見出し画像

私の職務経歴書

皆さんこんばんは。

本日は、私がこれまでに経験してきた仕事について書いていこうと思います。

この記事は、「転職で悩まれている方」「世の中の仕事について知りたい方」「転職経験が無いけど、他の仕事には興味がある方」、「就職・転職活動中の方」などへ向けて書かせていただきました。1つでも参考になるものがあれば幸いです。

2020年11月現在、私は29歳です。ここまでの社会人人生は「転職」の一言であり、先日久々に会った友達からは「転職マスター」とまで言われました。笑

また、ほぼ全ての待遇も経験済みです(アルバイト、契約社員、派遣社員、正社員を経験しました。)10年前の前の自分は、まさか「転職の10年」になるなんて、思ってもみなかったと思います。笑

転職が多くても、色々な方に助けてもらい、今もなんとか生きています。自分に自信がない方転職に悩んでいる方大丈夫です。転職の1度や2度、なんてことはありませんよ。だって私は、4年間で8度の転職をしているのですから。それでは、詳しく見ていきましょう!!

※だからと言って、転職を進めているわけではありません。今のご時世「石の上にも3年」の考えは、古い。という方もいますが、それは人それぞれだと、私は思います。1つの意見として捉えていただけますと、幸いです。

大学卒業後、専門学校へ

2014年、地元の大学を取得単位ギリギリの中、なんとか4年間で卒業できた私は、就職活動で唯一内定をくれた、地元の人材派遣会社の営業として働きます。待遇は、正社員。同期は2名。同い年のA君と専門学校を卒業し入社した女性のBさんでした。(後で聞いた話ですが、Bさんは入社してすぐ、妊娠をしたようで早々に退職をした。とA君から聞きました。)

しかしそこで待っていたのは、「営業」ではなく「工場勤務」でした。「最初の1年間は研修ということで、派遣社員として工場で働いてもらいます。お仕事を紹介するのに、実際に現場で働いてみないとわからないことも多いからねぇ~。1年後、営業として頑張ってもらうこと、楽しみにしてます!」人事部兼教育係の方は言いました。

当時、何の知識もなく何も疑わなかった私は、「大学卒業して工場のライン勤務かぁ~。(大学卒業後、工場で働かれている方、申し訳ありません。)正直いやだけど、やるか」そんな風に考えていました。

いざ、工場勤務を始めてみると、やりがいを感じませんでした。そこにプライドも邪魔をして「俺は、こんなところで務めるような人間じゃない。もっとやりたいことがあるんだ」と、大学を卒業してから、たった2ヵ月で退職しました。これが、1社目です。

※後程A君から聞いた話ですが、私が退職をしてから3年、A君は頑張って働いたそうです。しかし、1度も営業として働くことは、なかったそうです。要は、「正社員で入社させて、クライアント先に派遣社員として送る。営業として働けるのは、営業に穴が空いた時又はほんの一握り」だったということです。その後A君は、タクシー運転手をしていると言ってました。笑

※また、人事部兼教育係の方は、他の派遣会社に登録に行った際にそこで働いていました。私が所属していた会社内では生き生きしてるように感じましたが、そこで見たときは、覇気がありませんでした。余談ですが。

その後私は、大学卒業時に思い描いていた夢でもある、「スポーツ業界で働きたい」という目標に向かって、夜勤のアルバイトを2つ掛け持ちし、10ヵ月ほぼ休みなく働き、220万の大金(今はもう0ですので、脅したりしないでくださいね。。。)を手にスポーツ業界で働く為の専門学校へ入学しました。

身も心もボロボロになり、地元へ

2017年3月、専門学校を卒業しました。そして、夢に見た世界へ。プロスポーツチームで働くことが決まりました。大学を卒業して3年。ようやく自分が夢見た世界に立つことができました。当時働いたのは、私の地元ではない、プロバスケットボールチームを運営する会社に勤めることが決まりました。ここでは主に「チケット販売・管理」「ファンクラブの集客」を行いました。

夢にまで世界。最初の数か月はアルバイトその後契約社員として働きました。ワクワクしましたが、そう長くは続きませんでした。たったの8ヵ月で、退職をしたのです。しかも、今だからこそ冷静になれますが、最後の方はうつ病にも似た症状が出ていました。(朝、ベッドから起きられない。会社に着くと、勝手に涙が出てくる。など)

本当に辛かったのを覚えています。朝8:30に出社し、酷い時は朝1時や2時に帰る生活。8ヵ月で丸1日休めた日は、1~2日くらいしか思い出せません。

夢と現実の違いを見せられました。本当に仕事が好きでないと、続かない。現に、その環境を楽しんでいる同僚もいましたからね。身も心もボロボロになった2社目でありました。

退職後は、1週間くらいボーっとしてから、「働かないと」と焦りながら地元に帰還。転職活動へ。たまたま面接で受かった、IT企業の「WEBマーケッター」として、正社員で働くことになります。この時、2017年12月です。

しかし、このIT企業も問題だらけの企業でした。入社して間もなく「なんで入社してきたんですか?多分この会社、もう少ししたら潰れますよ。転職の準備を」と言われました。確かに、会社の雰囲気が重苦しいのを感じていましたが、「急にそんなことを言われても。また、転職すんのか」と思いながらも頑張りましたが、「会社の雰囲気が重苦しい」のと「全くの0知識なのに、教えてもらえる環境がないこと」を理由に、2018年2月、入社から1ヵ月半で退職しました。これで3社目が終わりました。

