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【小説】 マンボーッ! 【ショートショート】

 会社の納会の締めに行われるとある行事のせいで、うちの部署は揉めに揉めていた。

「桑野、おまえやれよ」
「えー!? なんでっすかぁ。マジ勘弁して下さいよぉ、去年も俺だったじゃないっすかぁ」
「俺だって昔は三年連続でやってたんだぞ? 二年連続くらいどうってこたぁないだろ。一度も二度も変わらないって」
「だったら広田さんやって下さいよぉ。三年も連続でやってたらもう何回やったって変わらないじゃないっすかぁ」
「俺はもう引退したの。桑野がそんな嫌がったらなぁ……じゃあ、覇気がない杉田はどうだ?」

 そう言ってこちらを振り返った広田先輩は、先日入れたばかりだというインプラントの真っ白い歯を剥き出しにして微笑んでいた。
 日頃社内で目立たないように過ごしているこの僕にまさか話しが振られるとは思ってもいなかったので、急にどもり始めてしまう。

「どどど、どういうこと!?」
「どういうことって、おまえ。わかってんだろ?」
「マ、マンボーですか?」
「ですか? って、今その話しかしてないから」

 最悪だ。僕が例の「マンボー」をやることになろうとしている。
 マンボーとはうちの会長が大のお気に入りの行事で、ラテンのリズムに合わせてマラカスを振りながら、五分もの間

「ウーッ! マンボーッ!」

 と全社員の前で絶叫し続ける恒例行事のことだ。
 それは納会に呼ばれた者だけが知りえる秘密の行事で、マンボーの存在を僕が知ったのもつい最近のことだった。
 任命されたものは全身全霊でマンボーを絶叫しなければならず、手を抜こうものならその後の査定に響くし、上手くいった所で特別な手当てや昇格が待っている訳ではない。
 事の発端はとあるバラエティ番組を観ていた会長の

「あれ、景気が良さそうでええやろ!」

 というただの思いつきで始まったらしい。
 公衆の面前、大絶叫でマンボー。そんな恥ずかしい行事は人生で後にも先にも僕は知らないし、進んでやりたがる社員はグループ会社も含め、誰一人としていないらしい。ワンマン経営が招いた悲劇ではあるが、誰かがやらなきゃ仕方がない。今年も誰かがやることになるんだろうな、かわいそうに。そう思っていたが、ついに矛先が回って来てしまった。

 僕は何が何でもやりたくなかったので先輩へ向かってわざとらしく情けない顔を見せようと頑張った。

「あの……あぁいう人前で何かをするのは、過去に心の病気があったせいでトラウマが呼びお」
「あー大丈夫大丈夫。営業の千野なんかマンボーやったおかけで躁鬱病が治ったんだから。病気ならちょうどいいじゃん、おまえで決定な」
「いや、それは人それぞれのケースというものがあってですね、一概にはあのー」
「何だおまえ、医者か?」
「い、いえ……患者です」
「だろう? 心の病はマンボーやってガッツが出ればすぐ治る! 以上!」
「先輩、医者ですか?」
「おう、痛風のプロよ」 

 そんなこんなで僕は嫌々今年の「マンボー係」に任命され、マンボー経験者の先輩達による特訓の日々が始まった。

 終業後のオフィスに先輩三人がラジカセを持参してやって来た。真剣な眼差しで僕に向かって「踊ってみろ」と言うので、僕は手渡されたマラカスを握る。

 チャッチャチャッチャッチャッ

 と音楽が始まり、照れ臭さが隠せずに手元だけでマラカスを振ってみる。その途端、広田先輩のゲキが飛んで来た。

「なんだそりゃあ杉田! 熱出した日の金玉みてぇにマラカスブラブラさせてんじゃねぇ!!」
「へぇっ!?」
「いいか、貸してみろ!」

 先輩は僕からマラカスを奪うと音楽に合わせ、身体を大きく揺さぶりながらマラカスを振り出した。なんだ、こんなヤル気なら今年もこの人でいいじゃないかと僕は思った。

「す、すごいっす。やっぱり今年も先輩がやるべきですよ」
「馬鹿野郎! やりたくねぇから熱が入るんだ!」 

 そう叫びながらも、先輩は踊りを止める様子がない。
 見るだけ見てボーッと眺めていると、他の先輩二人が突然涙を流し始めた。

「辛かったよなぁ……俺、あん時は彼女にフラれたばっかりでさ……」
「俺も遅くまで練習してたら嫁に浮気してるんじゃないかって疑われて……腰振って踊ってるだけだって言ったら家出ていっちゃってなぁ……」

