津軽こぎんの旅|ただの旅行者だったわたしが県の事業で青森へ行くまで
昨年より青森県の事業に関わらせてもらっていて、もうすぐ青森へ行きます。うれしい。
今回、青森の伝統工芸・こぎん刺しのウェディングドレスを制作させてもらったので、そのお披露目会というかたちでトークイベントに参加…、というか「登壇」するのです。ひゃ〜、登壇だって!
ああ、なんでこんなことになったのか。つくづく不思議です。みなさまも、なんで神戸のドレス作家が青森県の事業に参加してるんだ? とお思いでしょう。
そうですよね、わたしだってそう思います。なんでただの青森好きのわたしがって。こぎんに惹かれて、プライベートでひとり旅をしていただけだったのに。
でも後から旅を振り返ると「ああ、これも伏線だったのか」と思えるようなことがたくさんありました。
というわけで、なんでわたしがこんなにも青森に関われることになったのか、思い当たるいくつかのポイントを書いてみますね。前半は旅行記になるのでそのポイントだけ知りたい方は目次から「そのきっかけは間違いなくnote」の項目へスキップしてくださいね!
きっかけは、全国旅行支援
あれは2022年の秋。全国旅行支援が始まってすぐ、わたしは11月に青森へのひとり旅を計画しました。津軽地方に伝わる「こぎん刺し」のことをもっと知りたくて。そのため、まずこのふたつのこぎん資料館の訪問予定に合わせて、旅のプランを立てました。
・佐藤陽子こぎん展示館
・ゆめみるこぎん館
展示室の予約をしたあと、佐藤陽子こぎん展示室の佐藤陽子さんからとても素敵なお手紙と、弘前市の観光案内パンフレットをたくさん送っていただきました。アップルパイの街、建築の街、珈琲の街…。弘前市はいろんな魅力のある街なんだなあと行く前からワクワクしていたのでした。
青森へ、そして岩木山
青森空港に到着し、弘前に向かうバスに乗っていたときのことです。これは何度かnoteにも書いているのですが、このときわたし、バスで少しうとうとしていたんです。そして、目が覚めたらいきなり目の前にバーンと岩木山が現れました。
この瞬間、わたしは青森に恋に落ちてしまったのだと思います。
今もこれを書いていて、もうすぐまた岩木山に会えるんだと思ったらなんだか胸がドキドキしてきました。もうこれほんとに恋じゃん。
まず向かったのは弘前れんが倉庫美術館
弘前駅前にはりんごのポストがあり、駅前のロータリーのいたるところに「こぎん」の模様がありました。おとぎのまちみたい。
弘前駅前について、まず向かったのは弘前れんが倉庫美術館です。
このとき、弘前出身の画家・現代美術家の奈良美智の「奈良美智展弘前2002-2006ドキュメント展」を開催中でした。
弘前れんが倉庫美術館の誕生するきっかけとなった「奈良美智展」が、できるまでの、ドキュメンタリー展示です。
れんが倉庫の持ち主だった吉井さんの「もしもし奈良さんの展覧会はできませんか?」というひとことからスタートした美術館。
たくさんのボランティアの参加によって、「みんなでつくった」美術館です。わたしはちょうどそのとき、博物館学芸員資格の勉強をしていたので、「地域の美術館」ってこういうことだよなあ、と胸を熱くしながら展示を見ていたのですが、次のパネルを見たときに、思わず涙が溢れてしまいました。
うう、いまでも思い出してちょっと泣いちゃう。
すごいですよね。展覧会や美術館をきっかけに、その地域に「一生住むかも」と思うなんて。
わたし、じつはこのとき、学芸員資格の勉強をちょっとあきらめかけていたんですが、この展示を見て、「やっぱり頑張ろう」と思い直しました。
そうして弘前に到着してほんの数時間しか経っていないのに、わたしはもうすでにこの街が大好きになっていたのでした。
▼そのときの感動はこちらのnoteにたっぷり書いています。
ゆめみるこぎん館
翌日は、こぎんの私設資料室「ゆめみるこぎん館」へ。
館主の石田舞子さんに、「こぎん」の解説をしてもらいながら素晴らしいこぎんたちを見させていただきました。
こぎんはもともと、不足のなかから生まれた手仕事です。綿が栽培できなかった寒冷地では、綿の着物は身分の高い人が着るものであり、一般の人たちが着ることは許されなかったのです。女性たちは、家族が少しでも暖かくなるように、そして生地の補強のために、麻の着物に刺し子を施しました。
そんな、女性たちの創意工夫や美意識に感動してしまいます。
ただの補強や保温のためではなく、美しさを見出す。そして、最後まで布を大切にする。人びとが暮らしのなかで、まるで第二の皮膚のように布を大切に扱ってきたこと。人は布のうえで生まれ、そして布のうえで死んでいく。死んだあとは、家族が泣きながらその布の形見分けをする。
石田さんからその話を聞いたとき、わたしは津軽出身の太宰治の原稿が、太宰の遺品の着物地で丹念に装丁されていたという逸話をふと思い出していました。
着ることは生きること。布を大切にすることは、ひとの人生を生ききることでもある。そういうことを、わたしは石田さんとこぎんたちに教えていただきました。
そうして、「津軽こぎん」の高い精神性に、わたしはとてつもなく惹かれたのでした。
石田さんにはたくさんのことを教えていただきました。知りたいこと、聞きたいことがたくさんあって、夢中になってしまい、気がついたら時間があっという間にすぎていました。あわててバス停に戻ると、バスは2時間近くもやってこない…。
またやってしまった。
仕方がないので、あたりを散策することにしました。おかげで、素晴らしい岩木山に出会えました。
きっとこのために、バスを乗り遅れたんだろうなと思えるような。
そして、バス停でアップルパイをかじりました。
佐藤陽子さんに弘前に到着した連絡をしたとき、「アップルパイはどこかで食べてね」と言われたのですが、これでひとつミッション完了です!