※実際に、私が退職をした2018年8月頃、その会社は倒産してしまいました。

※より詳しい事は私の過去の記事「3年前の自分に言いたい!その時、知っておけばよかった事!!」にも書いてありますので、読んでみてください。

目標を見失い、派遣社員へ

2018年2月、「何の為に仕事をするんだろう」と完全に目標を見失いました。目標はわからないけど、仕事はしないといけない。また、焦りました。その時、「正社員で働くのは、もう辞めた。とりあえず、派遣で働こう」と思い、派遣社員として働く年が始まります。

2018年3月、4社目は、工場内での「梱包作業」。これは、3ヵ月働きました。退職理由は、「時給が安いから」でした。

5社目は、こちらも工場内での作業でしたが、「ピッキング作業」。これは、1週間で辞めました。退職理由は、「人間関係が最悪」でした。

6社目は、これまた工場でした。作業内容は「ピッキング作業」になるのかな?と思います。午前と午後でやる作業が違うこと、ライン作業ではなく、一人一人に任せて貰える仕事量が多かったことがよかったのか、とても働きやすい職場でした。ですが、6ヵ月で辞めました。退職理由は、「もう一度、正社員として働きたい!という思いが強くなったから」でした。

その後、職業斡旋?人材紹介?をしている企業にお手伝いいただき、正社員としてまた、働くことになりました。

売れない営業マンから売れる営業マンへ

2019年1月、久々に正社員として採用いただきました。職種は、「営業、機械の保守・メンテナンス」でした。販売していた物は、消毒液・消毒液を生成する機械、水素水サーバーなど。その他に、生ごみ処理機や消毒液を生成する機械のメンテナンス作業がありました。後程ご説明しますが、これに加えて「事務作業」も含め、ぜーんぶを1人で行っていました。

入社当初、パートの女性が1名いて、その方に仕事の大半(営業とは?からメンテナンス方法など)を教えてもらいました。が、私が入社して6ヵ月くらいで、「家庭の事情」で退職されました。そこから、私1人での仕事が始まります。

会社全体で考えると、従業員は30名弱。私が所属していた部署は、私1名のみ。理由は、ご高齢の社長の「昔からの夢」であった事業を本業とは別にやってみたが、割に合わない事業で、どんどん人が辞めている部署だったからでした。本業は50年。私の所属部署は10年。昔からいる従業員は皆、口を揃えて「これはね、売れないから」と言われました。

確かに、全く売れませんでした。私は、営業をやったこともない。売っている商品も変わり種すぎて、入り込めない。だんだんと自信を無くしていきます。そして、機械の製造元は、修理依頼をすると高額請求される。(購入金額と同じくらいの金額を請求されていたようです。しかも、その機械は特に壊れやすく、3~4ヵ月に1回は調子がおかしくなっていました。)請求書をみたお客様の顔が真っ赤になり、今にも怒鳴られそうな勢いだったことを覚えています。

「これって、詐欺と同じなんじゃないか」

そう思い、2019年10月、1回目の退職を申し出ました。しかし社長に止められました。「あなたは、もう少しで売れると思うんだ。もう少し頑張ってみない?」その言葉を信じて、踏みとどまりました。

そして、2020年1月。入社して1年が経った時、気付きました。

「俺、売り上げ0円じゃん」

そうです。入社して1年。1度もお客さんに物を売ったことがなかったのです。「営業向いてないな」そう思うほか、ありませんでした。

しかしここで、今も僕らを悩ませている「あいつ」が味方してくれました。2020年2月~4月、新型コロナウイルスが大流行しました。そんな時に、今まででは考えられなかったことが起きます。

以前、この人が営業に来たんだけど、消毒液は売ってもらえますか?」

びっくりしました。今までの訪問は無駄じゃなかった。報われた瞬間でした。2月~4月まで本当に引っ切り無しにお客様が会社にやってきました。当然売り上げは、何倍にも膨れ上がりました。コロナが後押ししてくれたことで、過去一番の売り上げを叩き出すことが出来ました。

それも長くは続かず、ピーク中も「これは、売って大丈夫なんだよな?」と自問自答しながら販売。やはり、商品への信頼感は高くありませんでした。

2020年8月、結局、商品への信頼感や部署としての今後を考えたときに「将来性がない」と判断したこと「会社全体を通して、本当にこの会社で人生を終えていいのだろうか」と不安な事もあり、1年6ヵ月で退職をしました。これが、7社目

2020年9月、現在の仕事についていますが、2020年11月、ご存知の通り、適応障害と診断され、末付で退職をすることになりました。ここまで3ヵ月であり、8社目です。

※適応障害についての詳しい記事は、「適応障害と診断されて、1週間が経ちました」をお読みください。

最後に

いかがだったでしょうか。書いていて感じましたが、私はサラリーマンは向いていないのかもしれませんね!笑

現時点で、仕事もせず自分の好きなことをやっている時間(動画編集やnoteを書いてる時間、インスタを投稿している時間、人と会っている時間)は、本当に楽しいですし、寝る間も惜しんでやりたいくらいです。

他の記事にも私の事をたくさん書いているつもりなので、お時間がある方はぜひ、他の記事にも目を通していただけますとありがたいです!

ここまで読んでいただいてありがとうございました!

もしこの記事があなたのお役に立てたなら「スキ」や「フォロー」いただけますと幸いです。また、コメントも、どしどしお待ちしております。

それでは!

よろしければ、サポートをお願い致します。