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【少々見聞録~37ペエジ目~】

シンガポールで経験したお祭りの中でも特にインパクトがあったのが、ヒンドゥー教のお祭り「タイプ―サム」であった。とにかく痛そうである(実際、痛いに違いない)。現在のコロナ禍では、こういったイベントはどのように行われているのだろうか?コロナによって、最も大打撃を受けるパフォーマンスは一体何だろうか?

(以下の文章は、2016年頃にシンガポールでタイプ―サムを見たときの投稿である)
先週の日曜はヒンドゥー教(主にタミル人)の祭典である「タイプーサム」がありました。ヒンドゥー暦(タミル暦)で10月は「タイ」と呼ばれ幸運の月とされていて、神に捧げものなどをしたり、苦行によって神に感謝の意を示すそうです。その苦行の行列を見てきました。あまりに過酷なため、インドでは禁止されてしまったため、この苦行の様子は、シンガポールやマレーシアでしか見ることはできないようです。それぞれに針の付いた神輿(カバディ)を背負ったり、針で身体を貫いたり、鈎針を身体に引っ掛けたりと、とにかく痛そうです。このお祭りでは道端で見ている人にも水や食べ物やお菓子などが提供されております。
苦行をしている人は、道中の「music point」というインド楽器の演奏者がいるところで、テンポの良い音楽に合わせて激しく踊ります。当然、身体に刺さっている針の痛みは尋常ではないはずですが、トランス状態に入っているのでしょう、周囲の歓声にさらに応えるように跳んだり回ったりと踊り続けます。
肉体の痛みに信仰心が打ち勝った結果といえます。「精神が肉体を凌駕する」とはまさにこのことでしょう。日本史においては一向宗が死をも恐れない抵抗を見せた事例が同様の構造でしょうし、最近ならば世界各地で起こっているテロも、政治的な要素は否定できませんが、やはり信仰心の極地といえますね。
信仰心のエネルギーは絶対値のようなもので、タイプーサムのように正の値として捉えることができる一方で、テロのように負の値として捉えられることもあります。信教の自由がある限り、この正と負は表裏一体のものとして国際社会に存在します。ただ、負の側面が身を潜め、正の側面ができるだけ多く輝く国際社会であってほしいものですね。
それにしても、ホッチキスの針が少し刺さっただけで耐えられない私には、絶対に真似できない、ヒンドゥー教徒の皆さんの苦行に敬意を表します。

今回は《本場のインドでは禁止されている奇祭》に関わる見聞録である。

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(以下にスライド2枚目以降のヒントや答えを紹介)

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