佐藤陽子こぎん展示室
旅の最終日には、佐藤陽子こぎん展示室に行きました。古作こぎんと、佐藤陽子先生のこぎん刺し作品の両方を見ることができる展示室です。
古作こぎんと組み合わせた佐藤陽子先生の作品。
古作こぎん
古作こぎんを実際に着用させていただきました!
素晴らしい古作こぎんの数々です。特にわたしが惹きつけられたのが、修繕のあとがみられるこぎんです。
布は着用によって、ほつれたり、弱くなったり、擦り切れたりする。それは人の生きた証でもあります。そう思うと、繕いの痕跡がとても愛おしくなります。
陽子先生は、古作こぎんを見て当時の作り手の意図や作り手の性格を発見したときのことを、「古作(こぎん)と話をしていてわかったの」とおっしゃっていました。ああ、わかる。そう、わたしもドレスのリメイクをしているときそんな風に思います。
陽子先生に教わったのは、こぎんのことだけではありません。陽子先生の、こぎんや物事に向き合う姿勢にも感銘を受けました。
こんなにも素晴らしいこぎんですが、こぎんは生活のなかで生まれたものであり、土地の人には野良着やボロという感覚が根強くあって、けっしていいイメージだけではなかったそうなのです。こぎんの資料館を始める陽子先生に対しても、肯定的な人ばかりではなかったといいます。そういう人のことを津軽弁で「足ひっぱり」というんですって。
でも佐藤陽子さんは言います。たとえそんなことを言われたとしても「何も見えない、聞こえない、ただ自分が信じたことをやるだけ」と。カッコ良すぎる。
そして、忙しい毎日のなかで、5分でも時間があったらこぎんを刺したそうです。5分でもやる。このことは、学業と仕事と家のことをするわたしの支えの言葉になってきました。
心に残った陽子先生語録
5分でもやる
足ひっぱりに惑わされず、ただ自分の信じたことをやるだけ
服(古作こぎん)と話をする
こぎんは裏にあらず(カチャラズ)→見えないところもきれいに
※こぎん刺しは「裏もきれいに」する。こぎんのモドコのひとつのカチャラズは裏にあらずという意味。裏であって、裏ではない。こぎんの精神。
陽子先生のアトリエに、弘前出身のタレント、王林ちゃんの写真が飾ってありました。王林ちゃんは、陽子先生がこぎんを刺した衣装を着ています。こぎんのドレスかあ。わたしもいつかこぎんのドレスをつくってみたいなあ。そのときわたしは、ぼんやりとそう思っていたのでした。(ハイここ伏線)
そのことは、当時の旅日記にも書いていました。
陽子先生のお話が楽しすぎて、気がついたらあっという間に時間がすぎていました。わたしはこの日、青森県立美術館に立ち寄ってから青森空港に向かう予定で、電車の時間が迫っていました。
「ああでも、もしあれだったら、美術館はあきらめるので大丈夫です」
わたしがそう言うと、
「ダメダメ、せっかくだから県美にも行って欲しい。車で弘前駅まで送るわ」
陽子先生はそうおっしゃってくれたのです。そしてビューンと車を走らせて駅まで送ってくださいました。かっこよすぎる…。おかげで美術館には無事行けて、あおもり犬にも出会えました。
のちに、いっしょにこぎん刺しのドレスを作ることになるA.selectさんの佐藤秀子さんにその話をすると、「え〜!!! あの佐藤陽子先生の車で送ってもらったの?! すごすぎる」と驚かれました。そう、陽子先生は「津軽こぎん会のどえらいカリスマ」だったのです!