 涙ぐむ二人に僕は少しだけ同情しつつも、そんな思いまでしてやらなきゃならないもんなのかと疑問に思い始めた。

「あの、広田先輩。これってそんなに命懸けでやらなきゃならないもんなんですか……?」
「おまえ! 二〇〇九年を忘れたのか!?」
「いや、まだ学生でした……」
「いいか!? あの前年はマンボーを誰もやりたがらなくて会長もしぶしぶ中止を受け入れてくれたんだ。どっこいだ!」
「どっこい、何ですか?」
「リーマン・ショックが起きた!」
「はぁ」
「あれはうちがマンボーを中止したせいで起きたとこの社内では言われているんだよ!」
「えっ! 全然関係なくないっすか?」
「会長が「間違いない」って言うんだから間違いないんだよ! 例えば会長がうちの親父を見て「母親だ」って言ったらなぁ、そりゃもう母親なんだよ!」
「えー! 無茶苦茶っすよ!」

 無茶苦茶だと思った。理不尽だと感じた。しかし、僕は逃げることは出来なかった。残業を言い訳に練習から逃れようものなら午後からこぞって応援がやって来て僕の仕事を片っ端から処理して行った。そして、十六時を回る頃にはどこからともなくマラカスの音が聞こえて来て、僕は空き会議室に連行される毎日を送るハメになった。
 そんな日々を送っていると僕自身に変化が起こった。猛特訓の間中、先輩達から「目の前に迫る次なる世界経済危機を救う為だ!」と洗脳のように言われ続けた結果、それを信じて疑わなくなるほどにまでなって行ったのだ。

 そしていよいよ納会当日を迎え、僕は緊張と使命感を胸に抱えながら席の末端で武者震いを起こしていた。そのために、手元では手汗塗れのマラカスが小刻みにサラサラと音を立てていた。

「広田先輩、僕のマンボーを早く会長に見せつけてやりたいです!」
「まぁ待て。今年はおまえより先に先陣を切る奴がいる」
「ぼ……僕より先に!? そんなの聞いてないですよ!」
「あぁ。俺もさっき初めて聞いたんだ。お、早速お出ましのようだぜ」

 スーパー銭湯の大宴会場を貸し切って行われていた納会。そのステージの幕が開くと同時に軽快なあの音楽が流れ始めた。すっかり僕だけのオンステージになるとばかり思っていたのに。僕は猛特訓の日々を思い出し、あまりの悔しさで視界がボヤけ始めた。
 ボヤけていたものの、僕の視界はステージに上がって来た者を捉えた瞬間に驚きのあまり言葉を失った。
 マラカスを持って登場したのはスーツ姿の屈強な黒人で、同じくスーツ姿のバックダンサーを二人も連れていたのだ。
 先陣を切って現れたのは国内の営業所の連中ではなく、海外支社の奴だったのだ。これは完全に予想外だった。マラカスを持って現れたのはベナン支社のモルドウ・ンドゥ・ババンというハーバード大学を卒業したという経歴を持つ(らしい)アフリカ開拓を一手に担うベナンのスーパーエリートだった。そういう風に社内報に書いてあるのを見たことがあったのだから、多分間違いはないはずだ。
 モルドウは時折雄叫びを上げながら見るからに必死になって左右に腰を振っていた。うん、このキレのある動き……中々悪くないじゃないか。
 こいつはあなどれない相手だぞ……! そう思って会長の様子を盗み見ると、会長はマンボーが行われているのにも関わらずステージには一切目を向けることなく、納会にやって来ていた孫娘に夢中になっていた。

「おー、みうちゃんは今日も可愛いでちゅねぇ! みゆちゃんは昨日は五歳だったけど、今日は一体何歳なんでしゅかぁ?」
「五歳!」
「そうでしゅかぁ! 今日も五歳でえらいでしゅねぇ!」
「ねぇじいじ! ドローン買ってぇ。みゆねぇ、ドローン欲しい」
「いいでちゅよぉ! じいじ、米軍の将軍にお友達がいるからでっかーいドローンみゆちゃんに買ってあげましょうねぇ」
「じいじー、そのおっきなドローンって爆撃できるー?」
「もちろんでちゅよー。できまちゅよー」
「みうねぇ、けんたくんのおうち爆撃するー」
「けんたくん? みうちゃんに何か酷いことしたんでちゅか?」
「うん。顔がむかつくのー」
「なんやてぇ! そらあかんわ! おい、氷室! けんたいう奴の家な、大至急埃が出るまで徹底的に調べ尽くしてこいや!」

