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あの頃の大学が帰ってきた(のかな)

こんばんは。私です。
先週は予定が立て込んでしまい、金曜日の毎週投稿を継続していたのですが、例外的に日曜日に投稿してしまいました。まあ、しっかりその分気合を入れて書いたので、まだ読んでいない人はぜひ読んでみてください。

前回がコミュニケーション能力とは何たるかについて深く考察するような内容でしたので、今回は軽いノリで書いていきたいと思います。じゃないと数少ない読んでくださってるみなさんが飽きる!離れる!そんなことは理解している!

さあ、本題に入りましょう。今回は大学の授業についてのお話です。それではよろしくお願いします。


あの頃の大学

あの頃と言うと、皆さん察している方もおられるでしょうがコロナ禍以前のことです。日常、と言うともう私の中ではマスクを付けている日々になってしまっているのですが、もちろんかつては違いました。

朝早くから授業があるため無理やり体を起こし、身支度をして家を出る。通勤通学ラッシュの電車の中、揺られながら改めて今日の授業の教室場所を確認する。最寄り駅に到着した後、大名行列の一部となった気分で学校に向かう。人で溢れかえるそこはまるでテーマパークのようであり、講義室は様々なファッション、髪色の人間で埋め尽くされていた。あの日常。

まさに日常ですから、当たり前の光景でした。毎日毎日寝て起きればその景色、瞬間が訪れます。その人の多さに嫌気をさすことすらありました。

コロナ。コロナコロナコロナ。

さあ、もうこんなことわざわざ書く必要もないのかもしれません。誰もが言っていることでしょうが、その日常というのは永遠に当たり前のものでは無くなってしまいました。その原因はまさに、コロナ。この単語を出すとnoteに注釈がついてしまうので極力避けていましたが、この際もう構いません。どうぞ、はい、つけていただければ。

このコロナ野郎のせいで、当たり前の学生生活は180度変わることになりました。本当に全てが変わりました。

時間割的には朝から授業があるのだけれど、動画配信だから後で見ればいいので、遅めに起きる。昼過ぎにZoomでの授業が行われるらしい。面倒臭いが着替えて、外用の見た目を家の中でその時間だけ再現する。平日のこの時間帯なので、家には私以外居ない。まさにここには私だけがいる。1人で。

こうなったわけです。授業という体験が全く異なる性質を帯び、変わってしまった日常の一端を担うようになりました。授業の中で人を見る機会というものが画面上の教授だけになってしまい、またキャンパスに入る事すら禁じられている期間も長くありました。

キャンパスに入れるようになってからも、本当に人がいない。静まり返ったキャンパス。そりゃ、対面でほとんど授業なんてしてませんから、わざわざ誰も来ません。それがもう当たり前となりました。2年間その日々が変わることはありませんでした。

対面授業全面的に再開

そして2022年度になり、蔓延が少し落ち着いてることもあり、対面授業が全面的に再開されました。私はあの頃にタイムスリップしたかった気持ちもあり、卒業には必要のない授業を取ってみることにしました。

そしてつい昨日、授業を受けてきました。だからこそ今日その事について書きたくなったんです。
まさにあのころの景色でした。高校生の頃想像していた大学生の授業、大学1年生の頃に受けていた授業、まさにそれが目の前にはありました。

ザワザワと落ち着きのない授業開始前のあの雰囲気。前の席に頑なに座らず、後ろを固める集団。授業中にも関わらず、大声で関係の無い話をする人。唐突に席を立ち、それから二度と教室に帰ってこない人。その全てが懐かしかったです。

あの雰囲気があってこそ大学なんだなあと、その時思いました。塾が学校の役割を担えないのと同じように、オンライン授業では味わえない体験が間違いなく対面授業にはあります。私はもうあと1年しかこの期間を体験することは出来ませんが、何とか最後に味わうことが出来て良かったです。

また、感染者が増えているという話を最近聞きます。どっちが日常なのかはもうどうでもいい。ただ、対面授業が行える毎日であり続けることを私は願います。


なんかちょっとコロナ禍に酔っているような恥ずかしい文章になりましたが、まあいいでしょう。本心ですから。とにかくこの日々がずっと続きますように。ではまた来週。

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