使わなくても、自身の中で思い出すだけでもよいのかもしれません。そうやって何かしらの他者、つまりはメディアと対話することで記録を移し替え続けてるのではないか、と。すでにどこかで語られてそうなお話ですけど。

でも、そうやってコピーし続けてると記録のディテールが削り取られてしまう気もします。データも、別のメディアに焼き付けたりすると劣化してコピーされてしまうように。そして、そうやってディテールが削ぎ落とされるのを繰り返していくと、実は自身の中に残ってしまっているトラウマのような記録が、もしくはそういった記録の中にある有害な情報が削り取られていく時が来るんじゃないかな、なんて。
だから、外部のメディアに断片をコピーするかの如く何かしら文章の断片を書き残していくことは、そのとき苦しい気持ちから解き放たれるための有力な方法のひとつなんじゃないか、って思ったりします。そうじゃなくても認知行動療法やオープンダイアローグなんてお話もあるので、文章を書いたり誰かと話したりすることをはじめとする"記憶や思考をメディア化すること"は、ヒトにとって割と癒しを与える方向に向く行動なのだろう、と思ったりはします。

ぼくは幸いなことに、大きく影を落としかねない過去にも、現在では折り合いをつけられているみたいです。このテキストはぼくが狙ったいくつかの目的を果たすためのものでもありますが、他方でこうやってぼくが現在に至った過程が語られることで、少しでも先に進める他の方がいるとよいなあ、と思って書き残してみました。
以前どこかでも書きましたが、こういった私文書のようなメディアが、ほんの少しだけでも我々を前に進めてくれる力があることを、ぼくは信じています。そして重ねてになりますが、こうやって文書をしたためる力を、近々のコネヒト社でも過去に在籍した環境でもたくさん鍛えてもらいました。その事実だって変わりませんし、鍛えてもらった力がこうやってぼくが技術者たらしめるパワーであり続けています。そのことに、そこに関係してくれた人々に今後も感謝し続けて、ぼくは書くことを続けようと思っています。

それにしても、こうやって新たなプロダクトに出会うたびに思うんですが、世の中すてきなプロダクトが多すぎですよね......ぼくがあと12人ぐらいいれば多くのプロダクトに関われるのにねえ。まあ、それは「そういうことができるチームをつくりなさい」ってことなんでしょうけど。

参考

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