 突然呼びつけられた秘書の氷室は「はっ!」と返事をするなり会場を後にした。なんて気まぐれな会長なんだ、と思いつつもステージの上に目を向けるとずっと腰を振り続けていたモルドウは息を上げ、汗を流していた。そして今にも泣きそうな表情になりながら会長に向かい、必死に叫んでいた。

「ヘイ、ボス! ミテ!」

 会長はその声が聞こえていないのか、知ってて無視を決め込んでいるのか、孫娘のみうちゃんにすっかりお熱の状態だった。

「ボス! オネガイ! スグ、ミテ!」

 モルドウも散々だなぁと僕は思った。きっと査定が上がると思ってマンボーを必死に練習し、遠路遥々ベナンからやって来たのだろう。ところが会長は孫娘に夢中になっていてステージに目すら向けしない。これじゃあせっかく顔を覚えてもらう機会もパーじゃないか。モルドウはかわいそうな奴だと思っていると、もっとかわいそうな出来事が起こった。
 孫娘が離れた途端、ステージに目を向けた会長が今さらモルドウの存在に気付いたように「ハッ」と表情を変え、突然立ち上がるとブチ切れながら声を荒げた。

「なんやあの黒人! ちっともマンボー言ってへんやないかい! おいコラァ! どないなっとんじゃい!」

 モルドウは会長が目を向けるまでの間、ステージ上で延々と「ミテ!」と叫び続けていた。そして会長に何が起こっているのかステージ上では分からなかったのか、モルドウは会長が立ち上がったのを見るなり、嬉しそうにその姿へ向かって手を振り始めた。

「ボス、ミテル!? マンボー! ホラ、ミテ! マンボー!」
「なんやボケェ! バカにしとんのかいワレェ! 下ろせ! 今すぐ下ろせ! あんなもんクビじゃあ!」
「チョ、マッテ! ナニスルノ!? マテ、マテ、チョマテヨー! チョマテヨー!」

 まるで路上で拉致でもされているようにあれよあれよという間にモルドウはステージから引きずり下ろされ、ほんの一瞬だけ会場は静寂に包まれた。
 きっとモルドウに声を掛けられたのであろうあのバックダンサー二人は今頃どんな思いをしているのだろうかとステージ裏に想いを馳せていると広田先輩に肩を叩かれた。

「おい、杉田。熱は温まった。今が、おまえのマンボー時じゃないのか……?」
「いや、静まり返ってますけど」
「俺にはすぐそこの未来で歓声が上がっているのを感じるぜ。おまえがやらないで……誰がやるんだ?」
「わ……わかりません。いえ、わかりました」

  意を決した僕はパート従業員のおばちゃんが作ってくれた何故か雑巾がパッチワークされているデタラメな配色のメキシカンポンチョを羽織り、席を立った。手作りのポンチョの裏側を捲ると、そこには先輩達から僕への熱いメッセージが書き込まれている。

<杉田、失敗は許されないぞ。恥かかせたら末代まで怨むからな!>
<ケツまくったら部署におまえの席はないと思え。やるかどうか? NO 転職雑誌を開いてみたいと思うか否かだ>
<一日三十時間練習しろよ! 二十四時間さえも気合があれば三十時間になる! 俺はなった!>

 なんて心強いメッセージなんだろう。そう、僕は目の前に迫る経済危機を救う男なのだ。コリが深い場所をマッサージするのと一緒だ。これくらい強いメッセージの方がかえって心に刺さるってもんだ。
 意気揚々とステージへ上がり、お馴染みの音楽が流れ始めると一気に幕が開いた。さぁ、見てやがれ!

「ウー! マンボー!」

 開口一番、そう叫んでステージから会場を眺める。
 きっと社員達、そして会長の大熱狂が僕に負けじと返って来る。そう思っていた。だが、違った。
 広田先輩は他の先輩達と会長の周りに集まり、何やら照れ臭そうな笑みを浮かべながら頭を掻いていた。会長も会長で「おまえ~」とか何とか言いながら指を差して盛り上がっている様子だし、他の連中達もあちこちで談笑の華を咲かせていた。いや、こいつら。ステージが始まったことに気付いていないのか?  
 だったら気付かせてやればいいだけだ。僕の存在を叩きつけてやる!