そうそう、陽子先生にこうも言われました。
「あなた岩木山が頂上まで見えたの? 初めて来た人には岩木は顔を見せないと言われているのに」
えっとわたし、バッチリ3日間見えたんですが…。
▼二館の詳しい内容は、こちらのnoteに書いています。有料noteですが、無料の前半部分でけっこう読めます。
ああ、どうしよう、最初の旅だけでもう5000字を超えてしまった。さあ、これからどんどん回収していきますよ!
そのきっかけは間違いなくnote
初めて行った津軽に、とてつもなく惹かれてしまったわたしですが、不思議と、「なんだかまた呼ばれて青森に行くような気がする」と思っていました。
そして、その予感は的中します。
なんと、「青森ー神戸ビジネス交流事業」の一環で、青森県にいくビジネスツアーに、参加事業者として参加しないかと打診があったのです。
「行く」
即答しました。
しかし、なんでわたしに声がかかったのか。それは、正直に種あかしをしてしまうと、ズバリ昔の人脈です。その事業に関わっている人たちと個人的なSNSでのつながりがあったのです。なあんだ、結局コネかよ。と思わないでくださいね。その方たちとは、とくに親密なやりとりがあったわけではないのです。SNSでのリアクションもお互いにないし、もちろん会ったりもしていません。
でもせっせと書いていた青森旅行記のnote記事は、そのSNSにもシェアしていました。だから特にリアクションがなくても「どうも最近青森のことゆうとんな」くらいには思ってくれていたのかもしれません。
その青森note記事をきっかけにして、「コイツならホイホイ青森に行くんちゃうかな、いちおう事業もしてるっぽいし」ってことでお声がかかったのです。間違いない。まあでもね、使えるものはどんどん使っていきましょう。
そしてやっぱり、noteで好きなことを発信していくことはほんとうに大事だな、と思いました。
チャンスの神様の前髪をつかんでもう離さない
そうして打診があったものの、具体的なことが何もわからないまま、時が過ぎて行きました。わたし、ほんとうに行けるのだろうか?
なんかプロジェクトって、「どうなのどうなの? ほんとうに進むの?」っていう謎の「何待ち? 期間」があるじゃないですか。わたし、あれがいやなんですよ。ゆうてる間に立ち消えることもあるし。それはいや。
だったら自分から行こう、と思って、誰に頼まれたわけでもないのに、青森でやりたいことと、わたしの青森への愛を書き綴ったプレゼン資料を勝手につくって、提出したのです。
そしてわたしが勝手につくった資料は、のちに青森県庁の職員さんにも共有されることとなったのでした。(この時わたしは青森県が関わっていることも知らなかった)
チャンスの神様には前髪しかないってよく言いますよね。だから通りすぎる前にすぐに前髪を掴んでおかないとって。わたしはその斬新な髪型の神様を、前髪どころかじぶんからぐわしっと抱きしめに行って、ジタバタしてる神様を離さなかったわけです。まあそれくらいしないとね。
そのおかげで、晴れてわたしは「青森ー神戸ビジネス交流事業」の参加事業者として、青森に行かせてもらえることになったのです。ぐわしっ!
▼そのときの青森旅行記noteです。
▼ついでにちゃっかりプライベート旅
その場で宣言する
こうして「青森ー神戸ビジネス交流事業」のビジネスマッチング会で隣に座られたのが、弘前市のセレクショショップA.selectの佐藤秀子さんです。秀子さんは開口一番、わたしに向かって、「わたし、こぎん刺しのウェディングドレスが作りたいんです」とおっしゃったのです。
ええっ!
秀子さんはずっとこぎん刺しでウェディングドレスを作りたいと思われていたけれど、ドレスを作れる人がいなくて困っておられたのだとか。そこへ、ドレスが作れて、しかも津軽が好きで、こぎんを巡る旅をしたわたしがホイホイとやってきたわけです。
こぎんのウェディングドレスを作りたいという同じ思いを抱える、ドレスは作れるけど、こぎんは刺せない人間と、こぎんを刺す職人はいるけど、ドレスが作れない人間がここに出会ったのです。そんなことあります?!
わたしたちはその場で意気投合し、その会の最後にわたしは「こぎん刺しのウェディングドレスを作ります!」と全員の前で宣言したのでした。思えばこれがよかったんですよね。だって後には引けなくなったんだもの。
その後の流れは、こちらのnoteをご覧ください!
カチャラズ
神戸と弘前で打ち合わせを何度か繰り返し、昨年の年末にこぎんを刺した生地が届きました!
