栃木県ゆかりの著者が総力取材!『栃木怪談』(深澤夜/編著、松本エムザ・橘百花/共著)編著者コメント&収録話「夜泣き」全文掲載
栃木県ゆかりの怪談作家が地元の怪と不思議を徹底調査!
内容・あらすじ
栃木県ゆかりの怪談作家が地元の怪と不思議を徹底調査!
土地の怪奇伝承から現代の恐怖体験まで幅広く聞き集めたご当地怪談集。
思川に架かる橋の橋脚に浮き出た姫君の形をした染みの正体は…「思川にまつわる話」(小山市)
峠道の左右の林から聞こえる笑い声と、揺れる無数の首吊り紐…「烏帽子掛峠」(那珂川町)
雷が落ちた場所をしめ縄で囲って祀る風習。その中に猫の亡骸を置くと…「雷様が降りた場所」(大田原市)
戦国時代の悲劇の史跡、十二御前。その近辺で起きる事故との因果は…「田園にて」(矢板市)
岩舟山近くの調水池で起きた怪。神隠しのごとく消えた子供が水の上に立ち現れて…「沼」(栃木市)
伐ると死ぬと言われる祟りの杉。その真相は…「日光街道・徳次郎の六本杉」(宇都宮市)
古峯神社の近く、例幣使街道沿いの杉並木を飛ぶ子天狗…「鹿沼の思い出」(鹿沼市)
中禅寺湖に浮かぶ金の帆掛け船の幻。母には見えず娘にだけ見えて…「湖上の帆船」(日光市)
他、35話収録!
編著者コメント
1話試し読み
夜泣き 深澤夜
栃木県東部に位置する、ある市での話だ。
県境にもほど近いこの町は、起伏に富んだ地形を持つ。
夜早く、七時八時の頃には町の中心部から人通りが消える。そういうところだ。
この土地で生まれ育った荒井さんは、とある出来事を覚えている。
「高校までの通り道だったんですよ」
綺麗な、しかしうねった道で自転車のペダルを漕いでいた。
高校生ともなると部活やら文化祭の支度やら、帰りが真っ暗になってしまうこともしばしばある。
彼女は高校が比較的近所であったためか、三年生になっても原付き通学が認められなかった。
学校近くは既に真っ暗だった。しかしその道に差し掛かる頃は、車の通行量もあり、遠くのゴルフ場のライトアップで心なしか明るく感じる。
暗いことには変わりないのだが。
「横っちょに、林がずーっと並んでて。大きな林じゃないですよ。スッカスカの林です」
すかすかであれ、夜道には鬱蒼と見えただろう。
手前に家もなく、工務店の重機置き場、コイン精米機がぽつぽつとあるくらい。
林の向こうに広がるのは、畑だ。そして広い河川敷を含む、開けた土地。
「そこからね、赤ちゃんの泣き声がするんですよ。オギャー、オギャーって」
鳥や猛禽の鳴き声が赤ん坊に聞こえることもある。狐は、この辺りにはいない。
ただ野生動物というのは人間ほど滅多矢鱈には鳴かないものだ。
ましてその向こうは平地だ。動物は少ないだろう。
「……自転車で走っててもね、泣き声がついてくる気がして。何かイヤだなって」
なんかイヤだ――それくらいのほうが、却って身近な誰かに相談し易いものだ。
彼女は、そのことを祖母に訊ねた。
*
手塚さんも、その道が苦手だ。
「綺麗な道だけどね。走り易いけども。あんま通らねえよ。川の反対側にだって道路あっから」
どうしてもというときは、車の窓を閉めて走り抜ける。
秋の気持ちの良い風が入ってくる。虫も飛び込んではこない。
それでも、その道に掛かると彼は車の窓を閉める。
厭だからだ。
「子供の、赤ん坊の泣き声がすんだ。オギャー、オギャーて。たまにだけどね。それ聞いた日にゃ眠れねえもん」
手塚さんの家には、当時生まれたばかりの下の子がいた。
「間違わねえよ。子供の声ってのは。本能に組み込まれてんだろうね、ああいうのは。小さくてもハッて気付く。こう、目がカッて開くみてえに。音楽掛けててもさ」
泣き声はやはり、薄く広がる雑木林の向こうから、車の中へ飛び込んでくる。
林のベールの向こうは、開けた土地である。
畑がのっぺりと広がり、間を畦道が縦横に駆ける。
その真ん中に、ぽつんと一軒の家がある。
周囲には、他に一軒の家もない。畑か、空き地である。
およそ日本離れした光景とも言える。
その家には長く誰も住んでいない。最後に住んだ一家は、全員そこで命を落とした。
顛末については割愛する。
*
再び女子高生・荒井さんの話に戻る。
荒井さんの祖母はその家について多くを語らなかったそうだ。
ただ、厭そうな顔をしてこう言った。
「そんな訳あんめ。前っからそんな話ばっかすっけどな」
聞き違いだ、気のせいだ、ではない。『そんな訳はない』と、頭から全否定なのだ。
聞けば、元々その周囲――主に雑木林の道路側には、家が数軒あったのだという。
皆出て行ってしまった。
『夜泣きがうるさいから』なのだという。
残って、未だに取り壊されていないのがあの一軒だった。
今は彼女も二人のお子さんを持つ。
彼女も自分の子を持つに至って、手塚さんと似た感慨を持った。
「――子供の声って、覿面に耳に付きますよね。無視できない。手が離せなくっても、逃げられるもんでもないし……」
*
「こんなことカミさんには言えねかったけどよ?」
手塚さんは、一つ悩んでいることがある。
最後にそれを紹介してこの話を終えよう。
「自分の子の泣き声が、時々分かんなくなったんだよ。あの林の向こうから聞こえてくる赤ん坊の声とな。それとこれと、どっちがうちの子の泣き声なのかなって」
子供の泣き声は耳につく。無視できない。逃げられない。
自転車で走ろうと、車の窓を閉めようと。
だが雑木林の向こうには誰も住んでいない一軒家のみ。赤ん坊などいるはずもないし、そもそも荒井さんと手塚さん二人を例に取っただけで、二人の体験には時間にして十年もの開きがあるのだ。
だから荒井さんの祖母堂は、『そんな訳あんめ』と言ったのだろうか?
赤ん坊の泣き声などするはずがない――そう言える理由がある。
あの家に住んだ最後の家族には、赤ん坊はいなかった。
それだけではなく、その前も、その前もだ。
知られている限り、あの家に赤ん坊がいたことは一度としてなかったのである。
―了―
★著者紹介
深澤夜 Yoru Fukasawa
栃木県生まれ。老舗実話怪談シリーズ「超」怖い話の共著者として、夏冬活躍中。主な著作に『「超」怖い話 癸』『「超」怖い話 卯』など。
松本エムザ Mza Matsumoto
栃木に嫁いで二十余年。「綴り」と「語り」で怪談の魅力を鋭意発信中。主な著書に『貰い火怪談』『狐火怪談』など。
橘 百花 Hyakka Tachibana
栃木県出身。主な著作に、『恐怖箱 死縁怪談』、実話怪談アンソロジー「恐怖箱」シリーズのほか、児童書ホラー『怪異伝説ダレカラキイタ?』など。