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コンプレックスについて

UCLで思ったこと コンプレックス編

近年、コンプレックス本来の意味が完全に変化したと言える。元々、コンプレックスはドイツ語のkomplexから由来しており心理的な複合を意味する。よって、コンプレックスとは交錯している感情の複合体と捉えることができる。だが長い年月を懸け、コンプレックスは嫉妬心や劣等感のみを意味する単語となった。しかし、これは単なる誤用や言い間違えではなく日本社会独特の伝統と深く絡んでいるからこその意味の変容ではないかと考える。みなさん、お気づきだろうが、日本はとてもと言っていいほど人の目を気にする。すなわち、我々は他人のレンズに描写される我々の姿をコントロールいや捏造しようと試みる。向上心なのか劣等感なのか、自己評価ではなく他者評価をより重視するこの日本でコンプレックスの元来の語源は変化してしまったのではないか。己の心理的な複合から、他者から否定的な評価を受けそうな己の面へと意味は遷移している。ここで見られる、コンプレックスと毎日戦いながら、呼吸をしている生物は果たして人間だけなのであろうか。可視化されやすい、資格やステータスで己を塗り固めるのは承認欲求なのか自己顕示欲なのかとてつもないコンプレックスを背負っているのか私にはわからない。が、一つだけ言えるとしたら、生きてて偉い、そして今まで生きていたものも当然偉い。まず自分を褒めることから、始めてみないか。なぜ、極めて狭い価値基準で人は人を上にも下にも見てしまうのだろうか。と今日図書館に運んで、何百年ものの書物を目にしてふと頭によぎらせてしまった。

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