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【一人で勝手に旅気分】230

(過去の旅についての振り返りです)
★6月23日という日を沖縄で過ごした貴重な経験(2016年6月23日)

6月23日は、沖縄戦で組織的な戦闘が終結した日とされています。現在、沖縄県が制定している記念日で「慰霊の日」と呼ばれ、地方限定の公休日となっています。この日になると平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が毎年行われています。

7年前、私は沖縄に住んでいました。沖縄の悲惨な歴史との繋がりを持つ6月23日という日を、沖縄に住み肌で直接感じた経験は、日本国民としても、また社会科教員としても、非常に貴重なものであったと感じています。

(以下、7年前の記事の一部)
なお、組織的な戦闘の終結というのは1945年6月23日(22日とする見解もあります)に、沖縄戦を率いていた第32軍司令官の牛島中将(死後に大将へ昇進)が自決し、日本軍の管理下での戦争が終わったことを指しています。

1945年4月1日にアメリカ軍が沖縄本島に上陸し、沖縄戦が始まって、6月23日に組織的戦闘が終結した後も、司令官の自決の情報が伝わっていない人々は抵抗したり、自決をしたりと悲惨な戦いは続きました。

歴史を振り返ってみると、「公」が優先され「個」が無視された全体主義的な風潮が日本を戦争へと導いたと言えますが、沖縄の現状が変わらない原因の根底にも、日本政府の思惑という「公」が優先され、沖縄県民の悲痛な叫びという「個」が無視されるという、ある種の全体主義的な考えが潜んでいるのではないでしょうか。

ドイツ生まれの政治学者ハンナ=アーレントは、個人よりも全体を優先する政治思想を全体主義とし、その下では、国家優先のイデオロギーが強制され、思想的統一が徹底され、反自由主義・反民主主義・人種主義・排外主義などの政策がとられると彼女は考えました。

アーレントは、いかなる社会集団にも帰属していない人々は、所属意識が欠如しているため、孤立感や無力感を抱くようになり、そのような心の隙間に、ファシズムのイデオロギーが忍び込み、全体主義の思想が発生すると考えました。

現代の若者は核家族化や都市化の流れの中で、かつてほど家族や親戚とのつながりや地域のつながりを持っておらず、また、SNSなどのコミュニケーションツールの普及によって、直接的で本質的な人間関係を構築することができていないため、所属意識を持てておらず、所属意識に対する潜在的な渇望の状態にあるかもしれません。

それゆえ、ややもすれば過激な全体主義へ傾倒する危うさを持っていると思います。
(ここまでが7年前の記事)

この記事は7年前に書いたものですが、そこで指摘した危うさは、7年後の今も膨らみこそすれ、萎む兆しは見られないように思います。政府与党の進めている昨今の政策では、何かしらのしがらみや利害関係があってのことでしょうが、一度決めたら容易には戻れないという「不可逆性」が強く感じられます。そこにこの国がかつて突き進んだ危うい状況が見え隠れします。気づいたときには「同じ轍を踏んでしまっていて手遅れ」ということもあり得る気がしています。

またかつての日本国民も当時の政府とは異なる危うさがありましたが、現在の世論の膨らみ方や傾き方を見ていると、根本的な国民性は変わっていない気がしてしまいます。

社会科教員として生徒に歴史を学ぶことの大切さを常々話してはいるものの、「過去は教訓として、未来の危険に対する歯止めになる」というのは所詮、理想論または一般論に留まり、現実では手遅れになってからあれこれ批評するだけに使われる結果論の材料にしかなり得ないのではと思っている自分がいます。

しかし、そこでニヒリズムに陥ってしまっても事態は好転しませんね。
社会科教員として、加えて国際法を学んだ者として、何ができるか今一度考えていこうと思います。

(スライドは、昨日の授業のスタートで示したものです)

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#沖縄   #慰霊の日
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