「ウー! マンボー! マンボーッ! さぁみなさんもご一緒に! ご一緒に! さぁ! マラカスがない方は空いてるグラスや瓶をお手に取って! ウーッ! マンボー! ウーッ! マンボッ!」

 軽快な音楽に僕は全身全霊で魂を込めた。煽るだけ煽り、普段は「大人しい」と言われている僕の景気のいい所を見せつけてやった。恥もクソもあるか。今の僕にあるのはマンボーに対するプライドだけだ。これが正真正銘のマンボー。あんな昇進狙いの黒人に先を越されたのが悔しいが、これで実力の差を見せつけることが出来ただろう。そう思いながら、僕は必死にマラカスと腰を振り続け、そして声を張り続けた。
 すると、会長が広田先輩に何やら耳打ちをしているのが見えた。やった! 伝わった! 会長に僕のマンボーが伝わったんだ! 広田先輩は前にいた社員に何かを耳打ちすると、その社員もさらに前にいる社員に耳打ちする。そして、伝言はついに僕の目の前にいる他部署の社員にまで回って来た。そして、耳打ちをされた営業部の石田さんという社員は僕に向かってこう叫んだのだった。

「杉田ぁ! 会長が「うるせぇ」ってよ!」
「へえええっ!?」
「もう下がっていいって!」
「へっ……」

 こんなに頑張ったのに。こんなに練習したのに。会長からの感想は、「うるせぇ」。なんてひどい仕打ちなんだろうか。僕はショックのあまりその場で棒立ちになり、マラカスを両手から落としてしまった。カシャンと乾いた音を立てたマラカスが足元で弧を描き、僕のつま先に当たって動きを止める。ポンチョを作ってくれたおばちゃんの

「杉田くんならできる! 信じてるよ!」

 と言っていた顔が目に浮かんで来て、僕はたまらず泣きそうになった。
 会場の人達はすっかり飲み食いに夢中になっているし、会長を始めとして僕に目を向けてくれている人なんて一人もいなかった。
 あれだけ頑張ったのに。あの日々は一体、なんだったんだろう……。
 やっぱり、この会社に僕なんていらないんだ……そう思っていると、肩を叩かれた。
 振り返ると、そこには涙で目を濡らしたモルドウが立っていた。

「スイマセン。オマエ、オレト、イッショ、ノム」
「モルドウ……! ありがとう……!」

 こうして僕とマンボー明けのモルドウは会場の隅で二人肩を並べて呑むことになった。
 そしてその二ヵ月後。今度は僕が遠く離れた地、ベナンの土を踏むことになった。そう、会長から未来を託された故の栄転だ。

 僕にとってはやっと胸を張れる大役が任された訳だから何の未練も日本にはないのだけれど、そういえば広田先輩が旅立ちの前日、神妙な面持ちでこんなことを僕に言っていたっけ。

「厄介払いでおまえに変なことさせちまって悪かった……全部忘れてくれよな? 俺は悪くないぜ? 何もかも全部会長の思いつきなんだからさ。おまえの前で言うのもあれだけど、あんな真似させるくらいならいっそクビにすりゃあいいのに、会長も人が悪いよ」
「何言ってるんですか! 僕はベナンの地で鍛え直して、今度こそ本物のマンボーを会長に見せつけてやりますよ! 見ててくださいね!」
「いや……杉田、マンボーはな……その、実は……あれ、話通じてなかった……?」
「先輩! 日本では散々お世話になりました! マラカス持って行きますね! そしてまたマラカス持って帰って来ます!」
「いや、杉田。そのな、その……」
「じゃあまた! ウーッ! マンボーッ!!」

 広田先輩が何を言いたかったのか結局僕には分からなかったけど、あれだけ凄いマンボーの熱を僕は教わったんだし、まぁいいや!
 モルドウと仕事が出来る喜び、そして再び、いや、今度こそみんなに、そして会長の心にマンボーが伝えられるよう、心機一転ベナンの地で頑張るぞ!! 

 エイッ! エイッ! オーッ!

 ウーッ! マンボーッ!!

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