うっとり。
みてください。裏も美しいのです。
これが、カチャラズ(裏にあらず)です。
見えないところも美しく。陽子先生に教わった、「こぎんの精神」です。とても感動しました。
正直、ドレスの制作スケジュールに余裕があったとは言えません。ここだけの話ですが、わたしはこの年末年始、ずっとこのドレスをつくっていました。大みそかも、元日も縫っていました。他の花嫁さまとの打ち合わせや、お節づくり(手抜き)をしながら、忙しい年末に少しでも時間を見つけては、アトリエで作業をしました。心のなかで、陽子先生の「少しでも時間があればやる」という言葉を励みにしていました。そうしてドレスは、無事に完成しました。
年明けに青森県庁の方がアトリエに来られ、事業の機運上昇のためのプロジェクトについてのお話がありました。そして、こぎんのウェディングドレスのお披露目会をすることになり、わたしは、もう一度、青森・津軽に行けることになったのです。
お披露目会の会場は…
お披露目会の会場のことは、弘前のA.select佐藤秀子さんにお任せしておりました。紆余曲折のすえに決定した会場を聞いてびっくり。
なんと、あの、弘前れんが倉庫美術館だというのです。うそでしょ。
しかも、弘前れんが倉庫美術館にわたしが行っていたということは秀子さんはご存知なかったのに、です。信じられない。
はい、伏線回収!
講演会のスペシャルゲストは…
どんどん回収していきます。
秀子さんから、お披露目会の講演会に、スペシャルゲストとして「佐藤陽子先生をお呼びしたいから、タケチさんからまず打診をしてみてほしい」と依頼がありました。
ええっ!
わ、わたしがですか? と内心思いました。だってわたしは、展示室に行ったことのあるだけのただの旅行者ですよ。そんなよそ者のわたしが恐れおおい!
と思ってしまったのですが、陽子先生にいただいたお手紙を思い出し、ダメもとでお手紙を書いてみようと思いました。わたしはしゃべるよりも書くほうが得意ですし、そのほうがうまく伝えられる気がしたのです。わたしのこぎんと津軽への愛が伝わるようにと、そして、何よりも陽子先生にもう一度お会いしたいという思いを込めて、お手紙を書きました。
そして、最終的には陽子先生に講演会への登壇を快諾いただきました。すごい伏線回収だ。
思えば、「よそもの」のわたしだったから案外よかったのかもしれませんね。例えば地域行政のプロジェクトって、「わかもの」「よそもの」「ばかもの」がやるといいという話をどこかで聞いたことがありますが、このなかでわたしは、「わかもの」以外のすべての条件をクリアしているのです。「よそもの」そして津軽好きの、ただの「こぎんばか」です。それが、よかったのかも。
参加者には…
お披露目会をアピールしていくうちに、プロジェクトに関わるメンバーが増え、どんどん加速していきます。
いろんなかたが告知してくださって、陽子先生も協力してくださり、あっという間にお披露目会は満席になってしまいました!
9月の旅で出会った五所川原のこぎんの伝統工芸師「三つ豆」の工藤さんからも、行けないけど応援してますとメッセージが来ました。
そして、な、な、なんと、「ゆめみるこぎん館」の石田舞子さんも参加してくださるとのこと。ええ〜っ!
津軽こぎん会のカリスマやレジェンドたちが一堂に会する、とんでもないことになってしまいました。あわわわわわ…!
まさかそんなことになるなんて、バス停でアップルパイを齧っている2022年のわたしには、想像もできなかった!
すごいですよね。
人生は伏線回収です。ひとつもムダなことはないなあ。
最初は、たったひとりで津軽を旅をしていたのに、いまはもう、向こうにわたしを知ってくださっている人がいる。再会を喜びあえる人がいる。なんて素敵なことなんでしょう。
そのとっても素敵なことを、わたしは「ドレスを作ること」と「書くこと」で引き寄せたのだと思うと、なんだかじわじわと喜びがこみ上げてくるのです。
ああ、楽しみ!
ただの旅行者だったわたしが県の事業で青森にいけた理由
では、ただの旅行者のわたしが、県の事業で青森にいけた理由をまとめます。
どこで誰が見てくれているかわからないから、とにかくnoteで発信する
昔の人脈だろうがコネだろうが、使えるものは使う
チャンスの神様の前髪をつかむどころかこっちから抱きしめにいく
ばかものパワー 好きは最強
まわりに宣言する
宣言したら努力する 5分でもやる
足ひっぱりにまどわされず、自分のやりたいことをやるだけ
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
▼陸奥新報に掲載されました
ドレスの仕立て屋タケチヒロミです。 日本各地の布をめぐる「いとへんの旅」を、大学院の研究としてすることになりました! 研究にはお金がかかります💦いただいたサポートはありがたく、研究の旅の費用に使わせていただきます!