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複数国が参加する連合作戦は外交交渉と不可分の関係にある:1943年のカサブランカ会談の事例

1943年1月14日、フランス領モロッコで開催されたカサブランカ会談は、第二次世界大戦で同盟関係にあったアメリカ、イギリス、自由フランスの首脳会談でした。この会議で決定された方針とは、北アフリカの沿岸部からイタリア半島を経由してヨーロッパ大陸に部隊を進撃させるというものでしたが、アメリカ陸軍軍人アルバート・ウェデマイヤーはこれに強い不満を抱いていました。彼は北アフリカの戦闘を一刻も早く切り上げ、ノルマンディー上陸作戦の準備を本格化させ、戦争を早期終結に持ち込むことがアメリカの国益になると考えていたためです。しかし、結果的にイギリスが求めていたイタリアの軍事的打倒と地中海航路の安全確保が優先される結果になりました。

ウェデマイヤーはアメリカ代表団の一員としてこの会談に参加しましたが、彼はその会議でアメリカの代表団がイギリスの代表団ほど外交交渉が巧みに運べていなかったことを反省しています。イギリスの代表団はこの外交交渉に備えて万全の態勢を整えていましたが、アメリカの代表団はさまざまな点で準備が不足していました。

「イギリス軍幕僚長たちは、しばしば、ほとんど毎日のように、チャーチルやイギリス政府の各部局、とくに外務省の官吏たちと接触していた。また、チャーチルも作戦計画の立案を担当していた。イギリス軍下部レベルの幕僚たちを気軽に、たびたび訪問していた。幕僚たちと密接な連絡を保つことによって、チャーチルは作戦情報を勉強し、毎日の、いや毎時の軍事状況をつねに熟知していたのであった」

(ウェデマイヤー著、妹尾作太男訳『第二次大戦に勝者なし』上巻357頁)

このため、イギリスの代表団は交渉の席で常に政治家と軍人が共同戦線を張ることが可能でした。彼らはイギリスの国益について確かな理解を持っており、それを支持するために粘り強く交渉することができましたが、それに比べてアメリカの代表団は政治家と軍人の意思疎通も十分ではなく、結果的に意見の統一を確保することができませんでした。

「アメリカのおそまつな組織よりもさらにいっそう危険なのは、アメリカ側が意見の一致を欠いていたことであった。われわれアメリカ国民が何のために戦っているのかという戦争目的について、われわれは国家として統一した見解を持っていなかった。すなわち、具体的なアメリカの戦争目的を持っていなかったのである。もちろん、アメリカの戦争目的として、「四つの自由」ということが掲げられていた。しかし、これら「四つの自由」を達成する、ということだけでは、これにもとづいて戦略を立案するには、あまりにも漠然としすぎていた」

(358-9頁)

ウェデマイヤーがここで述べている四つの自由とは、1941年1月にアメリカのルーズベルト大統領が表明した言論・表現の自由、信教の自由、欠乏からの自由、恐怖からの自由の四項目のことです。政策全般と関わる基本的な価値観の表明、ビジョンの提示として解釈することができますが、これらの項目から具体的な戦略方針を導き出すことは困難でした。そのため、アメリカの代表団の間では、さまざまな論点をめぐって意見の違いが表面に現れました。対するイギリスの代表団は「外国との交渉では共同戦線を張り、彼らの間の意見の相違は国外へは持ち出されなかった」と記されています(同上、359頁)。

ウェデマイヤーをはじめとするアメリカ陸軍の首脳部は、カサブランカ会談が始まる数週間前からイギリスがアメリカ軍で構想されていたノルマンディー上陸作戦に反対していることは把握していました(同上、367頁)。チャーチルはルーズベルトに西地中海のサルデーニャ島、コルシカ島の攻略を持ちかけているという外交情報があったためです(同上)。そのため、ウェデマイヤーはイギリスはアメリカ軍の部隊を地中海の奥深く、中東地域にまで誘い込み、イギリスの海外植民地を維持するための費用を負担させようとしていると分析していました。

ウェデマイヤーは、こうしたイギリスの動きがアメリカの戦略構想を危うくすると懸念し、自らの意見を事前にマーシャル参謀総長と共有して協議しています。マーシャルもこの懸念を共有しましたが、彼にはルーズベルトの意図が分かりませんでした。また、イギリスに対する交渉戦略を陸海軍との間で取りまとめることもできませんでした(同上)。カサブランカに到着してからも、ルーズベルト大統領の指導内容は貧弱であり、ウェデマイヤーの観察では「陸海軍の幕僚長たちに対して、自由に個人的見解を述べさせるだけで、彼の考えている計画や政策について、何の指示も与えなかった」とされています(同上、368頁)。

結果的に、カサブランカ会談の後でシチリア島の攻略を目指すハスキー作戦が正式に決定されることになりましたが、そのことでノルマンディー上陸作戦の開始時期は大きく遅れることになりました。1月24日にカサブランカ会談は終了しましたが、ウェデマイヤーは全体を振り返って、次のように反省点を書き残しています。

「イギリス軍代表たちは、おおぜいの幕僚と補助者を連れ、計画を立てて、われわれの頭上に、イナゴの大群のように襲いかかってきた。彼らはこの会談で、自分の目的を達成しようとしただけでなく、これからとるべき作戦の方針を左右することによって、この大戦全体の流れを終始一貫してやすやすと、彼らに有利な方向に導くことができるものと、かなりはっきりした見通しを立てていた。彼らはこの見通しを確実なものとするために、この会談に備えて慎重な計画を立てていた」

(同上、383頁)

このような結果となった責任は、複数の国の参加する連合作戦においては、状況判断、方針策定、計画立案の各段階において他国との外交交渉の要素が入り込むことになります。そのため、軍人は軍事専門家として振舞うだけではなく、その国の外交官として交渉能力を発揮することが要求されます。

アルバート・C・ウェデマイヤー著、妹尾作太男訳『第二次大戦に勝者なし』上下巻、講談社、1997年

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