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【一人で勝手に旅気分】260

(過去の旅についての振り返りです)
★過去を誠実に見つめ疎かにしないことは、過去の話だけに留まらず、現在や未来を大切にすることにも繋がる(2012年4月~2016年3月、2017年4月~2019年3月)【記事累積:1660本目、連続投稿:695日目】

<探究対象…シンガポール、戦争の記憶、過去との向き合い方、8月15日>

8月15日は何の日かと問われたとき、「終戦の日」という認識を持つのは日本の場合だと思います。イギリスではこの日は「Victory over Japan Day(対日戦勝記念日)」とされています。またその他の戦勝国のほとんどは、日本が降伏文書に調印をした9月2日を終戦に関わる記念日としています。それから韓国では「光復節」、北朝鮮では「解放記念日」と、呼び名こそ違いますが、8月15日は日本による支配からの解放を記念する日になっています。このように8月15日は、国によって、そしてどちらの側からこの日を捉えるかによって、意味合いが変わってきますが、当時の戦争に関して一つの区切りになった日であることは間違いないと思います。【情報の収集】

私が通算6年間住んでいたシンガポールの場合、1945年8月15日の時点ですぐに日本軍による支配が終わったわけではありませんでした。シンガポールに駐留していた日本軍が降伏するのは1945年9月12日で、それまで日本軍による呼称である「昭南島」も、「シンガポール」に戻りました。そのような歴史を持つシンガポールには、日本軍による占領・支配の痕跡が多く残っています。【情報の収集】

それらの痕跡の全てを網羅することは簡単ではないのですが、例えばどんなものが挙がってくるでしょうか。【課題の設定】

旧フォード工場の関連施設は「Memories at Old Ford Factory」と呼ばれていて、日本軍の占領・支配の実態を知る多くの資料が展示されています。その中には、シンガポール国内にあるその他の主要な施設も紹介されていました。私も全てを回れているわけではないのですが、「日本占領時期死難人民記念碑(the Civilian War Memorial、血債の塔)」、「Kranji War Cemetery」、「日本人墓地公園 (The Japanese Cemetery Park )」の3つには行ったことがあります。【情報の収集】

このようなシンガポールと日本の歴史について知らずにシンガポールを旅行・観光で訪れると、日本人に対して非常にフレンドリーな国という捉え方で終わってしまうかもしれません。シンガポールの人たちからすれば、歴史を前面に打ち出し続けることは、過去と向き合う正しい姿勢とは必ずしも言えないと考えているのではないでしょうか。歴史は歴史としてそれを心に留めて礎にしながら、現在とも向き合って生きることが、結果として過去との正しい向き合い方にも繋がってくると考えているように私は思います。【整理・分析】

「我々は忘れることはできない。完全には許すこともできない。しかし、最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪をあらわしている中では、多くの人の心にある苦しみを救うことができる。」
これはシンガポール建国の父であるリークアンユーの言葉です。【情報の収集】

このリークアンユーの有名な演説は、さらに簡略化されて「許そう、しかし忘れまい(Forgive, but never forget)」という部分だけが強調されることが多くありますが、実際の演説は次のようなものだったとされています。【情報の収集】

「dedicating the ground to the memory of all races and religion who died in Japanese-occupied Singapore, was part of the process of making the past less unbearable. We cannot forget, nor completely forgive, but we can salve the feelings that rankle in so many hearts, first in symbolically putting these souls at rest, and next in having the Japanese express their sincere regret for what took place. It is in this hope that I officiate at today's ceremony.(日本のシンガポール占領時代に亡くなったすべての民族と宗教の人を覚えていることは、過去を乗り越える過程の一部だ。我々は忘れることはできない。完全には許すこともできない。しかし、最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪をあらわしている中では、多くの人の心にある苦しみを救うことができる。今日の式典で私が責務を果たすにあたって、この希望の中にいる。)」【情報の収集】

この演説の内容を見る限り、「ある出来事(日本軍による占領・支配)に対する行為責任について許した」とも解釈できないですし、「その出来事(日本軍による占領・支配)に基づく対日感情について忘れた」とも解釈できません。つまり、出来事に対する思いがリセットされたわけでは決してないということなのです。しかし「許そう、しかし忘れまい(Forgive, but never forget)」というフレーズだけを真に受けていると、大きな勘違いに陥りかねません。「完全には許すこともできない」となっているわけですから、「『許す』というものは完了していない」のです。【整理・分析】

しかし、過去の方ばかりを見て立っているわけではないことが彼の言葉から分かります。「過去を乗り越える」というのは、過去に囚われたままではなく、過去を礎にして未来へ踏み出そうとする意志の表れだと思います。また、彼の言葉の後半には「希望の中にいる」というフレーズがあります。これは憎しみのようなネガティブな感情を持ち続けることはせず、過去を正しく認識した上で両国が未来に向かって適切な関係性を築き上げていくことこそ、リークアンユーが目指した「正しい過去との向き合い方」を意味していると思います。そして同時にそれは「現実的で理想的な現在から未来への向き合い方」も意味していると思います。【整理・分析】

私は社会科の教員として、シンガポールと日本との歴史的な関わりについて考える機会を多く持つことができ、その経験は6年間の生活においてシンガポールという国をどう捉えるかにも強い影響を及ぼしたと思っています。社会科教員として歴史の授業をしていると、歴史は過去にあった出来事を覚えるだけだと思い込んでいる生徒が少なくないことに気づかされます。しかし、自分の経験がそうであるように、過去にあった出来事を多く知っていると、物事の捉え方がより細かく、より多角的になっていき、結果として、現在や未来との向き合い方にも大きな影響が及びます。【まとめ・表現】

8月15日という日にこのようなコラムを書いたことで、歴史を学ぶことの意味について多くのことを考えるようになったわけですが、この熱量を夏休み明けまで維持し、それを活かして2学期からの授業を組み立てていこうと思います。【まとめ・表現】

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