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「本音」とやらは、本当に存在するのか

僕も便利なのでよく使っちゃうんですが「本音」って概念自体が結構な危うさを持っているなぁと感じるのです。

建前の奥に本音がある、シンプルな階層構造をイメージするかもしれないんですが、実際はもっと複雑だと感じてます。本音っぽい思考と建前っぽい思考が入り乱れていて、マーブル模様になっているのが僕たちなのかなと捉えているのです🤔

でも「本音」と表現した途端に、僕らの思考のなかに唯一の変わらないモノが存在するようなイメージを持ってしまうかもしれません。

おそらく実際は、色んな思考が僕らの中では入り乱れていて、その一部分を切り取ってみたら本音に見えたり建前に見えたりするだけじゃないかなぁと感じるのです。素人意見ですけどね。

自分自身の思考や存在は、そんなシンプルに表現できるモノじゃない。だから「複雑なままに捉える」感覚も大切だと思うのです。

とは言え、その先の「意志決定」は別なんですよね。複雑なままに自分を捉え、その中から今の自分のあり方を自分で決めることはできる。

認識と選択を分けて考える感覚ですね。そんな捉え方をしたりもします。

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