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英国は権力分立で戦争遂行能力を向上させた『財政=軍事国家の衝撃』の紹介

イギリスは1688年の名誉革命でいち早く議会政治の基礎を確立した国家として知られていますが、その意義は国内政治だけに限定されていません。議会政治を確立したことは、イギリスが国際政治で他の大国と戦争を遂行するときにも優位をもたらしたと考えられています、

今回は、イギリスの国際的な地位を向上させた要因を政治制度の特性で説明したブリュアの『財政=軍事国家の衝撃』(1988)を取り上げ、その議論の一部を紹介しようと思います。

Brewer, John D. 1988. The Sinews of Power: War, Money, and the English State, 1688-1783, Cambridge, MA: Harvard University Press.(邦訳、ジョン・ブリュア『財政=軍事国家の衝撃 戦争・カネ・イギリス国家1688-1783』大久保桂子訳、名古屋大学出版会、2003年

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目次
序論
1.コンテクスト
2.軍隊:軍事力組織化の諸形態
3.文民政府:政府の中央部局
4.カネ、カネ、カネ:膨張する債務と課税
5.国家権力のパラドクス
6.戦争のパラメーター:政策と経済
7.戦争と租税:社会、経済、世論
8.公の情報、私の利害
9.結論

15世紀、イギリスはフランスとの百年戦争に敗れ、ヨーロッパ大陸に持っていた所領をすべて失いました。その後、フランスは勢力をさらに拡大し、1618年に勃発した三十年戦争で西ヨーロッパの覇権を握ることに成功しています。フランスの軍事的な台頭を可能にしたのは軍事力の優越でした。フランスはヨーロッパで最大級の軍備を維持しており、ヨーロッパ大陸でフランス軍の兵力と互角に対抗できるのはオーストリアなどごく一部だけでした。

しかし、数々の戦争に参加したことで、フランスは戦費の調達をますます債務に頼るようになりました。著者は、官吏に対する給与の支払いも遅れがちになっていたこと、官職を売却することによって歳入を確保することが制度化されたことなどを問題点として指摘しています(ブリュア、2003年、30-31頁)。官職の売却益で戦費を調達する売官制は、行政活動の効率性を長期的に低下させる効果があったことも述べられています。

1688年に起きた名誉革命の結果、イギリスではまったく違った政治制度が発達しました。革命の結果、国王の権力に対抗できる機関として議会の地位が確立されたことにより、国王が議会の承認を得ずに戦費を支出することができなくなり、また財政の監査も厳格になったのです。著者は、イギリスがこの時点までにヨーロッパ大陸の戦争に介入することを一貫して避けてきたこと、そのために大規模な兵力を保有し、莫大な戦費に苦しめられることがなかったことが、よい出発点となったと論じています。引用文ではイギリスではなく、イングランドの名称を使用していることをご了承ください。

「16世紀から17世紀初頭まで、かりにイングランドが積極的な交戦国だったなら、イングランド国家も相応の負債を負い、寄生的な役人層がはびこることになったにちがいない。その意味で決定的に重要なのは、イングランドの財政=軍事国家が誕生したタイミングである。財政=軍事国家が資源動員に乗り出したとき、それを主導した体制は、オランダの財政手法を取り入れたばかりか、議会による監視をつうじて、売官制の悪しき事例を防ぐ手立てを講じた」(同上、36頁)

イギリスの議会は、それまで国王が秘密にしてきた国庫の財務情報を公開し、高い透明性で管理する方法を確立しようとしました。間もなくして、財政の透明性を保証するには、法令に従って公平に徴税を行い、会計処理を行い、議会に正確な情報を提供する官僚機構が必要であることが認識されるようになりました。イギリスは歳入に関わる徴税官を拡充するところから着手しました(同上、77頁)。1690年から1782年までに、4倍近い増員が行われました(同上、79頁)。

著者は、イギリスの徴税官が、どのように勤務していたのかを読者に伝えるために、ある徴税官の労務記録を示しています。それによれば、彼は毎週6日間にわたって公務出張を行い、出先から戻ると15時間をかけて報告書を作成し、ようやく休暇を取得するという生活を送っていました(同上、82頁)。

徴税官は決して楽な仕事ではなく、大多数の官吏は法律文書や行政文書を清書する仕事を兼業することによって、辛うじて生計を立てていました。労働環境が厳しかったために、フランスで見られた官職の売買も皆無ではありませんでした。しかし、著者が調べた限り、大多数の徴税官は公平中立に業務を遂行しており、イギリスの財政を支えていたと著者は評価しています(同上、82-85頁)。

議会は骨の折れる徴税を黙々とこなす多数の徴税官の報告に基づき、フランスでは考えられない財政の透明性を確保することができました。この制度に依拠することでイギリスは小規模だった軍備を段階的に拡張し、他の大国と争えるだけの能力を培いました。九年戦争でイギリスが動員した兵力は陸軍で76,404名、海軍で40,262名、合計で116,666名にすぎませんでしたが、およそ100年後のアメリカ独立戦争では陸軍で108,484名、海軍で82,022名、合計で190,506名を動員しています(同上、40頁)。

著者は、イギリスが国王に対する議会の権力分立を確立したことで、透明性に富んだ予算制度を実現し、そのことが国際的な地位の向上に繋がったにもかかわらず、その意義が軽視されてきたことは残念なことであると述べています。

「歴史家がこの人たちを取り上げてこなかったのは、ひとつにはその仕事がいかにも魅力に乏しいからである。これほどたくさん書き残している人たちなのに、この人たちについて書いた記録がほとんど残っていないのは、驚くべきことである」(同上、80頁)

今ではイギリスが台頭できた一因として、財政システムの優位性があったことは認識されるようになりました。政治学では権力分立に基づく議会政治の発達が財政システムの合理化を可能にし、それが長期戦における戦略上の優位にも繋がったという民主的優位(democratic advantage)の議論が出されています(論文紹介 なぜ民主主義国は長期的な国際紛争で優位に立つことができたのか?)。あるいは、より長期的な視点で民主主義の国家が専制主義の国家との戦略的競争において常に優位に立っていたことを主張する研究もあります(古代から現代まで続く民主主義と専制主義の戦争『大国間対立の再開』の書評)。ブリュアの研究成果は、こうした最近の議論の先駆けとして読むこともできるでしょう。

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