繕うこと繋ぐこと、祈りを踊ること。
服をつくるわたしには「つくる責任」がある。
ドレスのお直しの仕事をしているわたしは、日本各地に伝わる「繕い」の技術を知りたくて、旅をしている。
秋田に行ったのは、西馬音内盆踊りの「端縫い衣装」をみるためだった。端縫い衣装はその名の通り、家族の着物を再利用したり、小さな端切れを縫い合わせて踊りの衣装にしたものだ。
町の人たちは、それぞれの衣装の由来をうれしそうに話してくれた。この裂はお婆ちゃんが嫁入りしたときの振袖で、それを姪っ子の踊り衣装に仕立てたのだとか、母娘で着た衣装なのだとか。端縫いは、家族の大切な物語でもある。
家族の記憶だからこそ、どんな小さな裂でも縫い繋ぎ、裏打ちやほつれ直しをする。その手しごとの痕跡が愛おしい。着る人とつくる人の生きた証がそこにはある。
その踊りは「亡者踊り」でもある。亡くなった方の精霊が踊りの輪のなかに混じっていてもわからないように編み笠をかぶる。死者を受け入れ、弔うための踊り。
訪れたのは8月6日、原爆の日だった。広島出身のわたしは駅の待合室で黙祷を捧げた。同じようにしている人はいなかった。わたしにとっては特別な日でも、他の地域の人にとっては必ずしもそうではない。毎年祈っているのに世界はちっとも平和にならないし、わたしひとりが繕っていても服の廃棄量が減るわけでもない。わたしのやっていることに意味があるのだろうかと思うときもある。
だから地元の方が踊りの前に「今日は原爆の日だから、戦争で亡くなった方を思い、平和への祈りをこめて踊る」と言ってくださったことがうれしかった。
繕うこともまた弔いであり、未来へ繋ぐことだと思う。わたしにはつくる責任がある。旅をして、その地域や人と関われば、災害だって戦争だってもう他人事ではなくなる。ひとりではないし、きっと無力でもない。絶望せずに、じぶんにできることを探し続けたいと思う。
だれにたのまれたわけでもないのに、日本各地の布をめぐる研究の旅をしています。 いただいたサポートは、旅先のごはんやおやつ代にしてエッセイに書きます!