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❖足元美術館XXⅨ(目移りという嬉しい悩み)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2024年1月28日)

【記事累積:1927本目、連続投稿:861日目】
<探究対象…美、花、色、目移り、孔子>

本日ご紹介する足元に展示されていた美術作品のタイトルは、「目移りという嬉しい悩み」である。一体どんな作品なのだろうか。

その作品は、家の近くの植え込みに展示されていた。1月中旬、日本ならば冬真っ只中で、動物や虫たちの中には土の中で厳しい寒さをしのいでいる奴らもいるし、草木の中には早々に花や葉を落としてしまって寒さ対策が万全な奴らも少なくない。しかしここラオスでは、あらゆる生き物たちが寒さとは無縁な状態で元気に生活をしている。

日本に住んでいたとき、この時期に夜の散歩をすると、いかに明かりが煌々としていてもその周りに集まる存在を確認することは難しい。けれどもラオスだと明かりの周りは、平日の交差点のように、虫たちの往来が激しく、またヤモリたちでごったがえしている。草木の様子の場合、日本ならば緑色を基調にしてはいるが、全体的に水墨画の世界である。一方、ラオスはというとビビットカラーとパステルカラーが織り交ぜられた色とりどりの世界である。

先日、そんな色とりどりの世界が足元に広がっていたのである。植え込みの緑色とコンクリートの灰色のキャンバス全体に赤が散りばめられていた。この赤色だけでも十分に美しい作品だと思うのだが、どうやら作者は貪欲らしい。その赤色も濃い赤と淡い赤が所々に並べられていて、作品に躍動感を与えている。さらにあえてまばらになのだろうが、黄色も目に付く。それが濃淡の赤中心の世界のアクセントになっているのである。そうして緑色のキャンバスで強めの色を展開させながら、それとは対照的に排色のキャンバスには薄い青色をわずかに配置している。緑色のキャンバスで「動」を表現しながら、同時に灰色のキャンバスで「静」を表現しているように感じる。作者の遊び心はこれだけで終わっていなかった。作品の右側の方にある黄と緑の葉が集まっている場所の中心に、小さくて淡い紫色が置かれている。見る人によっては気づかないかもしれない。作者はそれでも構わないというつもりで、あえてこのように小さな紫色にしているのだろう。気づいた人だけがその遊び心を楽しんでくれればいい、そんな作者の思いが垣間見えた。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」
この言葉は古代中国の諸子百家の一人で、儒家の祖である孔子の言葉として伝えられている。

この言葉は、「何事もやり過ぎてしまうと、それは足りない状態と変わらないくらい良くないものになってしまう」といった意味で使われている。足りないことはもちろん良くないのだが、その逆の過度であることも結局のところ良い結果を生み出さないことが多いのである。そのため孔子は不足と過度の両極端を避けたバランスの良い理想状態としての「中庸」の大切さを説いているのである。このような考えは、例えばアリストテレスの「メソテース」や、ブッダの「中道」にも共通しているものである。

先日、家の近くで見かけた足元の作品についても、孔子の言葉が当てはまるかもしれない。キャンバスの至る所に素敵な色が仕掛けられていると、どこに注目してこの作品を楽しんだらいいのか、目移りしてしまって逆に困るというのが正直な感想である。素晴らしい作品ではあるが、落ち着いて作品と向き合えないのが残念である。

作者の狙いの膨大さが作品を近寄りがたいものにしているのは間違いないだろう。するともう少し見るべき箇所を限定させた方が良かったのだろうか。私はそうは思わない。見る側が作品を簡単に理解できないというのは、悪いことではない。むしろそれが今回の作品の大いなる魅力となっているわけで、嬉しい悩みと言うべきだろう。

ちなみに「多い」はラオ語で「ຫຼາຍ(ラーイ)」という。タイ語では「มาก(マーク)」になる。

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