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なぜスパルタは没落したのか? 軍事大国の急激な弱体化には理由があった

都市国家スパルタは古代ギリシアで有数の軍事大国でした。国防のために青少年に対する過酷な教育訓練を行ったことはスパルタ教育という言葉を通じて今でも広く知られています。

紀元前431年から前404年まで続いたペロポネソス戦争において、スパルタは大国アテナイを打ち負かし、古代ギリシアの覇権を握りました。ところが、かつてスパルタと同盟関係にあったテーバイという国がスパルタに戦いを挑み、レウクトラの戦い(前371年)でスパルタ軍を撃滅したのです。その後、スパルタの覇権国の地位はテーバイに奪われ、終戦からわずか33年でスパルタの繁栄は終わってしまいました。

なぜスパルタはこれほど短期間のうちに没落してしまったのでしょうか。この問いに答えるためには、まず軍事の観点からスパルタ軍がレウクトラでテーバイ軍に敗北した要因を探り、次に政治の観点からその敗因をより深く分析しなければなりません。

戦術の観点から見たレウクトラの敗因

レウクトラの戦いでスパルタ軍が敗北した原因として有力視されているのが、テーバイ軍の指揮をとっていたエパメイノンダス(前410頃~前362)将軍の戦術が優れていたことです。当時、エパメイノンダスは戦場でスパルタ軍の戦列右翼に我の兵力を集中しながら圧迫する独自の戦法(斜行陣)を採用しました。このエパメイノンダスの戦法によってスパルタ軍の戦列歩兵の隊形は右翼から崩されることになり、左翼に残されたスパルタ兵は恐慌状態に陥ってしまったとされています。

しかし、別の観点から戦闘の経過を調べてみると、必ずしもエパメイノンダスの戦術能力だけで勝敗が決まったと言い切れないことが分かります。歴史家クセノポン(前430頃~前355頃)は、著作『ギリシア史』でレウクトラの戦闘について記録を残しているのですが、その記述によると、この戦闘に参加したスパルタ軍の兵力はテーバイ軍に対して数的に優勢であったものの、騎兵部隊では劣勢でした。しかも、スパルタの騎兵部隊の能力は極めて低く、テーバイの騎兵部隊との戦闘でとても互角に戦えていなかったとされています。

20世紀に軍隊の機械化が進むまで、戦場で騎兵が果たす役割は非常に広く、偵察、捜索、襲撃、陽動、追撃などさまざまな任務を遂行していました。当時の戦闘の様式を踏まえれば、騎兵戦は歩兵戦に先立って行われることが一般的でしたが、レウクトラの戦いでもスパルタの騎兵部隊がテーバイの騎兵部隊によって真っ先に撃破されていたことが記されています。

つまり、スパルタ軍の戦列歩兵は味方の騎兵の側面掩護がない状態でテーバイ軍の歩兵と交戦することを余儀なくされていたことになります。だからこそエパメイノンダスの罠にかかった際に、スパルタ兵は包囲を恐れて恐慌状態に陥ったと推測できます。スパルタ軍の騎兵の劣勢はレウクトラの戦いの敗因を考える上で重要な意味を持っていると考えられるのです。

冒頭で述べた通り、スパルタにはペロポネソス戦争で多くの経験を積んだ軍隊がいたはずです。それにもかかわらず、なぜスパルタの騎兵はそれほど弱体化していたのでしょうか。この問いに答えるためには政治の観点が必要です。

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