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ペットロボット、ぬいぐるみ、愛着のあるものの終わり方はどうなっていくのか。

今月頭に、「AIの遺電子」の山田胡瓜さんと京大の塩瀬先生と日本科学未来館でトークイベントをさせて頂きました。

特に、「ロボットの引き際」という言葉が印象的というか新しい感じがしたのか、いくつかのサイトで少し話題になったようです。

ロボットの引き際というのは、要はロボットの最期をどう考えるのかという話なのですが、話としてはそんなに新しい問題ではなく、アイボのお葬式があるということで数年前から結構色んなところでニュースになった気がします。

身近な人の中にもアイボが壊れたけど、なんか捨てられないという人がいたので、ペットロボットを買うと割と生じやすい感情なのかもしれません。

個人的にとても興味があるのは、このようなときに生じる感情はぬいぐるみを捨てるとき(ぬいぐるみにも葬式とか供養とかがあるそう)と同じような感じなのか?似てるけど別のものなのか?ということです。

ロボットの場合は愛着というだけではなく、生命感みたいなものが感じられているが故に死に際が難しいのかなぁという気もしますが、ぬいぐるみの場合にも同じような生命感が感じられているのか、それとも単純に愛着というか同じ時間を過ごしてきたことから生まれる寂しさというものだけなのか?

少なくとも単に大事にしてきたモノ(例えば長年愛用している革製品とか)とは少し違うような気もします。

そんなことを考えているうちに、NTTコミュニケーションさんの企画で明治大学の小松先生とトークセッションをさせて貰ったのを思い出しました。
(人生初のオリジナルアバターを作ってもらうという体験をさせて頂きました)

小松先生の研究はとても面白くて、「ロボットいう存在はどういう認識をされているのか?」ということをトロッコ問題やテセウスの船みたいな有名な思考実験を事例にして研究されています。

詳しく知りたい方はこちらのサイトなどを見ていただければと思いますが、ざっくり言えば、ロボットには人とは違う存在として、またモノとも違う存在としての在り方や立ち振る舞いが求められているということなんだと思います。

そう考えてみると、人によっても、アプリや使い方などによっても全く考え方が違うかもしれませんが、ロボットには人の最後(亡くなるとか葬式とか49日など)とモノの最後(無くなる、捨てる、再利用など)とは別の終わり方というものが必要になるのかもしれないですね。

特に結論のない話ですし、普段仕事上はどれだけ役に立つかという観点が主になりますが、たまには少し広い視野でものごとを見てみるのも大事だなと思った2つのイベント体験でした。

では、また来週~!!
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安藤健(@takecando)
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